徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

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須賀神社

 

須賀神社(すがじんじゃ)  2008年05月17日訪問 須賀神社 左に交通神社 右に須賀神社の碑が並び建つ  積善院の道路を挟んで南側に須賀神社がある。 祭神は素戔嗚尊、櫛稲田比売命を主神に久那斗神、八衢比古神、八衢比売神を加え、五柱を祀る。 貞観11年(869)現在の平安神宮内にある西天王塚辺りに、西天王社として創建されたのが始まり。現在の岡崎神社である東天王社と一対をなしていた。その後、平安時代末期の永治元年(1141)美福門院が白河の地に建てた歓喜光院の鎮守として創祀された。 美福門院は永久5年(1117)藤原長実の子・藤原得子として生まれている。類まれな美貌の持ち主と言われ、長承… ►続きを読む

 

熊野神社

 

熊野神社(くまのじんじゃ) 2008年05月17日訪問 熊野神社 丸太通から  四条烏丸より京都市営バス203号に乗車する。四条通を東に進み、鴨川を越える。そのまま直進すると八坂神社の楼門が現れる。左折し東大路通を北上する。三条通、仁王門通、二条通そして琵琶湖疎水を過ぎ、丸太町通の交差点、熊野神社前で下車すると目の前は熊野神社である。 本殿に伊弉冉尊、相殿に伊弉諸尊、天照大神、速玉男尊、事解男尊を祀る。 修験道の始祖といわれている役小角から数え十世となる僧日圓が、弘仁2年(811)紀州熊野大神を勧請したのが始まりとされている。 熊野神社 熊野神社  白河上皇は熊野御幸を行い、… ►続きを読む

 

新日吉神宮

 

新日吉神宮(いまひえじんぐう) 2008年05月16日訪問 新日吉神宮 楼門  耳塚の面する正面通を東に進み、豊国神社の鳥居を南に下る。京都国立博物館と蓮華王院の間を通る七条通を東に進むと東山七条の交差点に出る。左に豊国廟参道、右に新日吉神宮の石碑が建つ妙法院門跡と智積院の間の道は、京都女子大学そして豊国廟へと続く坂道となっている。新日吉神宮は、150メートル位進んだ智積院の境内の先に位置する。 新日吉神宮 豊国廟への参道入口 新日吉神宮 豊国廟への参道入口  新日吉神宮の祭神は山王七神と後白河上皇とされている。山王七神とは大己貴命、大山咋神、大山咋神荒魂、菊理姫命、田心比売… ►続きを読む

 

豊国神社

 

豊国神社(とよくにじんじゃ) 2008年05月16日訪問 豊国神社 鳥居  蓮華王院の境内を出て、京都国立博物館の前を通りながら大和大路通を北へ進む。博物館の北側には、石段の上に豊国神社の大きな石の鳥居が建ち、その正面の道路は広場のように開けている。 豊国神社 唐門に置かれた千成瓢箪の馬印  慶長4年(1599)豊臣秀吉の死去に伴い、阿弥陀ヶ峰に埋葬される。その麓に方広寺の鎮守社として豊国社と豊国廟が建立され、後陽成天皇から正一位の神階と豊国大明神の神号が贈られ鎮座祭が盛大に行われる。現在の豊国廟の石段の始まる場所に約30万坪の広さの太閤坦を造成し、豊国廟と豊国社が造営された。しか… ►続きを読む

 

粟田神社

 

粟田神社(あわたじんじゃ) 2008年05月16日訪問 粟田神社 鳥居には旧社名の感神院新宮の額がかかる  青蓮院の長屋門と楠を見ながら、再び神宮道を北に向かう。三条通に出る手前を東に入り、京都市立白川小学校を過ぎると三条通から続く粟田神社の参道に出会う。主座 素戔嗚尊、大己貴命(大国主命の若い頃の名前)左座 八大王子命右座 奇稲田媛命、神大市比賣命、佐須良比賣命旧社名は、感神院新宮、粟田天王宮と称されていたが、明治になり粟田神社と改称された。 粟田神社 鳥居の先にある狛犬 この先参道は2段続く 粟田神社 鍛治社 駒獅子の左手前にある 粟田神社 鍛治社 社の右側にある石碑… ►続きを読む

 

地主神社

 

地主神社(じしゅじんじゃ) 2008年05月16日訪問 地主神社 本堂  清水寺の本堂の北側にこんもりした丘のような高台がある。頂部はそれ程広くないものの、清水寺の敷地全体の中でも重要な場所であることが分かる。この場所に地主神社が建てられている。別の日に成就院を訪れたが、成就院の前にある池の対岸が小山のようになっていた。その時はよく位置関係が分かっていなかったが、これが地主神社の北側の斜面だったようだ。清水寺自体が尾根線から谷に迫り出して建てられた寺院であるが、この地主神社は、その尾根の上にさらに隆起した小山の上に建てられていることが分かる。  地主神社は「じぬし」ではなく「じしゅ」と読… ►続きを読む

