文書と写真・地図による「記憶」の再現

アーカイブ:2010年 3月

文子天満宮

 

文子天満宮(あやこてんまんぐう) 2008年05月18日訪問 文子天満宮  東本願寺の御影堂門の前から、再び正面通を東に進むと、正面に渉成園の黒い冠木門が現れる。開園時間は9時からとなっているので、まだ少し開園まで待たねばならない。そこで先に文子天満宮に向かう。間之町通を北に進み、上数珠屋町通を越えた左手に、天満宮と書かれた額の架かる小さな石の鳥居が建つ。このあたりが天神町と呼ばれていることも、文子天満宮に因んだものであることが分かる。 菅原道真と文子については満願寺、北野天満宮で既に触れている。文子天満宮の公式HPでは、祭神は、本殿が菅原道真、相殿が文子比売、道真の父母である菅原是善と伴真成の娘。天満宮では、相殿に祀られている文子比売は菅原道真公の乳母をつとめていた多治比文子とし、自らの家… ►続きを読む

 

真宗本廟(東本願寺)

 

浄土真宗大谷派本山 真宗本廟(東本願寺) (しんしゅうほんびょう) 2008年05月18日訪問 東本願寺 阿弥陀堂  西本願寺の阿弥陀堂門から続く正面通を東に進み、新町通に突き当たると南に下る。やがて大きな七条通に出ると、東本願寺の境内を区切る塀が現れる。この塀を回りこむように堀川通を北上すると東本願寺の正面に出る。  西本願寺に対して東本願寺と呼ぶが、正式には真宗大谷派の本山で山号はなく、真宗本廟という。  第8世の蓮如は本願寺を再興し、現在の本願寺教団の礎を築いたことより中興の祖とされている。この後、第11世顕如の時代に戦国時代を向え、本願寺の教勢も大いに発展する。それと同時に日本有数の大教団に留まらず、幕藩制度を超えた強力な社会的勢力に発達している。西本願寺や智積院の項でも触れたように… ►続きを読む

 

洛中の町並み その9 正面通

 

洛中の町並み その9 (らくちゅうのまちなみ) 正面通 2008年05月18日訪問 洛中の町並み 正面通の門  西本願寺から東本願寺、渉成園そして豊国廟は、東西軸上に配置されていることは、既に智積院の項で触れている。宮元健次氏は、著書「京都名庭を歩く」(光文社新書 2004年)で西本願寺と豊国廟を同一直線状に建立したのに対して、秀吉神格化の阻止を狙った徳川家康が東本願寺、渉成園そして智積院をこの直線状に追加したことを論考している。この説で言う所の東西軸は、ほぼ正面通と考えてよいだろう。 正面通は大和大路通の方広寺から、渉成園、東本願寺、西本願寺などで中断するものの千本通まで続く道である。渉成園と不明門通の間では中珠数屋町通とも呼ばれている。この名称は方広寺の大仏の正面につながる通りであること… ►続きを読む

 

興正寺

 

浄土真宗興正派本山円頓山 興正寺(こうしょうじ) 2008年05月18日訪問 興正寺 左に御影堂、右に阿弥陀堂  西本願寺の唐門と大玄関門を見学した後、北小路通を東に進み、再び堀川通に戻る。北小路通を挟み西本願寺の広大な境内の南側には興正寺が並ぶ。堀川通に面して北に阿弥陀堂門、中央に三門とふたつの門が建ち、境内には真宗建築の伽藍配置である阿弥陀堂と御影堂が東面して配置されている。三門も御影堂も非常に規模の大きな建物であるが、隣の西本願寺があまりにも巨大なため、どうしても小ぶりなイメージになってしまう。御影堂の正面の縦横比は、西本願寺が62メートル:29メートルに対して興正寺が33メートル:28メートルである。興正寺の御影堂は、西本願寺の御影堂とほぼ同じ屋根高さにも関わらず、間口が半分程度にな… ►続きを読む

 

本願寺(西本願寺) その2

 

浄土真宗本願寺派本山龍谷山 本願寺(西本願寺) その2(ほんがんじ) 2008年05月18日訪問 本願寺 唐門  西本願寺の建物の配置は真宗建築の典型となっている。境内図に従って見ていくと、まず堀川通に面して阿弥陀堂門と御影堂門が並ぶ。境内に入ると阿弥陀堂が北、御影堂が南に建てられている。二つの建物を比較すると阿弥陀堂の方がやや小振りな建物であることが分る。 阿弥陀堂は宝暦10年(1760)に再建されている。東西42メートル、南北45メートル、高さ25メートルで重要文化財に指定されている。中央に阿弥陀如来の木像、左右にインド・中国・日本の念仏の祖師七師と聖徳太子の影像が安置されている。 重要文化財に指定されている御影堂は寛永13年(1636)に建立された東西48メートル、南北62メートル、高… ►続きを読む

 

本願寺(西本願寺)

 

