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東福寺 龍吟庵
東福寺 龍吟庵(とうふくじ りゅうぎんあん) 2008年11月22日訪問 東福寺 龍吟庵 龍吟庭 2008年秋の特別拝観を見るため、6時発の新幹線で東京を出て京都を訪れる。京都駅の八条口より徒歩で東福寺に向う。新幹線からJR奈良線に乗り換えて東福寺駅で下車することも可能だが、乗り換えの時間を考えると歩くのとそれ程変わらないので、今回は歩いて東福寺に行くこととした。東洞院通の京都駅から先の部分は竹田街道とされているが、この道を南に下り九条通を東に入る。 東山橋から鴨川を眺める 東福寺駅の踏切 電車が来る直前 鴨川に架かる東山橋を渡ると、JR奈良線と京阪電鉄の東福寺駅の踏み切… ►続きを読む
実相院門跡
天台宗単立寺院 岩倉山 実相院門跡 (じっそういんもんぜき) 2008年05月20日訪問 実相院門跡 西庭園 円通寺の山門を出て、京都府道40号線下鴨静原大原線を少し大原方向に下り、民家の中に入っていく。円通寺 その2で触れたように、新しい道路が作られ、まさにこれから住宅街として開発されようとしていた。恐らく現在はさらに進んでいるのだろう。東の方向に進んでいくと10分程度で京都バスの円通寺道停留所に着いた。ここから岩倉の実相院に行くため、岩倉村松行きのバスに乗車し、国際会館駅前、岩倉駅を経由して岩倉中町で下車し、あとは徒歩で向かう。岩倉中道を北上し、途中で西側を並行に南北に走る京都府道… ►続きを読む
円通寺 その2
臨済宗妙心寺派大悲山 円通寺 (えんつうじ) その2 2008年05月20日訪問 円通寺 庭園 円通寺の項でも触れたように、後水尾上皇は正保4年(1647)より長谷と岩倉の山荘に行幸を重ねてきた。そして慶安元年(1648)4月にも長谷の山荘に行幸し田植えを見学している。翌慶安2年(1649)9月には東福門院、顕子内親王そして明正上皇を伴い長谷と岩倉を訪れている。上皇はこの行幸において幡枝で観月の宴を開いている。これが最初の幡枝への行幸であり、幡枝御殿の上御茶屋であったと考えられている。 円通寺 比叡山の眺め 正伝寺 比叡山の眺め 小沢朝江氏の論文「後水尾院の幡枝御殿につい… ►続きを読む
円通寺
臨済宗妙心寺派大悲山 円通寺 (えんつうじ) 2008年05月20日訪問 円通寺 庭園 八大神社の一の鳥居と一乗寺下り松を見た後、曼殊院道を西に進み白川通に出る。そのまま北大路通の交差点辺りまで白川通を南に下る。昼食を摂った後、タクシーに乗車し幡枝の円通寺を目指す。車は白川通を北上し、白川通北山の交差点で左折し、叡山電鉄と高野川を越えて北山通を西に走る。昨日、深泥池から上賀茂神社へ歩いた道と同じように、北山通から鞍馬街道に入り北上する。深泥池畔からさらに鞍馬街道を進む。道は次第に勾配をきつくしていくと共に、民家の数も少なくなっていく。白川通北大路から、およそ20分弱で円通寺の前に着いた… ►続きを読む
詩仙堂丈山寺 その2
曹洞宗大本山永平寺派 詩仙堂丈山寺 (しせんどうじょうざんじ) その2 2008年05月20日訪問 詩仙堂 書院庭園 山茶花の樹の元に小有洞の扁額が掛かる表門がある。これを潜り境内に入っていくと、両側の竹林の中を石段と真直ぐ伸びる参道が見える。突き当りの石垣を左に曲がると老梅関という中門が建物の前に現れる。雲形の2つの窓の左側は、蜂腰の額の架かる玄関である。この玄関はやや低く、蜂のように腰をかがめて出入りしたため名付けられている。残念ながら現在の拝観順路から外されているため、この玄関から入ることは出来ないが、この玄関越しに詩仙堂の有名な庭園が開けている。 建物の内部に入る。西側の8畳と… ►続きを読む
