アーカイブ:2013年 2月 17日
長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)その2 2009年12月9日訪問
長岡天満宮 拝殿
菅原道真の配流に同行した中小路宗則は、道真の没後に再び開田に戻り聖廟を建てている。これが現在の長岡天満宮につながっていったと考えられている。宗則の末裔は、長岡天満宮の神官を務める一方、土豪として勢力を拡大し応仁の乱において細川氏の被官として中小路遠江守が登場するに至る。中小路氏が城主を務めた開田城については、「大乗院寺社雑事記」文明2年(1470)4月27日条に以下のような記述がある。
この山名是豊による攻撃が開田城の初見とされている。このことより、これ以前より開田城は存在しており、興福寺大乗院の門… ►続きを読む
長岡天満宮(ながおかてんまんぐう) 2009年12月9日訪問
長岡天満宮 正面鳥居
八条ヶ池中央の中堤を渡り、長岡天満宮の境内へと入っていく。この中堤の両側には樹齢100年を超えるキリシマツツジが植えられているが、生憎訪問したのが冬であったため丈の高い生垣としか見えなかった。樹齢百数十年ということは明治以前に植えたものかもしれない。
長岡天満宮 キリシマツツジと正面鳥居
長岡天満宮 中堤の石橋
長岡天満宮の公式HPによると、御祭神は菅原道真公で御例祭は10月9日となっている。もともと菅原道真を祭神とする神社を天満宮あるいは天神社と呼び、大宰府天満宮、北野天満宮そして防府天… ►続きを読む
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