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等持院 その3
臨済宗天龍寺派 萬年山 等持院(とうじいん) その3 2009年1月12日訪問 等持院 方丈北庭 芙蓉池と清漣亭 等持院には3つの庭がある。方丈を挟んで南側に南庭、北側に2つの庭がある。南庭は、比較的禅宗寺院の南庭の様式を守り、門の両脇に石組みと樹木を配する形になっている。本来ならば唐破風を持つ勅使門として置かれるところに、棟門と言うべきなのか簡潔な門が造られている。その位置も方丈の中心からかなり西側に設けられている。方丈の縁なので欄干などはなく、南庭に下りる段もない。そのため、建物の中心線から外れた位置に門を配しても、それほど違和感がないのかもしれない。膨大な情報を基に纏められている… ►続きを読む
等持院 その2
臨済宗天龍寺派 萬年山 等持院(とうじいん) その2 2009年1月12日訪問 等持院 方丈北庭立命館大学の校舎を隠すように無理に樹木の背を高くしている 等持院では、創建から現在の等持院に至る歴史を記す予定だったが、その大部分を足利三代木像梟首事件に割いてしまった。 この寺院を訪問して強く感じる違和感は、有名な寺院にもかかわらず何故か拝観者に出会うことが少ない点である。前日からの雪で寒い朝となっているため、人出が少ないのは仕方のないことかもしれない。しかし以前、天気の良い日に訪れた時にも同じ事を感じた。霊光殿を除くと特徴の少ない寺院であるかもしれないが、方丈北側の庭園は見事なもので… ►続きを読む
等持院
臨済宗天龍寺派 萬年山 等持院(とうじいん) 2009年1月12日訪問 等持院 方丈南庭の正面を眺める 広隆寺の楼門の前にある太秦広隆寺駅から京福電気鉄道嵐山本線に乗車し、ひとつ西の帷子ノ辻で北野線に乗り換える。ここより北野白梅方面に向かい、7つ目の等持院駅で下車する。 衣笠山を目指し、100メートルくらい住宅街の中を進むと、道の前方に江戸時代に建立された一間一戸、切妻造本瓦葺の小ぶりな薬医門が現れる。門に掲げられた万年山等持院の文字を見逃すと、足利将軍家累代の菩提寺とは思えないほど質素な山門である。この山門の前には、現在でも石橋が架けられているが、すでに欄干の両側は埋め立てられ橋の機… ►続きを読む
安楽寿院 その2
真言宗智山派 安楽寿院(あんらくじゅいん)その2 2009年1月11日訪問 安楽寿院 左に大師堂 右に阿弥陀堂 安楽寿院の項で記したように、応徳3年(1086)白河上皇は、藤原季綱から献上された巨椋池の畔の別業を拡張して南殿を造営している。これが後の鳥羽殿の始まりとされている。しかし鳥羽殿の大部分は、白河上皇の孫に当たる鳥羽上皇の時代に造営されている。 安楽寿院 庫裏と書院 安楽寿院 安楽寿院は鳥羽殿にあった東殿の仏堂として造営されている。鎌倉時代の史書・百錬抄によると、その創建は保延3年(1137)のこととされ、創建当時は単に御堂と呼ばれていた。なお安楽寿院の名称が現れ… ►続きを読む
安楽寿院
真言宗智山派 安楽寿院(あんらくじゅいん) 2009年1月11日訪問 安楽寿院 書院庭園 御香宮神社の山門を出て、大手筋通を西に下っていく。近鉄京都線桃山御陵前から乗車し、竹田駅で下車する。ここから安楽寿院へ徒歩で向かう。安楽寿院は通常非公開の寺院であるが、今回は第43回京の冬の旅で特別公開となっている。本日訪問した東寺は、鳥羽伏見の戦いで新政府軍の本営となり、東福寺の退耕庵は長州藩の本営であり、後に菩提所となっている。そして伏見奉行所は旧幕府軍の伏見方面の本営であり、御香宮神社には新政府軍が駐屯した。このように洛南の地には鳥羽伏見の戦いに関係するものが点在している。そういえば、油小路… ►続きを読む