詩仙堂丈山寺
曹洞宗大本山永平寺派 詩仙堂丈山寺 (しせんどうじょうざんじ) 2008年05月20日訪問 詩仙堂 嘯月楼 曼殊院道を西に下り、小川に架かる橋まで進む。ここで南に折れ、清賢院、西圓寺そして圓光寺の前を通り南に下ると、一乗寺下り松と八大神社を結ぶ道に行き当たる。詩仙堂はこの八大神社の西隣である。 詩仙堂は、曹洞宗大本山永平寺派の寺院で、六六山詩仙堂丈山寺 凹凸窠が正式な名称となっている。凹凸窠とは、でこぼこの土地に建てられた住居の意味である。実際に詩仙堂の建物や庭園は、山の斜面に沿って段状に作られている。開基である石川丈山は詩仙の間を含め、建物や庭の10の要… ►続きを読む
曼殊院門跡 その2
天台宗 曼殊院門跡 (まんしゅいんもんぜき) その2 2008年05月20日訪問 曼殊院門跡 鶴島の五葉松 北通用門から庫裡を通り、大玄関に入る。勅使門を潜った賓客は大玄関で迎えられ、唐門を通り書院庭園に入って行ったと思われる。現在の拝観順路は、大玄関から大書院に向けて斜めに架けられた廊下を進むこととなるが、このあたりの印象は弱く、なぜか記憶に残っていない。それだけ、この先に待っている大書院、小書院そして庭園の印象が強かったからであろう。 曼殊院門跡 花の間のある一文字手水鉢 曼殊院門跡 曼殊院門跡 大書院は杮葺寄棟造で、むくりのある屋根を載せた建物。… ►続きを読む
曼殊院門跡
天台宗 曼殊院門跡 (まんしゅいんもんぜき) 2008年05月20日訪問 曼殊院門跡 勅使門 音羽川を挟んで、林丘寺の対岸の道を東に進むと、畑の中に歴史的風土特別保存地区を示す碑が建つ。そのまま坂を登っていくと、関西セミナーハウスとの表示がある。ここを右に折れると、曼殊院天満宮の池泉と曼殊院門跡の間に出る。本来の曼殊院道はさらに一本南を通り、鷺森神社の南側の道となる。 曼殊院門跡 曼殊院天満宮と弁天堂の鳥居 曼殊院門跡 曼殊院天満宮の弁天池 曼殊院の歴史は、延暦年間(728~806)まで遡る。宗祖最澄(伝教大師)は鎮護国家の道場を比叡山に創建している。その後、天暦年間(9… ►続きを読む
大徳寺 高桐院
大徳寺 高桐院(こうとういん) 2008年05月19日訪問 大徳寺高桐院 客殿南庭 大仙院を出て、法堂から孤蓬庵をつなぐ東西道を西に進む。総見院の前を過ぎて、南に入ると右手に高桐院の入口が現れる。ここには表門はなく、築地塀がコ字状に囲み、訪問者を参道に導いている。 戦国武将で熊本藩細川家初代となる細川忠興は、父細川藤孝の弟にあたる玉甫紹琮を開山として慶長7年(1602)高桐院を創建している。忠興の遺言により遺歯が高桐院に埋葬され、細川家の菩提寺となる。 大徳寺高桐院 左奥に表門が見える 細川忠興は永禄6年(1563年)第13代将軍足利義輝に仕える幕臣・細川藤孝の長男として京都で… ►続きを読む
大徳寺 大仙院
大徳寺 大仙院(だいせんいん) 2008年05月19日訪問 大徳寺大仙院 表門 瑞峯院を出て、興臨院の前を通り、勅使門の横に出る。そのまま山門、仏殿、法堂そして本坊の西側を北に向かい進むと、正面に芳春院、右に大仙院と真珠庵が並ぶ。大仙院は常時公開している塔頭ではあるが、写真撮影不可である。そのため庫裏に入るところまでしか記録が残っていない。一番最初に大仙院を訪れたのは中学校の修学旅行の時であったように記憶している。前の住職である尾関宗園氏が昭和40年(1965)に33歳で大仙院12世住職・桃林宗園禅師となった頃のことである。ともかく大きな声で叱られる様に感じるほどの講話を頂いたことは鮮… ►続きを読む
