徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

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由岐神社

 

由岐神社(ゆきじんじゃ) 2010年9月18日訪問 由岐神社 本殿 鞍馬寺 その4で、九十九折の参道を下っていくと、川上地蔵堂と義経公供養塔を越えた先に由岐神社の割拝殿が見えてくる。由岐神社は鞍馬寺の鎮守社であり靭明神とも呼ばれる。大己貴命と少彦名命を主祭神として由岐大明神と総称する。また八所大明神を相殿に祀る。もともと八所神社は鞍馬山山頂にあったが文化年間(1804~18)に由岐神社に合祀されている。恐らく文化11年(1814)鞍馬寺は全山炎上の大火災を被っているので、それ以降のことと考えられる。 由岐神社 本殿 縁の上に石造狛犬が見える 大己貴命は大国主神で国津神の主宰神とされ… ►続きを読む

 

貴船神社 結社

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貴船神社 結社(きぶねじんじゃ ゆいのやしろ) 2010年9月18日訪問 貴船神社 結社 本殿 貴船神社の本宮を始めとして、その2、その3、その4、その5、そして貴船神社 本宮 庭園、その2、その3。さらに、相生の大杉と貴船神社 林田社・私市社、そしてつつみが岩と思ひ川を見た後に、貴船神社 奥宮に至った。その2、その3に次いで貴船神社 奥宮 船形石についても記してきた。ここから再び府道361号上黒田貴船線を貴船口方向に戻り、結社を貴船神社として最後に詣でる。 貴船神社 結社 参道入口の由緒書 貴船神社 結社 由緒書 貴船神社の本社(本宮)と奥宮のほぼ中間地点に結社がある。神社… ►続きを読む

 

貴船神社 奥宮 船形石

 

貴船神社 船形石(きぶねじんじゃ ふながたいわ) 2010年9月18日訪問 貴船神社 奥宮 船形石 貴船神社 奥宮 その2では奥宮の境内ついて、そして貴船神社 奥宮 その3では奥宮の本殿の遷宮について書いてきた。この項では奥宮の境内にある船形石を中心に貴船神社の遡源伝説について記す。 船形石は貴船神社奥宮の本殿・拝殿の南西に築かれている。この奥宮の船形石以外に船を連想させるものとして、本宮の重森三玲作庭による天津磐境(昭和40年(1965)作庭)と結社の天乃磐船(平成8年(1996)奉納)がある。しかし本宮と結社は近年に整備されたものである。一方、奥宮の船形石は既に昭和34年(1959)… ►続きを読む

 

貴船神社 奥宮 その3

 

貴船神社 奥宮(きぶねじんじゃ おくのみや)その3 2010年9月18日訪問 貴船神社 奥宮 拝殿と石造の狛犬 貴船神社 奥宮 その2では奥宮の境内ついて書いてきた。この項では奥宮の本殿について記述する。この2010年に訪問では古い本殿を撮影したが、2012年には新しい本殿が竣工したようだ。このことは貴船神社のFacebookに貴船神社 【奥宮本殿解体修理と「附曳神事」】 ~150年ぶりに行われた特殊神事~として記述されている。これによると完全な新築ではなく、一度本殿を解体し、「使える古材は出来るだけ保存」したとあるので、部分的に新材を加えた改修工事だったようだ。2011年12月3日に御… ►続きを読む

 

貴船神社 奥宮 その2

 

貴船神社 奥宮(きぶねじんじゃ おくのみや)その2 2010年9月18日訪問 貴船神社 奥宮 連理の杉と摂社・日吉社 貴船神社 奥宮では御祭神の変遷について書いてきた。この項では奥宮の境内について記述する。 思ひ川に架かる小さな橋を渡り参道を進むと、右手につつみが岩が見える。さらに進むと、小さな朱塗りの神門が現れる。この美しい神門より中が貴船神社の奥宮となる。神門の左手前には石組で作られた手水が設けられている。現在では思ひ川で禊を行うこともないので、ここで身を清めて参拝するという意味であろう。 貴船神社 奥宮 神門 貴船神社 奥宮 神門手前の手水 神門を潜ると、細い参道からは… ►続きを読む

 

貴船神社 奥宮

 

