文書と写真・地図による「記憶」の再現

アーカイブ:2014年 10月

京都御苑 厳島神社

 

京都御苑 厳島神社(きょうとぎょえん いつくしまじんじゃ) 2010年1月17日訪問 京都御苑 厳島神社  白雲神社、宗像神社に続き京都御苑内三つ目の神社として厳島神社について書く。厳島神社は宗像神社のさらに南、九条家の庭園の傍らに建つ。主祭神は市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命の宗像三女神、そして祇園女御を配祀する。配祀神はもともと平清盛の母の霊であったが、後にその姉の祇園女御に変えられと考えられている。 応保2年(1162)2月に平清盛は日宋貿易の拠点として、摂津国兵庫津の大輪田泊の前面に防波堤となる築島に着手するが、同年8月の大風によって破壊される。翌長寛元年(1163)3月に工事を再開している。この島の規模は、「平家物語」長屋本巻第十二 兵庫島築始事によると「一里三十六町」とされているこ… ►続きを読む

 

京都御苑 宗像神社

 

京都御苑 宗像神社(きょうとぎょえん むなかたじんじゃ) 2010年1月17日訪問 京都御苑 宗像神社  白雲神社に続く京都御苑内の神社として宗像神社を取り上げる。宗像神社は白雲神社からさらに南に下り、賀陽宮邸と出水の小川そして下立売御門を過ぎた左手の植栽の中にある。 主祭神は宗像三女神である多紀理毘売命、多岐津比売命、市岐嶋比売命の三柱で、倉稲魂神と天岩戸開神の2柱を配祀する。かつて花山院家の鎮守神であったが、もともとは桓武天皇の勅命により、藤原冬嗣が東西両市の守護神として宗像神を勧請したが、自邸である小一条院内に遷し祀ったとされている。藤原冬嗣は人臣初の摂政となった藤原良房の父にあたる。後の藤原家の地位を築いた冬嗣は、宝亀6年(775)藤原北家の右大臣藤原内麻呂の次男として生まれている。… ►続きを読む

 

京都御苑 白雲神社

 

京都御苑 白雲神社(きょうとぎょえん しらくもじんじゃ) 2010年1月17日訪問 京都御苑 白雲神社  京都御苑内の3つの井戸に続いて、3つの神社について記す。 京都御所の南西隅の目印、清水谷家の椋から南に下ったところに西園寺家跡がある。その南側、丁度出水通の延長線上に白雲神社が位置する。 京都御苑 白雲神社 西園寺家址 京都御苑 白雲神社 西園寺家址  白雲神社は旧西園寺家の鎮守社で祭神は市杵島姫命。市杵島姫命は宗像三女神の一柱で、天照大神と建速須佐之男命が誓約を交わした際に生まれたとされている。後に仏教の弁才天と習合し、神仏習合思想の一つである本地垂迹において同神とされている。西園寺家の家業が四箇の大事(節会・官奏・叙位・除目)、有職故実そして雅楽の琵琶であることから、琵琶を持つ弁財天を… ►続きを読む

 

京都御苑 祐ノ井

 

京都御苑 祐ノ井(きょうとぎょえん さちのい) 2010年1月17日訪問 京都御苑 祐ノ井  縣井、染殿井に続き京都御苑内三つ目の井戸として祐ノ井を訪ねる。御所の東北角の猿ヶ辻については後で紹介するとして、祐ノ井はその猿ヶ辻のさらに北東にある。木村幸比古氏監修の「もち歩き 幕末京都散歩」(人文社 2012年刊)を見ると、今出川御門から石薬師御門の間の公家町には、桂宮、一乗院宮、河端、鷲尾、中山、滋野井、藤波、樋口などの名前が並ぶ。この内の中山は中山慶子の父である中山忠能の邸宅があった場所で、今に祐ノ井が残る地となっている。 京都御苑 祐ノ井 中山邸址  中山慶子は天保6年(1836)権大納言・中山忠能の次女として生まれている。八瀬に里子に出されていたが、17歳で典侍御雇となり宮中に出仕する。… ►続きを読む

 

京都御苑 染殿井

 

京都御苑 染殿井(きょうとぎょえん そめどのい) 2010年1月17日訪問 京都御苑 染殿井  縣井に続き京都御苑内に残る井戸として京都迎賓館の東側にある染殿井を取り上げる。井戸の傍らに建てられた案内板の説明は、かつてこの地にあった染殿第が中心となっている。その末尾に ここにある井戸の遺構が「染殿井」と呼ばれているのも、かつての染殿第にちなんだものでしょう。 と井戸の来歴に少し触れている。この井戸が染殿第の頃から使われてきたかは、どうも明らかではないようだ。  駒札にもあるように染殿第は、人臣として初めて摂政となった藤原良房の邸宅のことである。良房は藤原北家・藤原冬嗣の二男として延暦23年(804)に生まれている。その子孫達も相次いで摂関となったことから、藤原北家全盛の礎を築いた人物とされている… ►続きを読む

 

京都御苑 縣井

 

京都御苑 縣井(きょうとぎょえん あがたい) 2010年1月17日訪問 京都御苑 縣井  京都御所成立の歴史と御所内構六門について記してから、3か月の時が経てしまいました。2008年に京都を訪れて以来の長い休暇を、この秋に再び得ることができました。今まで訪れることができなかった場所などを巡る旅を10日分計画するなど準備作業に忙しかったため、ブログの更新が全くできませんでした。どのような準備を行い、どこを歩いたかについては追々書いてゆくつもりですが、なにせまだ2010年のことを書くのに精一杯であるため、2014年のことを記せるのは相当先のこととなるでしょう。  現在の京都御苑は京都御所とそれを取り巻くように形成された公家屋敷であったことは、京都御所 その3を始めとして既に書いてきたとおりである… ►続きを読む

 

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