 

北野天満宮

 

北野天満宮(きたのてんまんぐう) 2008/05/14訪問 北野天満宮 三光門  とようけ茶屋の前の今出川通を横断すると北野天満宮の一の鳥居が目の前に迫ってくる。 北野天満宮 一の鳥居 北野天満宮 参道 北野天満宮 三の鳥居越しの楼門  北野天満宮の祭神は菅原道真公である。相殿に道真の長男・中将殿(高視)、夫人の吉祥女を祀る。梅宮大社や八坂神社と同じ二十二社の下八社の一社で、旧社格では官幣中社。  菅原道真の大宰府への配流やその後の怨霊話しは有名であるが、改めてまとめてみる。 道真は承和12年(845)父 菅原是善、母 伴氏の三男として生まれる。菅原氏は野見宿禰を先祖と… ►続きを読む

 

梨木神社

 

梨木神社(なしのきじんじゃ) 2008/05/13訪問 梨木神社 拝殿  廬山寺から寺町通に出て、南に下るとほどなく京都御苑の清和院御門が現れる。梨木神社の鳥居は清和院御門の手前右手にある。 梨木神社 清和院御門脇の鳥居 梨木神社 二の鳥居  梨木神社の祭神は三條実萬と三條実美の父子である。三條実美を祀る神社ということから明治以降に創建された新しい神社であることが分かる。梨木神社の公式HPによると明治18年(1885)に三條実萬を祭神として旧邸の地名 梨木町にちなみ、現在の地に梨木神社として創建された。三條実美が第二座の祭神として合祀されたのは大正4年(1915)の大正天皇即… ►続きを読む

 

平安神宮

 

平安神宮(へいあんじんぐう) 2008/05/12訪問 平安神宮 大極殿 手前に龍尾壇が見える  満願寺から冷泉通を西に歩き平安神宮の東南角に出る。文子天神の後ろにクレーンが見えているように、このあたりはマンションあるいは宿泊以外の目的のホテルが建ち並び、東山側の邸宅、別荘、企業・団体の保養所ということから変わりつつあるようだ。 旧社格は官幣大社、勅祭社。現在は神社本庁の別表神社。 平安神宮 応天門 平安神宮 応天門より見た大鳥居  京都にとって平安神宮は新しく造られた神社といっても良いだろう。平安神宮の公式HP(http://www.heianjingu.or.jp/01/… ►続きを読む

 

八坂神社

 

八坂神社(やさかじんじゃ)  2008/05/12訪問 八坂神社 西楼門  3日目は祇園→岡崎→二条城と京都市内を巡る。祇園のホテルを6時30分にチェックアウトし四条通の突き当たりにある八坂神社に向かう。 八坂神社 西楼門 境内より  素戔嗚尊を祭神とする神社は日本全国に約2300社あるとされる。八坂神社はそれらの神社の総本社である。  創建については諸説あるようだが、社伝によると斉明天皇2年(656)に高句麗の調進副使・伊利之使主が、新羅の牛頭山に祀られる牛頭天王を祀ったのを始まりとしている。その際に八坂造の姓を賜ったとされている。そのため延暦13年(794)の平安京建都より以前… ►続きを読む

 

藤森神社

 

藤森神社(ふじのもりじんじゃ)  2008/05/11訪問 藤森神社 南門  17時に醍醐寺は閉門となったため、醍醐寺を後にし京都市営地下鉄東西線醍醐駅を目指して歩く。随心院の項で書いたように、東西線の走るあたりを谷としてその東側は少し高くなっている。そのため緩やかな下り道ということになる。醍醐駅から六地蔵駅まで戻り、六地蔵駅から京阪電鉄に乗り換え、墨染駅で下車する。伏見街道を北上し藤森神社を目指す。 藤森神社 鳥居脇の石垣  神功皇后3年(203)、三韓征伐から凱旋した神功皇后(仲哀天皇の后)が、山城国・深草の里の藤森に軍旗の中で一番大きい旗(纛旗 とうき)を立て、武具を塚に納め… ►続きを読む

 

宇治上神社

 