貴船神社 奥宮(きぶねじんじゃ おくのみや) 2010年9月18日訪問 貴船神社 奥宮 神門 相生の大杉とと林田社と私市社の二座を祀る祠を過ぎると、府道361号上黒田貴船線から離れ奥宮の参道に入っていく。朱塗りの鳥居の先の思ひ川に架かる小さな橋を渡る。途中のつつみが岩を越えると、府道から並木1本隔てただけにもかかわらず山奥の神社を参詣する雰囲気が高まってくる。ほどなくして濃い緑の中に朱塗りの神門が現れる。この門を潜ると貴船神社の奥宮である。細い参道からは想像できないほど広い空間が目の前に広がる。貴船川のすぐ畔に広がる平坦な地で、ここが貴船神社の創建の地であったことが頷けるような立地である… ►続きを読む

 

貴船神社 林田社・私市社

 

林田社・私市社(はやしだしゃ・きさいちしゃ) 2010年9月18日訪問 林田社・私市社 相生の大杉の傍らに赤い玉垣を巡らした二座を祀る祠がある。これは貴船神社末社の林田社と同末社の私市社である。向かって右側の私市社の御祭神は大国主命、左側の林田社は少彦名命でである。 私市社の大国主命は国津神の代表的な神で、因幡の白兎の話によって誰でもその名前は聞いたことがあるだろう。素戔嗚尊の子、または六世の孫とされ、出雲大社の御祭神でもある。林田社の少彦名神とともに、中つ国すなわち葦原中国の国造りを行った神である。天津神である天照大神の使者が葦原中国に来ると国土を献上し(国譲り)て自らは隠退したとされ… ►続きを読む

 

貴船神社 本宮 その5

 

貴船神社 本宮(きぶねじんじゃ ほんみや)その5 2010年9月18日訪問 貴船神社 本宮 鈴鹿川にかかる鈴鹿橋 貴船神社 本宮 その4では、現在の貴船神社の空間構成、境外末社と白髭社について、そして二之鳥居から南参道の石段を上るところまでを書いた。ここからは貴船神社の境内の様子を記していく。南参道の石段を上り小振りな中門を潜ると貴船神社の境内が広がる。拝殿と本殿に向かって立つと左側にはカツラの巨樹、さらにその奥には社務所がある。カツラはカツラ科カツラ属の落葉高木で、多くの萌芽枝が生長するため何本も枝分かれ株立ちし巨樹へと育っていく。また伸びた枝が上部で八方に広がる形状は龍が大地から勢い… ►続きを読む

 

貴船神社 本宮 その4

 

貴船神社 本宮(きぶねじんじゃ ほんみや)その4 2010年9月18日訪問 貴船神社 本宮 拝殿と本殿 貴船神社 本宮 その3では、「上賀茂のもり・やしろ・まつり」(思文閣出版 2006年刊)を参照し室町時代から江戸時代にかけての貴布禰社と賀茂社の紛争を中心に見てきた。平安時代後期(寛仁元年(1017)頃)から800年以上続く関係が一変するのは、維新後の明治4年(1871)5月14日のことであった。この間、幕府や政権が交代しても旧例は事勿れ的に継承され、一度決まった評定を覆すことは実に困難であることを良く示している。この項では現在の貴船神社 本宮の境内の様子を中心に書いてみる。 貴船神社… ►続きを読む

 

貴船神社 本宮 その3

 

貴船神社 本宮(きぶねじんじゃ ほんみや)その3 2010年9月18日訪問 貴船神社 本宮 カツラの御神木 貴船神社 本宮 その2では、平安時代に入り貴船神社が王城の治水及び祈雨止雨の神として朝野の崇敬を集めてきた様子を六国史などの史料をもとに見てきた。元々貴布禰の神は山城国造の神であった。しかし平安時代の後期には、貴布禰社が賀茂社の第二摂社となり、貴布禰の神は鴨県主の神へと変化して行った。朝廷内でも重要な祭祀を行う貴布禰社を取り込むことが鴨県主の勢力伸長につながることは勿論の事として、鴨県主の祖神である賀茂別雷命の誕生と賀茂社の創建を説明する丹塗矢伝説の完成度が上げるためにも賀茂川の… ►続きを読む

 

貴船神社 本宮 その2

 

