文書と写真・地図による「記憶」の再現

ねねの道

ねねの道(ねねのみち) 2008年05月16日訪問

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ねねの道

 清水寺の参道である松原通を七味家本舗の角で分かれ、産寧坂、二年坂そして一念坂を下り、高台寺の前に出ると「ねねの道」となる。この道は大雲院で突き当たり、右に曲がり円山公園の中を通り知恩院、青蓮院へとつながる。さらに三条通を越えると平安神宮の広大な境内がその正面に広がる。そのため、この道は円山公園を抜けたところから神宮道と呼ばれている。

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ねねの道 観光客で賑わう

 京都市は昭和47年(1972)に「京都市市街地景観条例」を制定し,特別保全修景地区制度によって京都の特色ある歴史的な町並みの整備行ってきた。昭和50年(1975)の文化財保護法改正で,伝統的建造物群保存地区制度が創設されたのを契機に,特別保全修景地区に指定していた産寧坂地区(昭和51年地区指定)と祇園新橋地区(昭和51年地区指定)を伝統的建造物群保存地区に指定した。その後も嵯峨鳥居本地区(昭和54年地区指定)と上賀茂地区(昭和63年地区指定)を指定に加え、現在4地区となっている。ちなみに伝統的建造物群保存地区として函館、弘前、川越、金沢、妻籠、倉敷、萩など全国86箇所の地区が平成21年(2009)12月時点で指定されている。

 産寧坂地区は平成7年(1995)に,地元の町並み保存の要望が強かった石塀小路地区を加え,その指定地域を拡大している。また平成6年(1994)より重要伝統的建造物群保存地区で電線の地中化が始まり、平成10年(1998)の工事完了の際には2500枚の市電の軌道に使われていた御影石を敷き詰められ、石畳の道として生まれ変わった。そしてこの時より高台寺道をねねの道と呼ぶようになったようだ。確かに電柱の地中化が景観に与える影響は大きい。高台寺の門前から見る八坂の塔は美しい。産寧坂から二年坂に出ずそのまま八坂の塔へ下る八坂通は、奥に見える五重塔の大きさが手前の町並みと調和しているにもかかわらず、電柱と電線を避けて撮影できる構図が全くない

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ねねの道
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ねねの道 左は月真院

 産寧坂地区無電柱化事業は継続しており、この八坂通は現在工事中とある。ねねの道の地中化工事が3年間の時間を費やしたことからも、八坂通の景観が整備されるのは、まだかなり先のことだと思われる。
 京都市景観政策課のHPに詳しく記述されている。さらに産寧坂からねねの道までの景観を下記の5つに分類している。
ア) 産寧坂から二年坂までの区域は,1階部分を店舗とするむしこ造り町家や本2階建町家が軒をつらね,門と塀のある和風住宅が点在している。
イ) 二年坂から石段を降りて京都神社までの区域は,数寄屋風の変形町家が多く軒をつらねている。
ウ) 二年坂から八坂ノ塔を経て高台寺表門までの地区は,むしこ造り町家,本2階建町家,和風邸宅,社寺建造物などが八坂ノ塔を中心に混在している。
エ) 高台寺表門から円山公園までの区域は,高台寺塔頭群とその土塀が緑の中につらなり,数寄屋風の茶店や門と塀のある和風邸宅が建ち並んでいる。
オ) 石塀小路に面する区域は,石畳の路地に沿って,前庭と連続する石塀や屋根小壁付板塀などを持つ2階建ての和風住宅が建ち並んでいる。

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ねねの道

 高台寺は台所坂の上に位置しているため、ねねの道の東側は駐車場の下に整備された公園が面している。台所坂の先は高台寺塔頭の月真院の土塀が始まり、いくつかの店舗が軒を並べ塔頭の岡林院へとつながる。そしてその先は料亭や旅館の板塀が続く。
 これに対してねねの道の西側は高台寺の塔頭 春光院の土塀から始まり、石塀小路の出口の両側に店舗が並ぶ。南北に細長い圓徳院の土塀の先は東側と同じように料亭や旅館の塀が続き大雲院に至る。
この道の景観は高台寺とその塔頭の土塀と料亭や旅館の塀、そして統一された町家のデザインで作られた店舗という数少ない要素で構成されていることが良く分かる。

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ねねの道 高台寺駐車場から祇園閣を眺める

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