東福寺 退耕庵
東福寺 退耕庵(たいこうあん) 2009年1月11日訪問 東福寺 退耕庵 客殿の妻面の眺める 東寺の南大門を潜り、九条通に出る。次の東福寺退耕庵は、徒歩でも行ける距離ではあるが、何回か歩いたことがあるので、今回はバスに乗車することとした。比較的待たずにバスは来たが、車庫に入るため途中の九条車庫前で一度下車させられた。時間が押していたので、バスの方が早く着くと考えたが、どうも徒歩と変わらなかったようだ。 九条通の陸橋に登り鴨川を渡り、JR奈良線、京阪電鉄そして伏見街道を越えると、万寿寺の前にある東福寺停留所に至る。東福寺の大きな「大本山東福寺」の寺号標石の脇を抜け、そのまま南に進むと退耕… ►続きを読む
教王護国寺 観智院
教王護国寺 別格本山 観智院(かんちいん) 2009年1月11日訪問 観智院 五大の庭 東寺の北大門を潜ると櫛笥通に出る。この通りは、西の壬生大路と東の大宮大路の中間に造られた平安京の小路にあたる。平安京の東市の西側に面し、二条大路から九条大路の間に造られた小路と推測されるが、神泉苑や平安時代末期には平清盛の西八条邸により分断されている。さらに平安時代中期以降の右京の衰退に伴い、朱雀大路やこの小路も衰退していった。現在では、途切れ途切れの細い道となっている。 観智院 東寺の北大門からの眺め 右手に観智院の南大門が見える 観智院 南大門 観智院 以前の訪問の時に触れた… ►続きを読む
東福寺 光明院
東福寺 光明院(こうみょういん) 2008年12月22日訪問 東福寺 光明院 波心庭 東福寺方丈を出て、重森三玲の庭園のある光明院に向かう。既に15時を過ぎているので、日没閉山にならないうちに着くように道を急ぐ。光明院は、室町時代の明徳2年(1391)金山明昶の開創。明昶は正平4年(1349)生まれで、東福寺第70世住持を務め、但馬の極楽寺などを創建している。応永20年(1413)没。 東福寺 光明院 山門 左手に嶺雲庭の碑が建つ 東福寺 光明院 庫裡前にある嶺雲庭 東福寺 光明院 庫裡の三和土 拝観料は志納で庫裡にある竹筒の中に入れる 東福寺方丈の繰り返しになるが… ►続きを読む
東福寺 方丈 その2
東福寺 方丈(ほうじょう)その2 2008年12月22日訪問 東福寺 方丈 八相の庭 東福寺の開山堂と普門院の楼門を出て、再び通天橋を渡り仏殿まで戻る。その後、東福寺の方丈を拝観する。 東福寺 方丈 八相の庭 横からの眺め 東福寺 方丈 八相の庭 正面からの眺め 東福寺の方丈庭園は前回の訪問の時にかなり書いたので、書き足すことはそれ程多くないので、新たな写真を中心に感想を記していく。 東福寺 方丈 八相の庭 東福寺 方丈 八相の庭 奇岩が用いられている 昭和14年(1939)に作庭された東福寺方丈の4つの庭、「八相の庭」、「井田の庭」、「市松の庭」そして「北… ►続きを読む
東福寺 開山堂・普門院 その3
東福寺 開山堂・普門院(かいざんどう・ふもんいん)その3 2008年12月22日訪問 東福寺 開山堂・普門院 開山堂庭園 鶴島と亀島 かげまるくん行状集記 に掲載されている本朝寺塔記には京都十刹としての普門寺についての記述がある。 東福寺の項でも触れたように、東福寺創設には長い年月を要している。九条道家が京都最大の大伽藍の造営に着手したのが、嘉禎2年(1236)であり、完成に至ったのが実に建長7年(1255)のことであった。奈良における最大の寺院・東大寺と最も隆盛を極めた寺院・興福寺になぞらえて計画された寺院であったため、東大寺と興福寺から一字づつを取り、東福寺と名付けられた。上記の普… ►続きを読む
