徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

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教王護国寺(東寺) その2

 

真言宗総本山 八幡山 教王護国寺(きょうおうごこくじ) その2 2008年05月18日訪問 東寺 金堂 東大寺の大仏殿を思い起こされる大仏様  東寺の建物を中心に南側から境内を見ていく。 東寺 南大門に掛かる提燈とその奥に見える金堂  まず九条通に面して建つ南大門は明治28年(1895)に三十三間堂の西門を移築したものであり、重要文化財に指定されている。 東寺 金堂  南大門から一直線上に配置された伽藍の一つである金堂は国宝に指定されている。東寺の中心をなす堂宇で、諸堂塔のうちもっとも早くから建設が始められている。弘仁14年(823)の空海への下賜の際には、既に完成していたと… ►続きを読む

 

教王護国寺(東寺)

 

真言宗総本山 八幡山 教王護国寺(きょうおうごこくじ) その1 2008年05月18日訪問 東寺 五重塔と庭園  六孫王神社から八条通を大宮通の方向に少し戻ると、重要文化財に指定されている東寺の北総門が南側に現れる。ここより東寺に入っていく。右手の洛南高等学校、左手の塔頭の間を東寺の北大門へ向かって櫛笥小路を進む。この小路は平安時代に道が作られた時の幅員を現在に伝えていると言われている。東西に走る針小路通は骨董通と呼ばれるように、弘法市が行われる日にはこの周辺にも露店が建ち並ぶようだ。針小路通を越えると観智院の虚空蔵菩薩の提燈が見えてくる。観智院は春と秋に特別公開が行われ、今回は春季特別… ►続きを読む

 

真宗本廟(東本願寺)

 

浄土真宗大谷派本山 真宗本廟(東本願寺) (しんしゅうほんびょう) 2008年05月18日訪問 東本願寺 阿弥陀堂  西本願寺の阿弥陀堂門から続く正面通を東に進み、新町通に突き当たると南に下る。やがて大きな七条通に出ると、東本願寺の境内を区切る塀が現れる。この塀を回りこむように堀川通を北上すると東本願寺の正面に出る。  西本願寺に対して東本願寺と呼ぶが、正式には真宗大谷派の本山で山号はなく、真宗本廟という。  第8世の蓮如は本願寺を再興し、現在の本願寺教団の礎を築いたことより中興の祖とされている。この後、第11世顕如の時代に戦国時代を向え、本願寺の教勢も大いに発展する。それと同時に日本有… ►続きを読む

 

興正寺

 

浄土真宗興正派本山円頓山 興正寺(こうしょうじ) 2008年05月18日訪問 興正寺 左に御影堂、右に阿弥陀堂  西本願寺の唐門と大玄関門を見学した後、北小路通を東に進み、再び堀川通に戻る。北小路通を挟み西本願寺の広大な境内の南側には興正寺が並ぶ。堀川通に面して北に阿弥陀堂門、中央に三門とふたつの門が建ち、境内には真宗建築の伽藍配置である阿弥陀堂と御影堂が東面して配置されている。三門も御影堂も非常に規模の大きな建物であるが、隣の西本願寺があまりにも巨大なため、どうしても小ぶりなイメージになってしまう。御影堂の正面の縦横比は、西本願寺が62メートル:29メートルに対して興正寺が33メートル… ►続きを読む

 

本願寺(西本願寺) その2

 

浄土真宗本願寺派本山龍谷山 本願寺(西本願寺) その2(ほんがんじ) 2008年05月18日訪問 本願寺 唐門  西本願寺の建物の配置は真宗建築の典型となっている。境内図に従って見ていくと、まず堀川通に面して阿弥陀堂門と御影堂門が並ぶ。境内に入ると阿弥陀堂が北、御影堂が南に建てられている。二つの建物を比較すると阿弥陀堂の方がやや小振りな建物であることが分る。 阿弥陀堂は宝暦10年(1760)に再建されている。東西42メートル、南北45メートル、高さ25メートルで重要文化財に指定されている。中央に阿弥陀如来の木像、左右にインド・中国・日本の念仏の祖師七師と聖徳太子の影像が安置されている。 … ►続きを読む

 

本願寺(西本願寺)

 

