徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

アーカイブ:2009年 10月 18日

建仁寺 方丈

 

建仁寺 方丈(けんにんじ ほうじょう) 2008年05月16日訪問 建仁寺方丈 潮音庭  建仁寺の公式HPにある建仁寺境内図によると、六道珍皇寺を除くと塔頭は禅居庵・久昌院・堆雲軒・興雲院・常光院・正伝永源院・大中院・西来院・両足院・霊洞院・大統院・霊源院の13となっている。かつては予約制公開をしていた両足院も現在は行っていないようなので、唯一常時公開されている方丈は建仁寺を知る上でも見逃せない存在となっている。 建仁寺方丈 本坊 建仁寺方丈 俵屋宗達の風神雷神図 もちろんレプリカ  2008年秋に東京国立博物館で開催された「大琳派展 継承と変奏」で俵屋宗達(1570?~16… ►続きを読む

 

建仁寺

 

臨済宗建仁寺派大本山 東山 建仁寺(けんにんじ) 2008年05月16日訪問 建仁寺 勅使門から三門を眺める  六波羅蜜寺を出て、再び西福寺のある松原通を越えて北に進むと八坂通に突き当たる。この道を西に曲がり進むと民家が途切れ、右手に銅版葺切妻造の四脚門が現れる。小振りではあるが非常に簡素で力強い門である。これが建仁寺の勅使門である。別格の南禅寺、天龍寺、相国寺に次ぐ京都五山の第三位に格付けられているのにしては、質素な門である。 建仁寺 八坂通に面する勅使門  勅使門の脇にある門から境内に入ると勅使門、放生池、三門、法堂そして方丈が南北軸の上に配置されている。 建仁寺 放生池か… ►続きを読む

 

六波羅蜜寺

 

真言宗智山派 補陀洛山 六波羅蜜寺(ろくはらみつじ) 2008年05月16日訪問 六波羅蜜寺  六道の辻と呼ばれる松原通を西福寺の角から南に下ると程なくして右手に六波羅蜜寺の石造の門柱とその奥の本堂が現れる。本堂の前の引きがないため、境内では本堂の全貌を撮影することが難しい。 西福寺と六波羅蜜寺の間、そして六波羅蜜寺の西側には京都市立六原小学校があり、六道珍皇寺の前にはハッピー六原というスーパーがある。すなわち六原と六波羅が混在している。このあたりのことは、フィールド・ミュージアム京都の中の六波羅の項でも触れている。ここでは轆轤町のもととなった轆轤原に由来しているが、六波羅蜜寺に因んだ地… ►続きを読む

 

六道珍皇寺

 

臨済宗建仁寺派 大椿山 六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ) 2008年05月16日訪問 六道珍皇寺 門前に建つ小野篁卿旧跡と六道の辻の碑  鴨川の東岸を南北に走る川端通から、松原通に入り東に進むと小野篁卿旧跡の碑とともに六道の辻と記された赤味を帯びた石碑が現れる。この石碑の奥に六道珍皇寺の山門が開いている。 六道珍皇寺 禍禍しい六道の辻の碑  六道珍皇寺の開基については諸説あり、いずれが真実かは判断しにくい。高津希和子氏の「珍皇寺鐘論 -『古事談』鋳鐘説話をめぐって-」の論文にはそのあたりの経緯が記されていたので、これを参考にしてまとめてみる。 平安時代前期の延暦年間(782~805… ►続きを読む

 

六道の辻

 

六道の辻(ろくどうのつじ) 2008年05月16日訪問 六道の辻 西福寺の角に建つ六道之辻の碑  八坂の塔を背にして八坂通を下って行く。この通りから塔を見上げる写真は午後でないと逆光になるため、今回は撮れていない。坂を下り切ると東大路通に出る。大通りを横断しさらに進むと右手に建仁寺、左手に六道珍皇寺の裏門が現れる。南に下り松原通に廻ると六道珍皇寺の山門と六道の辻と記された石碑が現れる。 六道の辻 清水寺 子安塔の背後の山は阿弥陀ヶ峰  阿弥陀ヶ峰山麓一帯はかつて鳥辺野と葬送の地であった。この鳥辺野の入口 へ続く道に面して建っていたことから六道寺とも呼ばれていた。阿弥陀ヶ峰は清水寺の… ►続きを読む

 
 

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