東福寺 開山堂・普門院 その2
東福寺 開山堂・普門院(かいざんどう・ふもんいん)その2 2008年12月22日訪問 東福寺 開山堂・普門院 東福寺の塔頭・霊雲院の山門を出て再び一華院と同聚院の間の道を戻る。この道の突き当たりにある大機院は、北側に並ぶ栗棘庵や善慧院と比べると高台の上に建てられている。いつも感じるが、この大機院の山門を見るために上る石段の途中からの眺めは美しい。 日下門を目指し南に進む。右手の一華院を過ぎると、左手に月華門が現れる。文永5年(1268)一条実経が常楽庵を建立した際、亀山天皇が京都御所の月華門を下賜された門とされている。常楽庵とはこれから向かう開山堂の別名である。檜皮葺切妻造、朱塗りの四… ►続きを読む
東福寺 霊雲院 その3
東福寺 霊雲院 (れいうんいん)その3 2008年12月22日訪問 東福寺 霊雲院 九山八海の庭 霊雲院の庭園は重森三玲の手によって修復、作庭されている。 東福寺 霊雲院 遺愛石 東福寺 霊雲院 東福寺 霊雲院 九山八海の庭 と 臥雲の庭 の交わる部分 「重森三玲 永遠の求めつづけたアヴァンギャルド」(京都通信社 2007年)に掲載されている年譜を見ると、遺愛石を復元修復した九山八海の庭は昭和45年(1970)、新たに作庭した臥雲の庭は翌年の昭和46年(1971)の作となっている。この東福寺と泉涌寺には多くの重森の作品が残されている。昭和14年(1939)という最初… ►続きを読む
東福寺 霊雲院 その2
東福寺 霊雲院 (れいうんいん)その2 2008年12月22日訪問 東福寺 霊雲院 山門 東福寺の塔頭・同聚院を出て、隣の一華院との間の道を西に入っていく。同聚院と一華院の2つの塔頭の白壁に囲まれた参道は東福寺の境内の中でも美しい風景の一つである。ただ長方形の敷石を5本並べた延段は、非常に簡素であるが力強い表現でもある。この参道の突き当たった先から、やや左手に建てられた霊雲院の赤い山門へ、延段は方向を変えながら結んでいく。何気ない意匠であるが破綻のない表現で纏められている。 東福寺 霊雲院 一華院と同聚院の間の小道 東福寺 霊雲院 山門へ続く 霊雲院は南北時代の明徳元年(… ►続きを読む
泉涌寺 雲龍院 その2
泉涌寺 雲龍院(うんりゅういん)その2 2008年12月22日訪問 泉涌寺 雲龍院 書院庭園の全景 泉涌寺 雲龍院の項から書き始めた、室町幕府の開闢から雲龍院の創建にかけての40年間の政治情勢をもう少し続ける。 足利尊氏は南朝と和睦を結ぶという禁じ手を使用することで、一時的に足利直義討伐に勢力を集中することが可能になり、直義を降伏に追い込むことに成功する。しかしこの代償は大きかったのではないだろうか。尊氏は再び南朝方の攻勢に晒されるようになる。 北畠親房の指揮の下、東西で呼応して京と鎌倉の同時奪還を企て、正平7年(1352)2月に尊氏の征夷大将軍を解任し、後醍醐天皇の皇子・宗良親王を奉… ►続きを読む
泉涌寺 雲龍院
泉涌寺 雲龍院(うんりゅういん) 2008年12月22日訪問 泉涌寺 雲龍院 山門 泉涌寺の大門を出る前に、参道の南側の分かれ道を入って行く。泉涌寺 その3で記したように経蔵や解脱金剛宝塔など見ながら東に進むと、雲龍院の2つの門が現れる。 泉涌寺 雲龍院 浴室脇から続く石段 泉涌寺 雲龍院 山門と表門が並ぶ 真言宗泉涌寺派は古義真言宗に属し、総本山は泉涌寺である。泉涌寺は密(天台・真言)・禅・律・浄の四宗兼学の道場として、俊芿が開創したことにより始まる。このような独自の宗風を保ち、さらに皇室の香華寺として護られてきたが、明治時代に入ると皇室による保護も無くな… ►続きを読む
