徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

アーカイブ:2009年 3月 01日

大黒寺

 

真言宗東寺派 大黒寺(だいこくじ)  2008/05/10訪問 大黒寺 こちらにの門が開いていた  三栖閘門を後にして京都外環状線と宇治側との間の道をしばらく歩き、竹田街道との交差点の手前で交通量の多い環状線を渡る。周囲を見渡したが信号が無いので4車線分を一気に走ることとなった。中書島駅から京阪線で丹波橋駅に出て、真直ぐ西へ歩く。市立伏見板橋小学校に突き当ったところで南に折れると下板橋通に出る。下板橋通を西に入り最初の角を南に入ると京都御駕篭郵便局が右手に現れる。これが大黒寺に続く道の確認となる。さらに20メートルくらい進むとやはり右手に大黒寺の門が現れる。初めての訪問ではなかなか見つけ… ►続きを読む

 

三栖閘門

 

三栖閘門(みすこうもん)  2008/05/10訪問 三栖閘門  寺田屋を後にし、竹田街道を南下する。東浜南町を西に入り歩いていくと右手側にモリタ製作所のレンガ造りの建物が一瞬道筋からのぞく。そのまま進み濠川に出る。橋を渡り川沿いに南下し、京阪電鉄の橋梁をくぐると伏見みなと橋と対岸に広がる伏見港広場が見えてくる。巨大な京都外環状線の高架を越えると2本のタワーを持った赤い水門が現れる。これが三栖閘門である。  昔から淀川は氾濫を繰り返してきたが、本格的に治水工事に着手したのは豊臣秀吉が伏見城を築き、城下町を整備してからのことだった。現在の地図からは想像することが難しいが、伏見と宇治と淀を結… ►続きを読む

 

寺田屋

 

寺田屋(てらだや)  2008/05/10訪問 寺田屋 大きな提燈に屋号が書かれている  長建寺の山門をくぐり、目の前に広がる濠川の川面に降りていく階段を下りていく。対岸の月桂冠の酒蔵と濠川の流れを見ながら次の蓬莱橋まで歩いていく。蓬莱橋のたもとで再び地上面に上がると橋の先に寺田屋と書かれた提燈が掛けられた町屋が目に入る。既に開館時間を終了しているため、こちらも外からの見学となる。 寺田屋 寺田屋 西側から蓬莱橋方向を望む  寺田屋は南浜に面する船宿である。いつからこの地で船宿を始めていたのかは明らかではないが、寺田屋のパンフレットには、慶長2年(1597)に百姓伊助が伏見京… ►続きを読む

 

長建寺

 

真言宗醍醐派 辨財天長建寺(べんざいてんちょうけんじ)  2008/05/10訪問 長建寺 鮮やかな朱の竜宮門  月桂冠大蔵記念館から南に下ると濠川に当たる。弁天橋を渡ると右手側に赤い土塀と竜宮門が見える。これが長建寺の山門。真言宗醍醐寺派に属する寺で、本尊は八臂弁財天。 長建寺 境内はそれほど広くない 長建寺 護摩の跡  弁財天というと関東では江ノ島神社を思い出すが、もともと弁才天は仏教の守護神である天部の1つであるが、ヒンドゥー教の女神サラスヴァティー(Sarasvatī)が仏教あるいは神道に取り込まれた時の呼び名である。日本では「才」が「財」の音に通じることか… ►続きを読む

 

伏見の町並み

 

伏見の町並み(ふしみのまちなみ)  2008/05/10訪問 酒蔵が並ぶ伏見の町並み 月桂冠大倉記念館  伏見奉行所址である桃陵団地を後にし、再び魚屋通に出て近鉄京都線の高架をくぐり京阪電鉄の踏切を越え西に進む。道は大阪町辺りで突き当たり左に曲がる。道なりに進むとすぐにまた魚屋通が現れる。魚屋通はここでクランクしている。また魚屋通に直行する南北に通る道もクランクするため、4つ角の交差点がなくT字路が2箇所近接している。「四ツ辻の四ツ当たり」という城下町に良く見られる遠見遮断の構造である。この場所が伏見城からはかなり離れているため、伏見奉行所防衛のために設けられたものではないかともいわれて… ►続きを読む

 

伏見奉行所址

 

伏見奉行所址(ふしみぶぎょうしょあと)  2008/05/10訪問 桃陵団地と伏見奉行所址を示す石標  魚三楼の前から京町通をさらに南に50メートル緩やかな坂町を下ると東西に走る魚町通に出る。ここを左折し近鉄京都線の高架をくぐると目の前に伏見の町並みに調和するように屋根を載せ、妻面を黒板張り風に仕上げた集合住宅群が現れる。これが伏見奉行所の跡地に建設された京都市営桃陵団地である。団地の西側の入口には3つの石碑がある。 桃陵団地の発掘調査を示す碑  一つ目の石碑は上部に笠を載せたようなデザインで、説明文とともに2枚の写真が印刷されている。桃陵団地の歴史を説明するために設置されたようだ… ►続きを読む

 

魚三楼

 

魚三楼(うおさぶろう)  2008/05/10訪問 京町通の魚三楼 暖簾の右側の格子に弾痕が残されている  御香宮神社を後にし、再び大手筋の大鳥居をくぐり、西に向う。近鉄京都線・桃山御陵前駅の高架と京阪電鉄・伏見桃山駅の踏切との間の百メートルに満たない地域の中央を京町通が通っている。大手筋から左折し京町通に入り南に30~40メートル進むと、道の右側に「魚三楼」という軒行燈を掲げた間口の広い商家が現れる。  魚三楼のHPによると讃岐出身の三郎兵衛が江戸中期 明和元年(1764)に創業した料亭。伏見港に揚がる瀬戸内海の魚や京野菜と伏見の豊かな湧水を使い、各藩の大名屋敷の料理方などを務めてきた… ►続きを読む

 
 

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