宇治上神社(うじがみじんじゃ)  2008/05/11訪問 宇治上神社 本殿  宇治神社の本堂に面し、左側に進むと石畳の道に出る。宇治川東岸から源氏物語ミュージアムに至る、さわらびの道である。 さわらびの道 石畳が敷かれ整備されている 早蕨之古跡碑  この道を北に進むと宇治神社の北西角に早蕨之古跡碑が現れる。宇治十帖の古跡を記念した石碑であるが、江戸から明治時代にかけて所在を転々としてきた。JR奈良線の元となる奈良鉄道の工事に伴い、現在の場所に移ったといわれている。 早蕨の巻の大半は八宮邸が舞台となっているが、莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)が八宮のモデルではないかと思われて… ►続きを読む

 

宇治神社

 

宇治神社(うじじんじゃ)  2008/05/11訪問 宇治神社 宇治川に面した鳥居  興聖寺を出て、再び観流橋を渡り朝霧橋のたもとまで戻ると右手に宇治神社の鳥居が現れる。この鳥居をくぐり、短い参道の先の石段を登ると桐原殿の額のかかる小さな拝殿が現れる。拝殿の裏側に廻ると小さな鳥居があり、10段程度の石段の先に宇治神社の本殿がある。 宇治神社 拝殿へつながる石段 宇治神社 本殿  宇治神社の祭神は菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)。  応神天皇の末の皇子・菟道稚郎子は寵愛され、応神天皇40年(309)に皇太子となる。翌年に天皇が崩じたが即位せず、大鷦鷯尊と互いに皇位を譲り合った。… ►続きを読む

 

縣神社

 

縣神社(あがたじんじゃ)  2008/05/11訪問 縣神社  橋姫神社の前を過ぎ、さらに「あがた通り(縣神社参道)」をしばらく進むと道は突き当たり、左側は宇治田原経由で大津へ、右側は久御山経由で淀に至る。縣神社はこの分岐する交差点の左角に位置する。 縣神社 本殿 縣神社 本殿  縣神社は木花開耶姫命を祭神に祀る神社。「縣」の名の由来には、木花開耶姫命の別名である「吾田津姫(あがたつひめ)」という説と古代の行政区である宇治県の守護神として祀られていたという説がある。いずれにしても神代の頃からの地主神だとされている。 藤原道綱母によって書かれた「蜻蛉日記」には、宇治の「あがたの… ►続きを読む

 

橋姫神社

 

橋姫神社(はしひめじんじゃ)  2008/05/11訪問 橋姫神社  宇治橋を渡り、縣神社の大鳥居をくぐり「あがた通り(縣神社参道)」をしばらく進むと左手に塀の切れ目に小さな鳥居がある。注意して歩かないと見過ごしてしまいそうなほど小さな橋姫神社である。  境内右に大きな覆屋が架けられ、その中に橋姫社(瀬織津比咩尊・せおりつひめのみこと)と住吉明神社が並ぶ。瀬織津比咩尊は、海神・風神・霊界神とともに祓戸の大神四神の川の神・水神である。また住吉神社も同じく水の神である。 放生院でも記したように大和の元興寺の僧 道登が大化2年(646)に宇治川に橋を架けた。このことは宇治橋断碑に記述されている… ►続きを読む

 

御香宮神社

 

御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)  2008/05/10訪問 御香宮神社 拝殿  伏見稲荷大社の表参道から伏見街道に出て、JR稲荷駅とランプ小屋の前を通り過ぎ、もう少し伏見街道の町並みを見ながら南下する。まっすぐに南へ流れる鴨川運河を渡り京阪電鉄深草駅に至る。ここから京阪電鉄に乗車し伏見桃山駅で下車。地下の改札口から地上に出ると目の前に大手筋通が現れる。西は巨大なアーケード街へと続き、東を見ると近鉄京都線桃山御陵前駅の先に赤い大鳥居があるので道に迷う心配はない。大鳥居をくぐると石垣と白い壁が始まる。この場所の地形は東北にある伏見桃山陵に向って上っていくため、御香宮神社の西南角の石垣が最… ►続きを読む

 

伏見稲荷大社

 

伏見稲荷大社 (ふしみいなりたいしゃ)  2008/05/10訪問 伏見稲荷大社 外拝殿より見た楼門  お庭を拝観させていただいたことに御礼し大橋家を後にし伏見街道へ出る。あらためて伏見稲荷大社の表参道から第一鳥居そして第二鳥居をくぐると豊臣秀吉が寄進したと言われている楼門が現れる。楼門の前には阿吽の狛犬ではなく二体の狐の像が設置されている。 伏見稲荷大社 楼門前左側の狐像 伏見稲荷大社 楼門奥の外拝殿 伏見稲荷大社 本殿  伏見稲荷大社は全国約4万社の稲荷大神を祀る稲荷神社の総本宮とされています。稲荷大神(お稲荷さん)として信仰を集める宇迦之御魂大神(うかのみたまのお… ►続きを読む

 
 

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