貴船神社 本宮(きぶねじんじゃ ほんみや)その2 2010年9月18日訪問 貴船神社 本宮 南参道 貴船神社 本宮では、三浦俊介氏の著書「神話文学の展開 貴船神話研究序説」(思文閣出版 2019年刊)を参考に貴船神社の歴史の前半部分に光を当ててみた。洛北の山間部に祀られていた貴船明神の社祠が平安京の治水と祈雨止雨という重要な役割を担う神社に移行した過程に今一つ疑問が残る。それでも白髭社や百太夫社を祀る白髭族が創建した地域社が後退し、賀茂社の支配下に組み込まれることによって国家が祭祀する神社が前面に出てきたとする三浦氏の説明は、ある程度の説得力を持つことを認めなければならないだろう。この項… ►続きを読む

 

貴船神社 本宮

 

貴船神社 本宮(きぶねじんじゃ ほんみや) 2010年9月18日訪問 貴船神社 本宮 二の鳥居 叡山電鉄鞍馬線の貴船駅から、蛍岩、梅宮社、白石社そして烏帽子岩を一つずつ確認しながら京都府道361号上黒田貴船線を貴船神社を目指して歩いて来た。貴船川にかかる奥ノ院橋を越えると左手に貴船神社の二の鳥居と總本社 貴船神社の社号標が見えてくる。貴船神社の境内は貴船川の西岸の高台にあり、この二の鳥居から朱色の春日灯籠が並ぶ石段を上った先に拝殿、本殿が建てられている。 貴船神社 本宮 社号標石 總本社 貴船神社 貴船神社の公式HPの由緒によれば、本宮の御祭神は晴雨を司る高龗神(たかおかみのかみ)… ►続きを読む

 

烏帽子岩

 

烏帽子岩(烏帽子岩) 2010年9月18日訪問 烏帽子岩 叡山電鉄鞍馬線の貴船駅から貴船神社を目指し京都府道361号上黒田貴船線をさらに北上する。蛍岩、梅宮社そして白石社に次いで烏帽子岩と呼ばれる石が貴船川東岸に現われる。丁度、川床料理旅館の貴船べにやを通り過ぎたあたりである。 烏帽子岩と呼ばれる景勝の地は全国に数か所あるが、いずれも烏帽子に似た形状から名付けられたものである。その中でも神奈川県茅ヶ崎市の沖合にある姥島は、サザンオールスターズの歌詞に出てくることから有名である。沖合1200mにある東西600m、南北400m、高さ20m余りの無人の岩礁群は、烏帽子岩という愛称と共にこの地域… ►続きを読む

 

白石社

 

白石社(しらいししゃ) 2010年9月18日訪問 白石社 叡山電鉄鞍馬線の貴船駅から京都府道361号上黒田貴船線を北上する。貴船神社に向かう途中に、蛍岩、梅宮社に次いで貴船神社の末社 白石社がある。梅宮社から凡そ900m、京都バス33系統貴船口駅―貴船の梅宮橋バス停前の貴船川東岸に位置する。川床料理旅館の貴船べにやの手前と言った方が分かりやすいかもしれない。 白石社の御祭神は下照姫命。例祭は梅宮社と同じ10月15日。「古事記」では本名を高比売命(たかひめのみこと)、別名を下光比売命、下照比売命(したてるひめのみこと)、「日本書紀」では下照姫あるいは高姫、稚国玉(わかくにたま)記述されてい… ►続きを読む

 

梅宮社

 

梅宮社(うめみやしゃ) 2010年9月18日訪問 梅宮社 叡山電鉄鞍馬線の貴船駅から京都府道361号上黒田貴船線を北上し貴船神社に向かう途中、蛍岩から凡そ250m歩くと今度は末社の梅宮社が道路の右手側に現れる。傍らには、貴船神社末社 梅宮社と記された駒札があるのでほぼ見落とすことはない。お社の周囲もきれいに砂利敷きとなっており玉垣も朱色が映えていることから、近年整備されたのであろう。 梅宮社 近年擁壁整備が行われたようで高台にお社はあった左手奥に梅ノ宮橋が見える 梅宮社の御祭神は木花之佐久夜毘売。安産の神で例祭は10月15日。「古事記」では本名を神阿多都比売(かむあたつひめ)、別名… ►続きを読む

