徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

アーカイブ:2015年 10月

京都御所 その10

 

京都御所(きょうとごしょ)その10 2010年1月17日訪問 京都御所 承明門より紫宸殿を臨む 2014年10月8日撮影  京都御所 その8と、その9で、禁裏御守衛総督である一橋慶喜を中心に守衛側の行動について書いてきた。この項より、福原越後軍、国司信濃軍そして真木・久坂軍以外の長州藩と長州支援の諸藩の動きについて書いてみる。 元治元年(1864)7月18日の前日、つまり17日の夜から18日の暁にかけて宮中に於いて評定が行われている。一橋慶喜は、この評定が始まる前に水戸藩士大野謙介をして、長州藩留守居乃美織江を説き、伏見・嵯峨に赴き撤兵の周旋を行わせようとしている。これは慶喜が行った通算… ►続きを読む

 

京都御所 その9

 

京都御所(きょうとごしょ)その9 2010年1月17日訪問 京都御所 常御殿 2008年5月13日撮影  京都御所 その8では、禁裏御守衛総督である一橋慶喜に、伏見、山崎に屯集する長州兵への対応が任された後の交渉から元治元年(1864)7月18日深夜の参内、そして共に病にあった松平容保と松平定敬の三大までを見てきた。ここでは参代後の一橋慶喜の行動と十津川郷士による鳳輦奪回の企てについて書いて行く。 戎衣に着替えた一橋慶喜は、手兵を率いて諸門の防御を巡検している。歩兵隊100人余、講武所の小筒組50人、遊撃隊150人、別手組100人、床几隊100人、そして松浦作十郎、原市之進、梅沢孫太郎と… ►続きを読む

 

京都御所 その8

 

京都御所(きょうとごしょ)その8 2010年1月17日訪問 京都御所 建春門の内側 松平容保は左側の穴門から参内 2008年5月13日撮影  京都御苑 鷹司邸跡 その3の真木・久坂軍の山崎への撤退、そして その4 における久坂玄瑞、寺島忠三郎、入江九一の死を以って、長州藩が引き起こした甲子戦争は一応の終結を見た。この項からは、上記中に書き尽すことのできなかった一橋慶喜の7月19日の行動、そして桂小五郎と因州藩等との密約、さらには尊攘派の公家衆の処罰について書いてみる。 元治元年(1864)7月19日に最も華々しく活躍したのは一橋慶喜であった。もしこの日の行動が無ければ、第15代将軍に就任… ►続きを読む

 
 

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