アーカイブ:2014年 7月 04日
京都御所(きょうとごしょ)その5 2010年1月17日訪問
京都御所 建礼門
京都御所 その4では、徳川幕府による慶長度造営から6回目となる宝永度造営までを記した。最初の慶長・元和度造営から2回目の寛永度造営までは、後水尾院と徳川幕府の間の政治的な駆け引きの中で行われた造営と考えてもよいだろう。この時期の内裏は、豊臣秀吉による天正度造営の内裏とほぼ同じ規模であったと考えられる。 この後、僅か20年の間に内裏は3度立て続けの火災に見舞われる。寛永19年(1642)の完成後10年余の承応2年(1653)6月23日に内裏は焼失している。3度目の承応度造営が承応3年(1654)3月12日の木作… ►続きを読む
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