浄土真宗本願寺派本山龍谷山 本願寺(西本願寺) その1(ほんがんじ) 2008年05月18日訪問 本願寺 御影堂と阿弥陀堂  四条烏丸から地下鉄烏丸線に1駅乗車し、五条駅で下車する。東本願寺の北側の花屋町通を東に進み、堀川通に出ると、目の前に西本願寺の堂宇が現れる。 本願寺 堀川通の眺め 本願寺 堀川通沿いには堀が作られている  西本願寺は、浄土宗本願寺派の本山で山号は龍谷山、寺号は本願寺である。数多くの国宝、重要文化財を保有し、平成6年(1994)ユネスコの世界遺産に登録される。浄土真宗の宗祖親鸞は、日野誕生院の項で触れたように承安3年(1173)現在の法界寺、日野誕生院付近で、日野有範の長男として誕生したとされている。治承5年(1181)青蓮院において、後の天台座主・慈円のもと9歳で得度し… ►続きを読む

 

鯖街道

 

鯖街道(さばかいどう) 2008年05月17日訪問 鯖街道 出町橋西詰に建つ碑  下鴨神社と糺の森から出て、鴨川に架かる出町橋を渡り、地下鉄・今出川駅に向かう。この出町橋の西詰めには鯖街道と記された、まだ新しい碑が立つ。 鯖街道とは,京から高野川左岸を北上して、八瀬から大原そして近江国朽木から越前小浜へ至る若狭街道のことである。昔より日本海で採れた魚介類が京の都に運ばれてきたが、なかでも鯖が多かったことより鯖街道と呼ばれるようになった。取れたての鯖に塩をまぶし、夜も寝ないで京都まで運ぶと丁度良い味になっていたと言われ、京の一般庶民がその到着を待ち望んでいた。 出町橋から国道367号を高島市今津町保坂まで進み、国道303に替わった後、若狭町三宅で国道27号に入る若狭街道自体を指し示す名称ではあ… ►続きを読む

 

河合神社

 

賀茂御祖神社 第一摂社 河合神社(かわいじんじゃ) 2008年05月17日訪問 賀茂御祖神社 河合神社  糺の森の中を南北に走る賀茂御祖神社の参道を歩いていくと、糺の森から出る直前、瀬見の小川の西側に賀茂御祖神社の第一摂社・河合神社がある。祭神は賀茂御祖神社の本社東殿と同じ玉依姫命である。タマヨリという神名には、神霊の依り代という意味を持ち、タマヨリビメは神霊の依り代となる女、すなわち巫女のことを指し示す。そのためタマヨリビメという名の異なる神や人間の女性が、様々な神話・古典に登場する。最も有名な玉依姫命は、神倭伊波禮毘古命すなわち神武天皇の母神であろう。この綿津見大神の子で、豊玉毘売神の妹である玉依姫命は古事記および日本書紀にも現れている。河合神社の祭神をこの神武天皇の母神とする記述も見ら… ►続きを読む

 

賀茂御祖神社

 

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ) 2008年05月17日訪問 賀茂御祖神社 楼門  相国寺方丈の左側を通り、北門から境内を出る。そのまま住宅街を北に歩き、上御霊前通に入り東に進むと、賀茂川の西岸の道に出る。出雲路橋西詰の交差点で賀茂川を渡り、東鞍馬口通から下鴨神社へ入る。 一般に広く呼ばれている下鴨神社の正式名称は賀茂御祖神社で、上賀茂神社の賀茂別雷神社とともに、山城国一宮と京都の守護神として二十二社の上七社に数えられている。ちなみに他の6社は、伊勢神宮、石清水八幡宮、松尾大社、平野神社、伏見稲荷大社そして春日大社である。 古くから賀茂別雷神社とともに賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂社と総称されている。先の上七社でも両社をもって一社の扱いがなされている。祭神は西殿・玉依媛命、東殿・賀茂建… ►続きを読む

 

相国寺

 

臨済宗相国寺派大本山萬年山 相国承天禅寺(しょうこくじょうてんぜんじ) 2008年05月17日訪問 相国寺 法堂  拾翠亭から京都御苑に戻り、拾翠亭と閑院宮邸の間にある間ノ町口から丸太町通に出る。丸太町駅から地下鉄烏丸線で1駅乗車し、今出川駅より徒歩で相国寺に向かう。烏丸通を北に進み、同志社中学校のグランドを右に折れると相国寺の西門が現れる。 相国寺は臨済宗相国寺派大本山の寺院で、山号を萬年山と称し、正式名称は相国承天禅寺。京都五山においては別格の南禅寺と第1位の天龍寺に次ぎ第2位に列せられている。13の塔頭寺院、鹿苑寺、慈照寺、真如寺の3つの山外塔頭がある。創立当時の相国寺は、南は室町一条あたりに総門があったといわれ、北は上御霊神社の森、東は寺町通、西は堀川通を遙かに越え大宮通に至り、約1… ►続きを読む

 

サイト ナビゲーション

投稿カレンダー

2010年3月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031  

過去の記事

カテゴリー

最近の投稿