大徳寺 瑞峯院
大徳寺 瑞峯院(ずいほういん) 2008年05月19日訪問 大徳寺瑞峯院 方丈南庭 独坐庭 玄関側から眺める 興臨院を出て、南隣の瑞峯院を訪れる。瑞峯院は常時公開されている4つの塔頭のひとつである。 瑞峯院は大友宗麟が帰依していた大徳寺91世徹岫宗九を開祖に迎え、自らの菩提寺として創建している。瑞峯院という寺号は宗麟の法名・瑞峯院殿瑞峯宗麟居士から名付けられたもの。 大徳寺瑞峯院 表門 大徳寺瑞峯院 庫裏の花頭窓が見える 大友宗麟は大友氏第21代、豊後の戦国大名でキリシタン大名として有名である。享禄3年(1530)大友義鑑の嫡男・義鎮として生まれる。天文19年(1550)… ►続きを読む
大徳寺 興臨院
大徳寺 興臨院(こうりんいん) 2008年05月19日訪問 大徳寺興臨院 方丈南庭 龍源院を出て、勅使門まで戻ると興臨院の表門が左手に見えてくる。興臨院は通常非公開寺院であるが、春と秋に特別公開が行われるので、丁度訪問した時が幸運にも春の特別公開日に入っていたのだろう。 大徳寺興臨院 平唐門の表門 大徳寺興臨院 方丈玄関を眺める 興臨院は大永年間(1521~1528)あるいは天文年間(1521~1533)に、能登の守護・畠山義総が、自らの法名・興臨院殿伝翁徳胤大居士を寺号として建立している。 畠山義総は能登畠山氏の第7代当主で、能登畠山氏の全盛期を創出した名君として知られ… ►続きを読む
大徳寺 龍源院
大徳寺 龍源院(りゅうげんいん) 2008年05月19日訪問 大徳寺 龍源院 龍吟庭 大徳寺の本坊は非公開であるので、勅使門、山門、仏殿、法堂を見終わると、次は公開されている塔頭に入ることとなる。龍源院は、北大路通から勅使門に向って参道を進んで行った先の左手に位置している。 龍源院は文亀2年(1502)能登の畠山義元、周防の大内義興、豊後の大友義親の三氏によって創建されている。開祖は大徳寺72世住持の東溪宗牧で大徳寺南派の本庵となっている。いわゆる大徳寺四法脈とされている龍源派、大仙派、龍泉派、真珠派であるが、その中でも大仙院を北派の本庵、そして龍源院を南派の本庵としている。茶の湯の楽… ►続きを読む
正伝寺
臨済宗南禅寺派 吉祥山 正伝護国禅寺(しょうでんごこくぜんじ) 2008年05月19日訪問 正伝寺 庭園 山を背にして建つ法雲寺を見上げながら、道を進むと正伝寺の駐車場と山門が現れる。 正伝寺は、臨済宗南禅寺派で諸山の格式を持つ寺院で、山号は吉祥山、正式な寺号は正伝護国禅寺という。北条時宗が鎌倉幕府執権になる文永5年(1268)鎌倉の建長寺で学んだ東巌慧安が、師である兀庵普寧を開山として烏丸今出川に正伝寺を創建している。 慧安は、嘉禄元年(1225)播磨国に生まれ、播磨の書写山圓教寺で出家受戒し、天台教学を学ぶ。泉涌寺で学んだ後、正嘉元年(1257)中国の宋へ渡るため博多へ下ったが、… ►続きを読む
慈照寺 その3
臨済宗相国寺派東山 慈照寺 その3(じしょうじ) 2008年05月17日訪問 慈照寺 銀閣 慈照寺 その1で造営者である第8代将軍足利義政についてと、慈照寺が建てられた土地の意味、そして義政が東山殿で実現しようと考えていたことについて書いてきた。そして慈照寺 その2では、慈照寺造営にあたり行ってきた掠奪の一端を見ることで、義政の東山殿にかける執念を知ることができた。そして掠奪で完成した理想の庭園が、義政の死後掠奪の対象となり、衰退していく様を見てきた。この項では、その後の慈照寺がどのように再興され、現在私達の見るものとなったかについて触れていく。 慈照寺 銀閣、方丈、東求堂 吉田山… ►続きを読む
慈照寺 その2
