文書と写真・地図による「記憶」の再現

タグ:神社

石寄大明神

 

石寄大明神(いしよりだいみょうじん) 2010年9月18日訪問 石寄大明神 椋の大木と御社を鞍馬街道から望む 石寄大明神 貴船神社の大きな一の鳥居から鞍馬街道(府道38号 京都広河原美山線)をさらに鞍馬方向に進むと右手高台に京都市立鞍馬小学校が見える。その校門の手前の大きな椋の木の傍らに石寄大明神がある。確認は出来ていないが、この巨樹は「京都市の巨樹名木 第1編」(京都市景勝地植樹対策委員会 編 1974年刊行)にも掲載されているようで、「覆刻 京都の虚樹迷木巡り」によれば、すでに1943年の調査時点で主幹4.11m、支幹2.19m、地上1mでの全体の株周りは6.61mであったようだ。1本の樹のように見えるが、もともとは別株であったものが合体したため相生椋とも呼ばれている。 石寄大明神 鳥居と御社 この椋の… ►続きを読む

 

梶取社

 

梶取社(かじとりしゃ) 2010年9月18日訪問 梶取社 貴船神社一の鳥居と梶取橋 鞍馬街道(府道38号 京都広河原美山線)から貴船神社に入っていく分岐点が貴船口である。ここから府道361号 上黒田貴船線で貴船神社まで2km強、徒歩で30分はかかる。この貴船口に建てられた貴船神社の巨大な一の鳥居のすぐ脇に小さな祠、貴船神社の末社 梶取社が祀られている。 安永9年(1780)に刊行された都名所図会の巻之六 後玄武再刻で貴布祢社が取り上げられている。この説明の中で足酒石、蛍石とともに梶取社について以下のように記されている。 梶取社は、二瀬の里の北に貴船の一の鳥居あり、其かたはらにしづめます。神代のむかし万の神木船にのられしとき、かぢをとりし神とぞ。 また都名所図会の後編として天明7年(1787)秋に刊行された拾遺都… ►続きを読む

 

白峯神宮 その9

 

白峯神宮(しらみねじんぐう)その9 2010年1月17日訪問 白峯神宮  白峯神宮 その8では、幕末維新期の白峯神宮創建に尽力した中瑞雲斎の前半生について書いてきた。この項では神宮創建後に生じた瑞雲斎に関する事件について調べてみる。 明治2年(1869)正月5日、新政府の参与・横井小楠が京都寺町通丸太町下ルで十津川郷士の襲撃を受け暗殺されるという大事件が発生する。小楠が暗殺された理由とは、日本のキリスト教化を推進しているとされている。歴史的にも有名な事件にも拘らずその実相を明らかにした資料は実は多くない。開明的な思想を持つ横井は因習に固執した尊皇攘夷激派の生き残りに殺害された、これがこの事件の一般的な見方となっている。実行犯は上田立夫、中井刀禰尾、津下四郎左衛門、前岡力雄、柳田直蔵、鹿島又之… ►続きを読む

 

白峯神宮 その8

 

白峯神宮(しらみねじんぐう)その8 2010年1月17日訪問 白峯神宮 2011年6月18日撮影  白峯神宮 その7では、幕末維新期の白峯神宮創建の経緯について「孝明天皇紀」(平安神宮 1981年刊)慶応2年(1866)11月16日の条を中心に見て来た。この項では白峯神宮創建を目指して奔走した中瑞雲斎の前半生について調べてみる。 上御霊神社 御祭神は崇道天皇(早良親王)、井上大皇后、他戸親王、藤原大夫人(藤原吉子)、橘大夫(橘逸勢)、文大夫(文屋宮田麿)、火雷神(六座の荒魂)、吉備大臣(吉備真備)2018年3月18日撮影  しかしこの敷地が「狭小」である上「汚穢地之旨有風聞」ということから、5月16日には南側の土地の収用を止めて新たな敷地を探し始めている。そして一か月後の6月12日には、今出… ►続きを読む

 

白峯神宮 その7

 

白峯神宮(しらみねじんぐう)その7 2010年1月17日訪問 白峯神宮 2011年6月18日撮影  白峯神宮 その6では、崇徳天皇の鎮魂のために造営された崇徳院廟の所在地の特定について見て来た。この項では、幕末維新期の白峯神宮創建の経緯について調べてみる。 上御霊神社 南門  崇徳上皇の怨霊鎮魂に一番熱心であったのは、保元の乱の当事者である後白河法皇だったことは当然の結果とも言える。法皇はかつて戦場の地となった白河北殿の地に崇徳院廟を造営し、元暦元年(1184)4月15日に遷宮を行っている。しかし建久3年(1192)11月16日に後白河法皇が崩御すると、朝廷の崇徳院怨霊に対する恐れは次第に弱まっていく。つまり後白河法皇以外の者が、天変地異を崇徳院の怨霊の仕業と考えなくなってきたのである。それ… ►続きを読む