浄土真宗本願寺派本山龍谷山 本願寺(西本願寺) その1(ほんがんじ) 2008年05月18日訪問 本願寺 御影堂と阿弥陀堂  四条烏丸から地下鉄烏丸線に1駅乗車し、五条駅で下車する。東本願寺の北側の花屋町通を東に進み、堀川通に出ると、目の前に西本願寺の堂宇が現れる。 本願寺 堀川通の眺め 本願寺 堀川通沿いには堀が作られている  西本願寺は、浄土宗本願寺派の本山で山号は龍谷山、寺号は本願寺である。数多くの国宝、重要文化財を保有し、平成6年(1994)ユネスコの世界遺産に登録される。浄土真宗の宗祖親鸞は、日野誕生院の項で触れたように承安3年(1173)現在の法界寺、日野誕生院付… ►続きを読む

 

相国寺

 

臨済宗相国寺派大本山萬年山 相国承天禅寺(しょうこくじょうてんぜんじ) 2008年05月17日訪問 相国寺 法堂  拾翠亭から京都御苑に戻り、拾翠亭と閑院宮邸の間にある間ノ町口から丸太町通に出る。丸太町駅から地下鉄烏丸線で1駅乗車し、今出川駅より徒歩で相国寺に向かう。烏丸通を北に進み、同志社中学校のグランドを右に折れると相国寺の西門が現れる。 相国寺は臨済宗相国寺派大本山の寺院で、山号を萬年山と称し、正式名称は相国承天禅寺。京都五山においては別格の南禅寺と第1位の天龍寺に次ぎ第2位に列せられている。13の塔頭寺院、鹿苑寺、慈照寺、真如寺の3つの山外塔頭がある。創立当時の相国寺は、南は室町… ►続きを読む

 

金戒光明寺

 

金戒光明寺(こんかいこうみょうじ) 2008年05月17日訪問 金戒光明寺 文殊塔  真正極楽寺の本堂の裏を南に歩いていくと、いつの間にか金戒光明寺の境内に入っていく。 浄土宗総本山の金戒光明寺の山号は紫雲山。浄土宗の開祖・法然は、知恩院、安楽寺そして法然院で触れたように、長承2年(1133)に現在の岡山県にあたる美作国久米南条稲岡庄、押領使(律令制の令外官の一つ。警察・軍事的官職)・漆間時国の長子として生れている。幼名を勢至丸と言い、9歳の時父が源内武者貞明の夜襲を受け不意討ちに倒れている。その後比叡山に登り、源光上人に師事するが、15歳の頃に同じ比叡山の皇円の下で得度し、比叡山黒谷の… ►続きを読む

 

真正極楽寺 (真如堂)

 

天台宗鈴聲山 真正極楽寺 (しんしょうごくらくじ) 2008年05月17日訪問 真如堂 本堂  吉田神社の末社・斎場所大元宮から宗忠神社に向って坂道を下る途中で、大きな屋根と三重塔が正面に見えてくる。これが真如堂の堂宇である。宗忠神社の石段を下り、神樂岡東陵を左手に見ながら進むと、真如堂の朱塗りの総門が参道の奥に現れる。 真如堂 総門 真如堂 参道  一般に呼ばれている真如堂は本堂の名称で、正式な寺号は真正極楽寺。天台宗の寺院で山号は鈴聲山、本尊は阿弥陀如来、開基は戒算である。  永観2年(984)比叡山の僧である戒算が比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来を一条天皇生母である東三条院… ►続きを読む

 

霊鑑寺門跡

 

臨済宗南禅寺派円成山 霊鑑寺門跡(れいかんじもんぜき) 2008年05月17日訪問 霊鑑寺門跡  安楽寺の山門の下に続く美しい石段を後にして、南に100メートルも下らないうちに、霊鑑寺門跡の大きな石段が現れる。石段の右手には後水尾天皇創建谷の御所霊鑑寺門跡の碑が建つ。 霊鑑寺は臨済宗南禅寺派の門跡尼寺で山号は円成山。谷の御所の他にも鹿ヶ谷比丘尼御所とも呼ばれる。  霊鑑寺については資料も少なく、不明なことも多かった。特にその創設と如意寺との関係については、京の通称寺 の 169谷の御所・鹿ヶ谷の妙見さん(http://tuusyou.hp.infoseek.co.jp/t169.html… ►続きを読む

