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貴船神社 奥宮



貴船神社 奥宮(きぶねじんじゃ おくのみや) 2010年9月18日訪問

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貴船神社 奥宮 神門

相生の大杉とと林田社と私市社の二座を祀る祠を過ぎると、府道361号上黒田貴船線から離れ奥宮の参道に入っていく。朱塗りの鳥居の先の思ひ川に架かる小さな橋を渡る。途中のつつみが岩を越えると、府道から並木1本隔てただけにもかかわらず山奥の神社を参詣する雰囲気が高まってくる。ほどなくして濃い緑の中に朱塗りの神門が現れる。この門を潜ると貴船神社の奥宮である。細い参道からは想像できないほど広い空間が目の前に広がる。貴船川のすぐ畔に広がる平坦な地で、ここが貴船神社の創建の地であったことが頷けるような立地である。左手は木々に包まれているものの貴船山の急斜面がそそり立ち、崩落防止のための法面工事が施されている。

このブログで初めて貴船神社の本宮を書いた2020年10月から、神社の公式HPはリニューアルしたようで、かつて参照した周辺地図等のページが読めなくなっている。 2021年2月現在のHPでは、伊奘諾命の御子神で水の供給を司る神である高龗神が本宮と奥宮の御祭神となっている。その上で下記のように補足している。

奥宮
高龗神(たかおかみのかみ)
船玉神(ふなだまのかみ)としての信仰も篤い一説には闇龗神(くらおかみのかみ) 玉依姫命(たまよりひめのみこと)も祀られていると伝わる

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貴船神社 奥宮 神門から境内
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貴船神社 本宮 拝殿と本殿

高龗神も闇龗神も水を司る神である。同じく水神として崇められている罔象女神は、伊弉冉命が迦具土神を産んだ際に伊弉冉命の尿から生まれたとされている。そして高龗神と闇龗神は迦具土神を斬った伊奘諾命の十拳剣から滴り落ちた血から産まれている。この水を司る三神は何れも神産みの神話で誕生している。なお龗の字は、雨の下に口が三つ並び、その下に龍と書く。三つの口は器を並べた様を示し、雨乞いの祈りを表しているとも謂われている。上記の貴船神社の公式HPでは次のように高龗神と闇龗神を説明している。

高龗神も闇龗神も水を司る神である。同じく水神として崇められている罔象女神は、伊弉冉命が迦具土神を産んだ際に伊弉冉命の尿から生まれたとされている。そして高龗神と闇龗神は迦具土神を斬った伊奘諾命の十拳剣から滴り落ちた血から産まれている。この水を司る三神は何れも神産みの神話で誕生している。なお龗の字は、雨の下に口が三つ並び、その下に龍と書く。三つの口は器を並べた様を示し、雨乞いの祈りを表しているとも謂われている。上記の貴船神社の公式HPでは次のように高龗神と闇龗神を説明している。

「山上の龍神」と「谷底暗闇の龍神」とは、本宮と奥宮の立地的な特徴をよく現わしている。罔象女神を御祭神としているのは奈良県吉野郡の丹生川上神社である。三浦俊介氏は「神話文学の展開 貴船神話研究序説」(思文閣出版 2019年刊)で以下のような貴船神社の歴史を提起している。

今で言う「鞍馬・貴船」の地に山人たちの崇敬を受けていた岩石や清水の聖地があった。そこに、やがて渡来系白髭族が白髭社や百太夫社を祀りながら瀬戸内海を通り、大阪湾から遡上して上賀茂・貴船へと到達し、定住した。平安時代に入り、大和国丹生川上社の「罔象女神」を勧請し、平安時代の洪水を経て「高龗神」奉斎へと進展した。「舌」を名乗っていた一族は、その後、強大なカモ族が祀る賀茂別雷神社との確執の中で、自らの存在意義を高めるためにも、神社神話を荘厳昇華させる必要があった。そのために、おそらく氏族内で伝承されていたであろう「白髭遡源神話」を基に、賀茂別雷神社の遡源神話を援用して「黄船遡源神話」を作り出した。その一方で「貴布禰大明神」の降臨神話をも整備していったものと思われる。

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貴船神社 奥宮 本殿

三浦氏の指摘する通り、初期の貴船神社には遡上伝説が存在していたようだ。これが「黄船遡源神話」として現在に残り、船玉神や玉依姫命の祭祀にも結びついていったのであろう。そして平安時代の初期に、大和国丹生の川上社より罔象女神をこの地に勧請している。平安京を支える賀茂川の水源として水を司る神が必要であったからと考えられる。そして永承元年(1046)に生じた貴船川の出水以降に、新たな水の神として高龗神の奉斎が始まる。流出した社殿は天喜3年(1055)に本宮に創建されるが、その際の社地移転は朝議で諮られており、現在の本宮に社殿が新築された際の奉幣使が賀茂社にも派遣されている。このことからこの時期には既に賀茂社の支配下にあったことが推測される。また嘉承元年(1106)上賀茂神社が炎上した際には、貴船神社に上賀茂神社の御神体が遷したという記録が以下のように百錬抄 第五 堀河(嘉承)にある。

○四月十三日。賀茂別雷社焼亡。御正躰奉貴布禰社

つまり、「山上の龍神」として高龗神を貴船神社の御祭神としたのは、上賀茂神社と下鴨神社を氏神とする賀茂氏の末裔であった。その後奥宮も再建され、対となる「谷底暗闇の龍神」である闇龗神を祀る地に改めたということであろう。

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貴船神社 奥宮 左:神門 中央:連理の杉と日吉社

「貴船神社 奥宮」 の地図





貴船神社 奥宮 のMarker List

No.名称緯度経度
01  貴船神社 奥宮 手水 35.1282135.7649
02  貴船神社 奥宮 神門 35.1284135.765
03  貴船神社 奥宮 拝殿 35.1287135.7651
04  貴船神社 奥宮 本殿 35.1287135.7652
05  貴船神社 奥宮 権地 35.1287135.7652
06  貴船神社 奥宮 船形石 35.1287135.765
07  貴船神社 奥宮 連理の杉 35.1284135.7649
08  貴船神社 奥宮 摂社・吉田社 35.1285135.7649
09  貴船神社 奥宮 摂社・鈴市社 35.1287135.7651
10  貴船神社 奥宮 摂社・吸葛社 35.1287135.765
11  貴船神社 つつみが岩 35.1274135.7646
12  貴船神社 思ひ川 35.1271135.7647
13  相生の大杉 35.127135.7646
14  貴船神社 林田社・私市社 35.1269135.7644

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