泉涌寺 本坊
泉涌寺 本坊(せんにゅうじ ほんぼう) 2008年12月22日訪問 泉涌寺 本坊 御座所庭園 月輪陵の白砂を敷き詰めた前庭には御座所庭園とつなぐ木戸がある。その位置を確認した上で、再び勅使門の前を戻り、泉涌寺本坊に入る。 泉涌寺 本坊 霊明殿の唐門 泉涌寺 本坊 泉涌寺 本坊 泉涌寺本坊は、霊明殿、御座所そして海会堂の3つの建物とそれらをつなぐ御座所庭園によって構成されている。霊明殿は、四条天皇御尊像と御尊牌をはじめ、明治天皇・昭憲皇太后・大正天皇・貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后の御真影と御尊牌、それ以前の天皇・后妃・親王方の御尊牌を奉安し、回向を行うための施設である… ►続きを読む
泉涌寺 来迎院 その2
泉涌寺 来迎院(らいごういん)その2 2008年12月22日訪問 泉涌寺 来迎院 石橋と山門 善能寺の山門を出ると、目の前の谷に石橋が架かる。この橋の先に来迎院の山門が建てられている。 泉涌寺 来迎院 山門脇に建つ碑 ゆな荒神社と独鈷水が記されている 泉涌寺 来迎院 左手に本堂、正面に荒神堂への石段 泉涌寺 来迎院 右は独鈷水 大同元年(806)弘法大師が荒神像を安置したのが、来迎院の始まりとされている。唐で修行を行っていた弘法大師が感得した荒神尊の像を日本に持ち帰り、この来迎院の地に草庵を結び祀ったとされている。弘法大師が奉祀した400年後の建保6年(1218)… ►続きを読む
泉涌寺 善能寺 その3
泉涌寺 善能寺(ぜんのうじ)その2 2008年12月22日訪問 泉涌寺 善能寺 遊仙苑の鶴亀石 善能寺 その2で書いたように、善能寺は八条猪熊通にあり二階観音堂と呼ばれていた。そして弘仁14年(823)弘法大師が稲荷大明神を祀る寺として善能寺と号している。 泉涌寺 善能寺 本堂の祥空殿 泉涌寺 善能寺 三尊石 泉涌寺 善能寺 三尊石裏の築山 その後、 天文24年(1555)後奈良天皇により泉涌寺の護持院として今熊野観音寺の西北に移されている。そして明治維新を経て荒廃し、明治20年(1887)再興の時に現在の地に移される。もともとこの地には安楽光院という塔頭があった… ►続きを読む
泉涌寺 善能寺 その2
泉涌寺 善能寺(ぜんのうじ)その2 2008年12月22日訪問 泉涌寺 善能寺 山門 宮内庁書陵部月輪陵墓監区事務所の前を過ぎると、善能寺の白い塀が現れる。丸く曲げられた塀の角を越えると、左手に来迎院の山門と石橋、右手に善能寺の山門が見える。 泉涌寺 善能寺 塀の先に山門が見える 泉涌寺 善能寺 境内の角から振り返る 今熊野観音寺の鳥居橋が見える 善能寺は、もともと八条猪熊通にあり二階観音堂と呼ばれていた。偶然ではあるが、かつて戒光寺があった地と近い。そして弘仁14年(823)弘法大師が稲荷大明神を祀る寺として善能寺と号している。 泉涌寺 善能寺 泉涌寺 善能… ►続きを読む
祇王寺
真言宗大覚寺派 高松山 往生院祇王寺(ぎおうじ) 2008年12月21日訪問 祇王寺 厭離庵から愛宕街道に戻り、二尊院の前を北に向かって進む。嵯峨二尊院門前往生院町の角に建つ、愛宕道 祇王寺、三宅安兵衛遺志の祇王寺・久保田米僊・金子静枝墓、新田公首塚碑道、檀林寺門跡の4本の道標に従い、西に折れる。小倉山の斜面を少しづつ上っていくと、右手に檀林寺、正面に滝口寺と祇王寺が現れる。この3つの寺院を本日最後に拝観する予定であったが、スケジュールの大幅な遅れから一箇所のみの拝観となってしまった。既に大覚寺に拝観した際、大覚寺と祇王寺の共通拝観券を購入したので、必然的に祇王寺に決まった。 祇王… ►続きを読む