 

安楽寺

 

浄土宗住蓮山 安楽寺(あんらくじ) 2008年05月17日訪問 安楽寺 緩やかな勾配の石段が美しい  櫻本陵から哲学の道に戻り、一本北側の道を東に入ると、法然院、安楽寺そして霊鑑寺をつなぐ道に出る。この道を南に下ると、程なくして道沿いに植えられた大樹と石段とその上に建つ萱葺きの山門が現れる。 鎌倉時代の始め、浄土宗の開祖・法然上人には住蓮房と安楽房遵西の弟子がいた。2人は鹿ケ谷草庵を結び、恵心僧都源信作の座像の阿弥陀如来を本尊として、六時礼讃の念仏会を行っていた。六時礼讃とは、浄土教における法要のひとつであり、中国の僧善導の「往生礼讃偈」に基づいて1日を日没、初夜、中夜、後夜、晨朝、日中… ►続きを読む

 

積善院

 

積善院(せきぜんいん) 2008年05月17日訪問 積善院 五大力尊の赤い幟が立つ  聖護院門跡の東隣には、五大力尊の赤い幟が立つ積善院がある。五大力とは、不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の五つの明王の総称である。毎年2月23日には五大力尊法要が行われている。 積善院は聖護院の塔頭寺院で鎌倉時代初期の創建と伝わる。聖護院門跡が支配していた本山派山伏の統括事務を代行する院家で栴ノ坊(なぎのぼう)と呼ばれていた。元々は熊野神社の西北、現在の京都大学医学部付属病院のあたりにあった。 凖提堂は江戸時代に建立された準提観音を本尊とする寺院で、熊野神社の東南にあった。明治の… ►続きを読む

 

聖護院門跡

 

本山修験宗総本山 聖護院門跡(しょうごいんもんぜき) 2008年05月17日訪問 聖護院門跡  熊野神社の境内を出て、東山丸太町の交差点を東側に渡り、丸太町通の一本北側の道、金戒光明寺へと続く春日上通を東に100メートルも進まぬうちに、築地塀に囲まれた大きな地所が現れる。ここが聖護院門跡である。 聖護院の創建は、熊野神社の項で既に触れたように、寛治4年(1090)増誉大僧正が白河上皇から熊野三山検校を任命されると同時に賜った聖体護持の2字を取った聖護院である。  増誉大僧正は長元5年(1032)に大納言藤原経輔の子として京に生まれている。その後、6歳で園城寺(三井寺)の乗延に師事し、行円… ►続きを読む

 

方広寺

 

方広寺(ほうこうじ) 2008年05月16日訪問 方広寺 12本の柱を持つ巨大な鐘楼  豊国神社の鳥居と唐門を結ぶ参道の途中から北側に歩いていくと方広寺の境内へ入って行く。どこまでが豊国神社でどこからが方広寺かが良く分からない。 方広寺は天台宗山門派の寺院で文禄4年(1595)豊臣秀吉によって創建されている。方広寺の歴史は豊臣家の大仏造営の歴史でもある。天正14年(1586)秀吉は奈良の東大寺に倣って、京の地に大仏の建立を計画した。既に永禄10年(1567)松永久秀が引き起こした東大寺大仏殿の戦いの兵火により東大寺大仏殿は平重衡の時以来二度目の焼失に遭い、大仏も頭部を失っている。当時より… ►続きを読む

 

蓮華王院

 

天台宗蓮華王院(れんげおういん) 2008年05月16日訪問 蓮華王院 三十三間堂  智積院を出て、京都国立博物館とハイアットリージェンシー京都の間を西に進むと、七条通の南側に蓮華王院が現れる。大和大路通の角から境内に入る。 蓮華王院は、智積院の北側に位置する天台宗南叡山妙法院の境外寺院であるため、山号がない。また、広く三十三間堂と呼ばれているのは、蓮華王院の本堂内陣の柱間が33あるという建築的な特徴からきている。この33という数字は観音菩薩の変化身三十三身にもとづいて決められている。ちなみに建物外部の柱間は35となる。 この地にはもともと後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿があった。後… ►続きを読む

 

