文書と写真・地図による「記憶」の再現

アーカイブ:2012年 11月 23日

高台寺 その9

 

臨済宗建仁寺派 鷲峰山 高台寺(こうだいじ)その9 2009年11月29日訪問 高台寺 勅使門  高台寺 その8では、明治18年(1885)11月の火災によりした仏殿の東北に忠義堂が築かれ、近年の高台寺境内の整備事業に伴い、撤去される運命であったものを大原野の正法寺に移したところまで説明してきた。ここからは高台寺の主要伽藍について書いて行く。 忠魂堂の東北にはかつて桧皮葺唐破風の屋根を持った唐門があった。高台寺創建時の建築で、豊臣氏の船屋形を上屋とし、門扉には菊桐章が施されていた。唐門の北には方丈が南面していた。かつての方丈は文禄の役で凱旋した諸将を祝宴した殿舎を伏見から移したものとされている。長押の上には人物鳥獣樹木等の彫刻が施され、各室の障壁には金地に花鳥図が狩野永徳及び山楽の筆によって… ►続きを読む

 

高台寺 その8

 

臨済宗建仁寺派 鷲峰山 高台寺(こうだいじ)その8 2009年11月29日訪問 高台寺  高台寺 その3において、慶長3年(1598)の豊臣秀吉没後に北政所が伏見城を出て京都新城に移ったこと、さらには木下家の人々が関ヶ原の戦いに、どのように対峙したかについて書いてきた。また高台寺 その4では、慶長5年(1600)関ヶ原の戦い以降の北政所が居住したと考えられる三本木屋敷について書いた。現在では慶長10年(1605)の高台寺建立以降も高台院は、三本木屋敷で暮らしていたとする説の方が有力であると思われる。そして高台寺 その5と高台寺 その6では、高台寺が創建される前に東山に存在していた雲居寺の興亡について、高台寺 その7では先行して建立された康徳寺と岩栖院の入替や、高台寺の敷地に鷲尾家の領地を組み… ►続きを読む

 

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