 

石寄大明神

 

石寄大明神(いしよりだいみょうじん) 2010年9月18日訪問 石寄大明神 椋の大木と御社を鞍馬街道から望む 石寄大明神 貴船神社の大きな一の鳥居から鞍馬街道(府道38号 京都広河原美山線)をさらに鞍馬方向に進むと右手高台に京都市立鞍馬小学校が見える。その校門の手前の大きな椋の木の傍らに石寄大明神がある。確認は出来ていないが、この巨樹は「京都市の巨樹名木 第1編」(京都市景勝地植樹対策委員会 編 1974年刊行)にも掲載されているようで、「覆刻 京都の虚樹迷木巡り」によれば、すでに1943年の調査時点で主幹4.11m、支幹2.19m、地上1mでの全体の株周りは6.61mであったよう… ►続きを読む

 

梶取社

 

梶取社(かじとりしゃ) 2010年9月18日訪問 梶取社 貴船神社一の鳥居と梶取橋 鞍馬街道(府道38号 京都広河原美山線)から貴船神社に入っていく分岐点が貴船口である。ここから府道361号 上黒田貴船線で貴船神社まで2km強、徒歩で30分はかかる。この貴船口に建てられた貴船神社の巨大な一の鳥居のすぐ脇に小さな祠、貴船神社の末社 梶取社が祀られている。 安永9年(1780)に刊行された都名所図会の巻之六 後玄武再刻で貴布祢社が取り上げられている。この説明の中で足酒石、蛍石とともに梶取社について以下のように記されている。 梶取社は、二瀬の里の北に貴船の一の鳥居あり、其かたはらにしづ… ►続きを読む

 

白峯神宮 その9

 

白峯神宮(しらみねじんぐう)その9 2010年1月17日訪問 白峯神宮  白峯神宮 その8では、幕末維新期の白峯神宮創建に尽力した中瑞雲斎の前半生について書いてきた。この項では神宮創建後に生じた瑞雲斎に関する事件について調べてみる。 明治2年(1869)正月5日、新政府の参与・横井小楠が京都寺町通丸太町下ルで十津川郷士の襲撃を受け暗殺されるという大事件が発生する。小楠が暗殺された理由とは、日本のキリスト教化を推進しているとされている。歴史的にも有名な事件にも拘らずその実相を明らかにした資料は実は多くない。開明的な思想を持つ横井は因習に固執した尊皇攘夷激派の生き残りに殺害された、これがこの… ►続きを読む

 

白峯神宮 その8

 

白峯神宮(しらみねじんぐう)その8 2010年1月17日訪問 白峯神宮 2011年6月18日撮影  白峯神宮 その7では、幕末維新期の白峯神宮創建の経緯について「孝明天皇紀」(平安神宮 1981年刊)慶応2年(1866)11月16日の条を中心に見て来た。この項では白峯神宮創建を目指して奔走した中瑞雲斎の前半生について調べてみる。 上御霊神社 御祭神は崇道天皇(早良親王)、井上大皇后、他戸親王、藤原大夫人(藤原吉子)、橘大夫(橘逸勢)、文大夫(文屋宮田麿)、火雷神(六座の荒魂)、吉備大臣(吉備真備)2018年3月18日撮影  しかしこの敷地が「狭小」である上「汚穢地之旨有風聞」という… ►続きを読む

 

白峯神宮 その7

 

白峯神宮(しらみねじんぐう)その7 2010年1月17日訪問 白峯神宮 2011年6月18日撮影  白峯神宮 その6では、崇徳天皇の鎮魂のために造営された崇徳院廟の所在地の特定について見て来た。この項では、幕末維新期の白峯神宮創建の経緯について調べてみる。 上御霊神社 南門  崇徳上皇の怨霊鎮魂に一番熱心であったのは、保元の乱の当事者である後白河法皇だったことは当然の結果とも言える。法皇はかつて戦場の地となった白河北殿の地に崇徳院廟を造営し、元暦元年(1184)4月15日に遷宮を行っている。しかし建久3年(1192)11月16日に後白河法皇が崩御すると、朝廷の崇徳院怨霊に対する恐れ… ►続きを読む

 

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