アーカイブ:2011年 5月 15日
真言宗泉涌寺派総本山 東山 泉涌寺(せんにゅうじ)その3 2008年12月22日訪問
泉涌寺 仏殿と舎利殿
泉涌寺の開山となる俊芿律師は、朝野の尊信が非常に厚く、後鳥羽上皇、土御門上皇、順徳上皇、後高倉上皇らのほか、大臣顕官の多くが大師に帰依し受戒されている。俊芿律師は泉涌寺竣工の翌年の嘉禄3年(1227)に亡くなっている。そして寛喜3年(1231)に生まれた四条天皇が、俊芿律師の生まれ変わりとされている。安永9年(1780)に刊行された都名所図会には下記のような記述が残されている。 天子の官寺となる事は、八十六代四条院を権輿とせり。此… ►続きを読む
真言宗泉涌寺派総本山 東山 泉涌寺(せんにゅうじ)その2 2008年12月22日訪問
泉涌寺 大門から仏殿を眺める
泉涌寺本坊の玄関を出て、仏殿、舎利殿を中心とする泉涌寺の伽藍を見ていく。
泉涌寺 参道 右手は大門に通じる
泉涌寺 大門
泉涌寺の起源について最初に現われて来るのは、天長年間(824~834)弘法大師が、この地に結んだ草庵である。この草庵が後の法輪寺となったとされている。このことは泉涌寺の塔頭の一つである今熊野観音寺や善能寺でも触れているように、数々の弘法大師にまつわる伝承が入り混じり、歴史として判別することが困難になっているようだ。今熊野観音寺の公式HPに… ►続きを読む
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