桂大橋
桂大橋(かつらおおはし) 2009年12月20日訪問
烏丸駅から梅田行の阪急京都本線快速急行に乗車し、桂駅に到着したのは6時30分。本日は桂川の右岸の松尾から嵯峨野にかけて巡る。まだ日の出前のため、桂駅から徒歩で桂川に向かい桂大橋上で日の出を迎える予定である。
桂川は左京区広河原と南丹市美山町佐々里の境に位置する佐々里峠に発する一級河川で、その流域毎に名称を変える。先ずは右京区京北地区の流域では上桂川、そして南丹市園部地区に入ると桂川になる。南丹市八木地区から亀岡市は大堰川、そして亀岡市保津町請田から京都市嵐山までは保津川と呼ぶこともあるが、嵐山からは再び桂川に戻る。京都盆地を南流し伏見区で鴨川、大阪府との境で木津川そして宇治川と合流しやがて淀川となる。2013年9月に襲来した台風18号によって渡月橋が水没する直前まで増水した映像は記憶に新しい。
「日本歴史地名大系第27巻 京都市の地名」(平凡社 初版第4刷1993年刊)によると、「山城国風土記」や「日本後記」で桂川は葛野川と称されているが、それ以外にも大堰あるいは大井川、大堰川、西河、葛河などとも記されている。前述のように“京都市嵐山までは保津川”とは書いたものの、嵐山より上流を大井川あるいは大堰川と呼ぶ方が一般的であるようだ。例えば安永9年(1780)年に刊行された「都名所図会」の大堰川の条には以下のようにある。
大堰川の水上は北丹波より流れて、水尾川清滝川に落合ひ、猿飛、龍門滝、大瀬等の名ありて、あらし山を帯し、渡月橋を経て、末は梅津、桂の里のひがしを流れて淀川に落る。
と保津川の記載はない。また他の名所図会にも保津川という条は見当たらない。
古くから桂川に架かる橋は法輪寺橋すなわち現在の渡月橋と佐比橋の2つであり、他には松尾あたりに浮橋が仮設される程度だったようだ。佐比橋とは現在の南区の佐比河原、吉祥院石原から塔の森あたりの鴨川と桂川が合流するあたりにあったとされている。佐比には佐比寺があり桓武天皇の四七の法要が行われた三寺の一つとされている。また平安時代以降、葬送の地としても有名で賽の河原にも通じる。
桂大橋は京都府道142号沓掛西大路五条線に架かる橋である。起点は西京区大枝沓掛町、終点は右京区西大路五条交差点。つまり山陰道から樫原を経て京に入る際に渡る橋となる。ちなみに沓掛西大路五条線というが八条通の延長にあたる。 桂大橋の高欄には昭和58年3月の銘が入っているように昭和58年(1983)に拡幅工事が行われ現在に至っている。大橋から望む桂離宮は、背景となる松尾山や嵐山と一体となった濃い木々の中に完全に姿を隠していた。
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