文書と写真・地図による「記憶」の再現

貴船神社 奥宮 その3



貴船神社 奥宮(きぶねじんじゃ おくのみや)その3 2010年9月18日訪問

画像
貴船神社 奥宮 拝殿と石造の狛犬

貴船神社 奥宮 その2では奥宮の境内ついて書いてきた。この項では奥宮の本殿について記述する。
この2010年に訪問では古い本殿を撮影したが、2012年には新しい本殿が竣工したようだ。このことは貴船神社のFacebookに貴船神社 【奥宮本殿解体修理と「附曳神事」】 ~150年ぶりに行われた特殊神事~として記述されている。これによると完全な新築ではなく、一度本殿を解体し、「使える古材は出来るだけ保存」したとあるので、部分的に新材を加えた改修工事だったようだ。2011年12月3日に御仮殿に神御をお遷しする「仮殿遷座祭」を齋行し、同月29日に本殿を権地に曳き遷す「附曳神事」を執り行ったとある。確かに本殿右手には注連縄で囲み、権地という木札が建てられた空間があった。ここに本殿が曳家されたということである。解体作業が翌2012年1月中旬より始まり、その後再び木工工事が行われ、一旦社殿が権地で完成する。そして元の場所に曳き遷した後、御神体をお戻しする「本殿遷座祭」が5月31日に行われた。翌日の6月1日には貴船祭が新しい御社殿にて執り行われている。奥宮の権地と同じく、本宮にも本殿の後方に権地が設えられている。なお奥宮の本殿の建替えは150年ぶりの工事であり、前回は文久年間(1861~4)のことであったとされている。

画像
貴船神社 奥宮 本殿
画像
貴船神社 奥宮 本殿

奥宮の本殿の真下には、誰も見てはならぬとされる神聖な龍穴がある。この龍穴のために附曳神事が行われている。上記の記事によれば、神事は次のように行われたようだ。

まず本殿の西に手広い菰(こも)を結び付け、氏子一同烏帽子浄衣の白装束で、本殿を東の権地(ごんち)に曳き遷す。そこで龍穴は自然に菰で覆われる。龍穴は人目を忌むから、しめ縄にて菰をくくり、竣工の時、まずそれを解き、本殿を旧位置(龍穴の上)に復し、正遷宮の儀に及ぶのである。(中略)
この「附曳神事」においては、絶対に守らなければならないことがある。それは、奉仕員・参列員、境内にいるすべての人間は、一切言葉を発してはならないということ。特に、かつて貴船神社の社家の筆頭として権威を持っていた舌(ぜつ)家※ の人間は絶対にしゃべってはいけないと厳しく云われていたようである。言葉はおろか、声そのもの、「音」を発生させてはならぬという事である。そしてそのために、物理的に口を開けないようにするため、神事において終始”榊の葉”をくわえておくのである。

また、前回の文久年間の修理の際、大工が誤って鑿を龍穴に落とすという事故があったようだ。晴天俄かに掻き曇り、たちまち竜巻のような突風が吹きすさんで、鑿は空中に吹き上げられ屋根に戻されたそうだ。さらにその大工は命を落としてしまったとも謂われている。なお、2010年の訪問時の本殿は少なくとも天保10年(1840)より以前に建てられたものであると考えられている。

画像
貴船神社 奥宮 本殿東側の権地 奥は本殿
画像
貴船神社 奥宮 権地
画像
貴船神社 本宮 本殿裏側 右:権殿

この「【奥宮本殿解体修理と「附曳神事」】 ~150年ぶりに行われた特殊神事~」には、以上のような附曳神事以外に、瀧尾神社についての興味深いことが記されている。瀧尾神社は、京阪本線東福寺駅の北東、今熊野川に架けられたとされている伏水街道一之橋の傍らに鎮座する神社である。この一之橋から京都市立一橋小学校の名称が生まれたとされている。残念ながら2014年に月輪中と統合し京都市立東山泉小中学校となったため現存しない。

画像
瀧尾神社 伏見街道一之橋 2012年1月22日撮影
画像
瀧尾神社 拝所・幣殿・本殿とつながる 2012年1月22日撮影

瀧尾神社の創建年代は不詳とされているが、平安末期に記された源平盛衰記に、武鶏ノ社という記述があることから、この頃には存在したと考えられる。御祭神は大国主命、弁財天、毘沙門天。大丸の創業者である下村彦右衛門正啓が自宅のあった伏見京町から京に向かう途上にあった当社に参拝していたことから、代々下村家より崇敬されてきた。下村家は、天保10年(1839)から翌年にかけて瀧尾神社の本殿、拝殿、手水舎、絵馬舎の整備を行っている。その際、「北山貴船奥院御社旧殿を移築改築した」と瀧尾神社の記録に残されているらしい。そのため、瀧尾神社の本殿は貴船神社奥宮と寸分違わず同じである。さらに天保年間以前の社殿ながら傷みも少なく京都市有形文化財に指定されている。このことから、社殿老朽化以外の理由で文久年間に修築した可能性が生まれる。上賀茂神社の正遷宮は寛永(1628)、延宝(1679)、正徳(1711)、寛保(1741)、安永(1777)、享和(1801)、天保(1835)そして文久(1864)に徳川幕府によって行われている。遷宮は定期的に行われたのではなかったようだ。そしてこの遷宮に伴って社殿の造営が行われてきた。江戸時代最後の文久度造替は、文久3年(1863)10月27日に仮殿遷宮、そして翌元治元年(1864)3月15日に正遷宮は行われている。この時に、中井保三郎を大工頭として現在の本殿と権殿を建替えている。当時、上賀茂神社の支配下にあった貴船神社でも本宮の拝殿と奥宮の本殿の修復が同時期に行われたのであろう。そのようなことから、瀧尾神社に移築された奥宮の本殿は、天保度以前の上賀茂神社の造替(寛保度、安永度、享和度)に併せて建替えられた本殿を天保10年(1839)に瀧尾神社に移築したのであろう。ただし単純に貴船の本殿を瀧尾に移築すると奥宮に一時的に本殿がなくなるので、天保度に解体し保存していた旧本殿を天保10年に瀧尾に移したと考えるのが自然であろう。

画像
貴船神社 奥宮 神門から参道を眺める

「貴船神社 奥宮 その3」 の地図


大きな地図



貴船神社 奥宮 その3 のMarker List

No. 名称 緯度 経度
01  貴船神社 奥宮 手水 35.1282 135.7649
02  貴船神社 奥宮 神門 35.1284 135.765
03  貴船神社 奥宮 拝殿 35.1287 135.7651
04  貴船神社 奥宮 本殿 35.1287 135.7652
05  貴船神社 奥宮 権地 35.1287 135.7652
06  貴船神社 奥宮 船形石 35.1287 135.765
07  貴船神社 奥宮 連理の杉 35.1284 135.7649
08  貴船神社 奥宮 摂社・吉田社 35.1285 135.7649
09  貴船神社 奥宮 摂社・鈴市社 35.1287 135.7651
10  貴船神社 奥宮 摂社・吸葛社 35.1287 135.765
11  貴船神社 つつみが岩 35.1274 135.7646
12  貴船神社 思ひ川 35.1271 135.7647
13  相生の大杉 35.127 135.7646
14  貴船神社 林田社・私市社 35.1269 135.7644

「貴船神社 奥宮 その3」 の記事

「貴船神社 奥宮 その3」 に関連する記事

「貴船神社 奥宮 その3」 周辺のスポット

    

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

サイト ナビゲーション

投稿カレンダー

2021年2月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728

過去の記事

カテゴリー

最近の投稿