 

白峯神宮 その6

 

白峯神宮(しらみねじんぐう)その6 2010年1月17日訪問 白峯神宮 拝殿から本殿を望む  白峯神宮 その5では、崇徳天皇の怨霊伝説の始まりから鎮魂のための崇徳廟の造営について見て来た。この項では、応仁の乱で失われた崇徳院廟がどこに所在していたかについて考えてみる。 元暦元年(1184)4月15日に遷宮、鴨川の氾濫によって嘉禎3年(1237)に遷座した崇徳院廟はどこに所在していたか?崇徳院廟が創建された確かな場所は未だ特定出来ていないようだ。碓井小三郎は「京都坊目誌 上京 坤」(「新修 京都叢書 第15巻 京都坊目誌 上京 坤」(光彩社 1968年刊))で崇徳院粟田宮ノ址について以下のように記述している。 〇崇徳院粟田宮ノ址 本町の中央。丸太町通を挟んで北。聖護院町字中河原に至り其址也。古へ白河南殿より四丈… ►続きを読む

 

白峯神宮 その5

 

白峯神宮(しらみねじんぐう)その5 2010年1月17日訪問 白峯神宮 拝殿  白峯神宮 その4では、鳥羽法皇崩御後の崇徳天皇と保元の乱の戦場となった白河北殿と院政政治の中心となった白河街区について見て来た。この項では崇徳天皇の怨霊伝説の始まりから鎮魂のための崇徳廟の造営について調べてみる。 保元元年(1156)7月23日、崇徳上皇は讃岐国へ移される。乱の終結直後、後白河天皇は石清水八幡宮に勝利の報告を宣命で行っている。藤原頼長がいかに猛悪であり、流れ矢に当たって死んだのは神罰であると述べている。そして上皇の配流から乱に加わった者への処罰は法に則った処分であると八幡大菩薩に祈誓している。この時点で天皇は上皇と頼長の怨霊の存在を全く意識していなかった。なお保元の乱の勝者となった藤原忠通は長寛2… ►続きを読む

 

白峯神宮 その4

 

白峯神宮(しらみねじんぐう)その4 2010年1月17日訪問 白峯神宮 2011年6月18日撮影  白峯神宮 その3では、では白峯神宮の最初に祭神となった崇徳天皇について、鳥羽法皇との関係を中心に近衛天皇の崩御と後白河天皇の即位まで見てきた。この項では鳥羽法皇の崩御から保元の乱までの経緯、そして崇徳上皇の讃岐国への配流までを調べてみる。 保元元年(1156)5月初旬頃より鳥羽法皇は体調を崩していたらしく、同月21日には食事の摂れない症状を治療するため灸を施されている。しかし容態は回復することなく、日一日と悪化していく。そして6月1日には病気回復の祈祷を取り止め、臨終を迎えるための万歳の沙汰が取り計られるようになっている。既に法皇は自らの死を悟り、浄土往生を遂げるための行業に専念すること決して… ►続きを読む

 

白峯神宮 その3

 

白峯神宮(しらみねじんぐう)その3 2010年1月17日訪問 白峯神宮 御由緒  白峯神宮 その2では、天武天皇以降の皇統の継承ともう一人の祭神である淳仁天皇の生涯とについて見て来た。この項では最初に祭神となった崇徳天皇について調べてみる。 白峯神宮の祭神である崇徳天皇は、保元元年(1156)7月に起きた保元の乱に破れ讃岐国に配流となった上皇である。天皇あるいは上皇の配流は、天平宝字8年(764)に起きた藤原仲麻呂の乱における淳仁天皇の淡路国配流以来、凡そ400年ぶりの出来事であった。 崇徳天皇は、元永2年(1119)鳥羽天皇と中宮・藤原璋子(待賢門院)の第1皇子として生まれている。真偽は定かでないが源顕兼によって纏められた鎌倉初期の説話集・古事談には、崇徳天皇は白河法皇と璋子の密通によって… ►続きを読む

 

白峯神宮 その2

 

白峯神宮(しらみねじんぐう)その2 2010年1月17日訪問 白峯神宮 2011年6月18日撮影  白峯神宮では、その周辺の地で起きた歴史的な事柄から白峰神宮の創建の経緯までを記した。この項では後に祭神に加えられた淳仁天皇について書いていくこととする。 先ず淳仁天皇に至る皇統を見ていく。第38代天智天皇、第39代弘文天皇(大友皇子)そして壬申の乱後に即位した第40代天武天皇の後は、第41代持統天皇(天武天皇后)、第43代元明天皇(草壁皇子妃)と天智系の2人の女帝と天武系の第42代文武天皇、第44代元正天皇が交互に即位している。つまり弘文天皇から聖武天皇までの間は直系男子への皇位継承が為されなかった。それは壬申の乱に代表されるように、皇位継承から紛争や反乱あるいは陰謀計画の発覚が多発したためで… ►続きを読む

 

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