臨済宗相国寺派東山 慈照寺 その2(じしょうじ) 2008年05月17日訪問 慈照寺 錦鏡池と東求堂 法然院から再び哲学の道に戻り北に向かう。銀閣寺道に架かる銀閣寺橋で熊野若王子神社から始まった哲学の道が終わる。そして、この橋の傍らに哲学の道という碑が置かれている。西から来た今出川通は鹿ケ谷通と交わり、銀閣寺橋から東側は両側に土産物屋が並ぶ銀閣寺の参道となる。この参道を150メートルくらい進むと慈照寺の総門に達する。 慈照寺 東求堂 慈照寺 洗月泉 一般に銀閣寺と呼ばれることも多いが、臨済宗相国寺派萬年山 相国寺の山外塔頭で山号は東山、寺号は慈照寺である。これは北山 鹿苑… ►続きを読む
慈照寺
臨済宗相国寺派東山 慈照寺 その1(じしょうじ) 2008年05月17日訪問 慈照寺 銀閣寺垣の参道 法然院から再び哲学の道に戻り北に向かう。銀閣寺道に架かる銀閣寺橋で熊野若王子神社から始まった哲学の道が終わる。そして、この橋の傍らに哲学の道という碑が置かれている。西から来た今出川通は鹿ケ谷通と交わり、銀閣寺橋から東側は両側に土産物屋が並ぶ銀閣寺の参道となる。この参道を150メートルくらい進むと慈照寺の総門に達する。 一般に銀閣寺と呼ばれることも多いが、臨済宗相国寺派萬年山 相国寺の山外塔頭で山号は東山、寺号は慈照寺である。これは北山 鹿苑寺と同じ関係である。 慈照寺 銀閣寺橋 哲… ►続きを読む
法然院
浄土宗捨世派善気山 法然院萬無教寺(ほうねんいん) 2008年05月17日訪問 法然院 白砂壇と山門 霊鑑寺から再び安楽寺の前を通り北に進むと、圓光大師御舊跡と記された碑が左側に建つ石段とその先に鬱蒼とした木々が現れる。石段の上には2本の門柱とそれから連なる柵が両側に見える。門柱には横木が渡されていないし扉もないので、門とは言えないのかもしれないが、ここから先が境内であることを示している。 圓光大師は元禄10年(1697)東山天皇より賜った大師号であり、500年遠忌の行なわれた正徳元年(1711)以降、50年ごとに時の天皇より諡号を賜られる習わしとなっている。ちなみに一番近いところでは… ►続きを読む
智積院 その2
真言宗智山派総本山智積院(ちしゃくいん) その2 2008年05月16日訪問 智積院 庭園 東大路通から増田友也設計の智積院会館を右手に見ながら境内に入る。二本の柱に横木を渡した冠木門を潜り、拝観受付所を過ぎると正面に金堂が現れる。この金堂は宗祖弘法大師の生誕1200年記念事業として昭和50年(1975)に建設されたものである。もとの金堂は元禄14年(1701)智積院第10世専戒僧正が発願し、 5代将軍綱吉の生母である桂昌院より与えられた金千両を基に寄付を集め、宝永2年(1705)に建立されたものであった。しかし明治15年(1882)の火災により焼失している。 智積院 庭園 中央の… ►続きを読む
智積院
真言宗智山派総本山智積院(ちしゃくいん) その1 2008年05月16日訪問 智積院 金堂 並河靖之七宝記念館から、神宮道に出る。平安神宮の大鳥居に向かい進むと京都市営バス 京都会館美術館前停留所が現れる。ここから京都市営バス100号に乗り、東山七条に向かう。京都国立博物館の裏側で下車し、交差点を渡り智積院の総門の前に立つ。拝観者は総門の南側にある二本の柱に横木を渡した冠木門から入ることとなる。 智積院は真言宗智山派総本山智積院で、山号を五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺という。真言宗智山派には有名な成田山新勝寺、金剛山金乗院平間寺(川崎大師)、高尾山薬王院など3つの大本山と高幡山明… ►続きを読む