佛光寺本廟

 

佛光寺本廟(ぶっこうじ ほんびょう) 2008年05月16日訪問 佛光寺本廟  粟田神社の急な参道を下り、青蓮院から来た道をさらに東に入ると道幅は次第に細くなる。この道の右側に佛光寺本廟の山門が現れる。 佛光寺は下京区高倉通仏光寺下ル新開町にある真宗佛光寺派本山。山号は渋谷山。佛光寺の公式HPによるとその起源は、越後に流罪にされた親鸞が、赦免の翌年建暦2年(1212)に京都に戻り、山科の地に草庵を結んだことに始まる。真宗開闢の根本道場を意味して、興隆正法寺と号していた。この後、親鸞は弟子の真仏に任せ、関東での布教活動に旅立ったとされている。 元応2年(1320)第七世了源により、教化活動… ►続きを読む

 

知恩院

 

浄土宗総本山 華頂山 知恩院(ちおんいん) 2008年05月16日訪問 知恩院 三門  ねねの道を北に進むと祇園閣のある大雲院に突き当たる。ここを右に折れ、円山音楽堂を右手に見ながら北に向かって歩くと円山公園の中に入り込む。そのまま公園内を横切り、南門をくぐると右手に知恩院の巨大な三門が現れる。 知恩院 女人坂を上る 知恩院 男坂から三門を眺める  知恩院は、浄土宗の宗祖・法然が東山吉水、現在の知恩院勢至堂付近に営んだ草庵を起源としている。  法然は平安時代の末期、長承2年(1133)に現在の岡山県にあたる美作国久米南条稲岡庄、押領使(律令制の令外官の一つ。警察・軍事的官職)… ►続きを読む

 

高台寺塔頭

 

高台寺塔頭(こうだいじたっちゅう) 2008年05月16日訪問 高台寺 岡林院  他の禅宗寺院と同様、高台寺にも江戸時代初期には圓徳院・永興院・岡林院・月真院・玉雲院・春光院・永昌院・昌純院の8つの塔頭があった。このうち圓徳院・永興院・岡林院・月真院・玉雲院の5つの塔頭は、寛永元年(1624)建仁寺から三江紹益和尚を迎え、臨済宗の寺院となった頃から存在していた。その後、春光院・永昌院・昌純院が加わった。しかし、そのうち現在に残るものは、圓徳院・月真院・岡林院・春光院の4つであり、常時公開されているのは圓徳院だけである。 高台寺の変遷には北政所とその一族の歴史が色濃く反映している。  秀吉… ►続きを読む

 

建仁寺

 

臨済宗建仁寺派大本山 東山 建仁寺(けんにんじ) 2008年05月16日訪問 建仁寺 勅使門から三門を眺める  六波羅蜜寺を出て、再び西福寺のある松原通を越えて北に進むと八坂通に突き当たる。この道を西に曲がり進むと民家が途切れ、右手に銅版葺切妻造の四脚門が現れる。小振りではあるが非常に簡素で力強い門である。これが建仁寺の勅使門である。別格の南禅寺、天龍寺、相国寺に次ぐ京都五山の第三位に格付けられているのにしては、質素な門である。 建仁寺 八坂通に面する勅使門  勅使門の脇にある門から境内に入ると勅使門、放生池、三門、法堂そして方丈が南北軸の上に配置されている。 建仁寺 放生池か… ►続きを読む

 

六波羅蜜寺

 

真言宗智山派 補陀洛山 六波羅蜜寺(ろくはらみつじ) 2008年05月16日訪問 六波羅蜜寺  六道の辻と呼ばれる松原通を西福寺の角から南に下ると程なくして右手に六波羅蜜寺の石造の門柱とその奥の本堂が現れる。本堂の前の引きがないため、境内では本堂の全貌を撮影することが難しい。 西福寺と六波羅蜜寺の間、そして六波羅蜜寺の西側には京都市立六原小学校があり、六道珍皇寺の前にはハッピー六原というスーパーがある。すなわち六原と六波羅が混在している。このあたりのことは、フィールド・ミュージアム京都の中の六波羅の項でも触れている。ここでは轆轤町のもととなった轆轤原に由来しているが、六波羅蜜寺に因んだ地… ►続きを読む

 
 

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