貴船神社 奥宮 その2
貴船神社 奥宮(きぶねじんじゃ おくのみや)その2 2010年9月18日訪問
貴船神社 奥宮では御祭神の変遷について書いてきた。この項では奥宮の境内について記述する。
思ひ川に架かる小さな橋を渡り参道を進むと、右手につつみが岩が見える。さらに進むと、小さな朱塗りの神門が現れる。この美しい神門より中が貴船神社の奥宮となる。神門の左手前には石組で作られた手水が設けられている。現在では思ひ川で禊を行うこともないので、ここで身を清めて参拝するという意味であろう。
神門を潜ると、細い参道からは想像できない大きな空間が目の前に広がる。正面に拝殿、さらにその奥に奥宮の本殿が鎮座する。この拝殿の前には石造の狛犬が一対備えられている。目と口に鮮やかな彩色が施されたように見えるので近年に改修されたのであろう。貴船神社のFacebookを見ると本殿御扉前の木製の狛犬が新調されたという記事・奥宮によみがえる狛犬があった。金色の全身に空色と青色のタテガミと尾をした狛犬で、阿吽の内の吽の方は首を正面に向け、さらに角を持っている。これはめずらしい形態であると書いてあった。なお今まで風雨に晒され風化した木製の狛犬は本宮の権殿の御内陣に納めたようだ。
拝殿の奥には年代を経た本殿が鎮座する。奥宮の本殿は文久年間(1861~4)に修築されたとされている。この本殿の東側(向かって右側 貴船川の方向)には、注連縄に囲まれ権地という木札が建てられた空間がある。これは西側の本殿を建て替える際に使用する場所と思われる。貴船神社の宮司・高井和大氏は、JR東海の そうだ京都、行こう。の記事で「社殿の建て替えの時、建物を権地に遷して工事を行います。」と説明している。確かに本殿と同じ大きさの空間が用意されている。
神門を入った西側には御神木の連理の杉と末社の日吉社がある。杉と楓の2本の木が絡み合っている様から連理の杉と呼ばれている。貴船神社だけに夫婦、男女和合の象徴とされている。駒札には以下のようなことが記されていた。
連理の杉(御神木)
貞明皇后御参拝の折(大正十三年)賞賛された連理の杉。連理とは、別々の木が重なって一つになる意で、夫婦、男女の仲睦まじいことをいう。この神木は、杉と楓が和合したもので、ひじょうに珍しい。
貞明皇后とは、勿論大正天皇の皇后のことである。五摂家のひとつ九条家の当主であり、最後の藤氏長者である九条道孝の四女・節子として明治17年(1884)に生まれている。しかし五摂家による摂政関白は明治を迎えると同時に廃されたので、節子は正確には公爵家令嬢となる。しかし庶子であったため、当時の東京の郊外にあたる東多摩郡高円寺村の豪農家に里子に出されている。赤坂福吉町の九条家に戻る明治23年(1890)まで、「九条の黒姫様」と呼ばれるほど逞しく育てられた。その頃、明治天皇の皇子たちの死産や夭折が繰り返され、次の皇后には容姿端麗より健康を重視する方針に傾いていった。そのため容姿端麗で最有力候補であった伏見宮禎子女王が内定から外され、消去法により九条節子が妃候補に浮上した。禎子女王は後に侯爵山内豊景の夫人となり、貞明皇后より長寿で昭和41年(1966)に80歳で没している。もともと本人の身体が頑強であったのか、あるいはストレスの多い宮中に入らなかったのが良かったのかは分からない。
節子は明治33年(1900)に皇太子嘉仁親王との婚約が決まり、同年5月10日に婚礼が行われた。皇太子裕仁親王が明治10年(1921)9月に欧州から帰国すると、天皇の病状が深刻であることが発表されている。そして同年11月25日に裕仁親王が摂政に就任している。さらに大正13年(1924)には病状はかなり悪化し、同年1月26日に行われた裕仁親王の婚礼の宴席に出席できなかった。このような時期に、皇后自らが貴船神社を御参拝され連理の杉を称賛したとあるが、皇后の心中を推し量ることは容易ではないはずだ。皇后は大正天皇が崩御された後も、昭和天皇や三笠宮崇仁親王の子たちに囲まれるように暮らし、戦後昭和26年(1951)狭心症の発作によって崩御されている。享年66。ほとんど大病にも罹らず健康な生活を送っていた中での突然の死であったようだ。
連理の杉の根元には末社の日吉社が祀られている。日吉社の現在の御祭神は大物主命。古伝に大山咋神とある。林田社・私市社で記したように、大国主命は少彦名命とともに国造りを行ってきた。しかし少彦名命が常世の国へ去ったため、大国主神はこれからどうやってこの国を造って行けば良いのかと深く思い悩む。その時、海の向こうから光り輝く神様が現れ、我を倭の青垣の東の山の上に奉れば国造りはうまく行くと告げた。これが日吉社の御祭神である大物主命であった。そして大国主神は大物主命を三輪山に祀ることで国造りを終えたとしているのが「古事記」である。また「日本書紀」の異伝では大国主神の別名としている。大山咋神は大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味する。滋賀県大津市の日吉大社は大山咋神(東本宮)を祀る全国の日枝神社の総本社であり、西本宮の御祭神は大国主命である。いづれも山の神で貴船山を守護するための末社である。
拝殿の西側に2つの末社が向かい合っている。貴船山を背にして東に面する末社が吸葛社、西に面する末社は鈴市社である。吸葛社の御祭神は味耜高彦根命(阿遅鉏高日子根神)。大国主神と宗像三女神の多紀理毘売命の間の子で、農業の神、雷神、不動産業の神として信仰されている。白石社の御祭神である下照姫命の兄。天津国玉神らに亡くなった天若日子に似ていると言われ激怒して喪屋を破壊している。この神は大和国葛城の賀茂社の鴨氏が祀っていた大和の神とされ、「賀茂之本地」では上賀茂神社の御祭神である賀茂別雷大神と同一視されている。
鈴市社の御祭神は初代天皇・神武天皇の皇后である媛踏鞴五十鈴媛命で比売多多良伊須気余理比売とも書く。「古事記」では大物主命が父親とされている。三輪の大物主命が勢夜陀多良比売を好きになり、丹塗りの矢に変じて陰部にささったというものである。この話は賀茂社の玉依姫と火雷命の話と同じ形式の説話であり、賀茂社の説話では生まれたのは上賀茂神社の御祭神である賀茂別雷神である。この他に貴船神社の奥宮には船形石があるが、これについては改めて別の項で記す。
「貴船神社 奥宮 その2」 の地図
貴船神社 奥宮 その2 のMarker List
No. | 名称 | 緯度 | 経度 |
---|---|---|---|
01 | ▼ 貴船神社 奥宮 手水 | 35.1282 | 135.7649 |
02 | ▼ 貴船神社 奥宮 神門 | 35.1284 | 135.765 |
03 | ▼ 貴船神社 奥宮 拝殿 | 35.1287 | 135.7651 |
04 | ▼ 貴船神社 奥宮 本殿 | 35.1287 | 135.7652 |
05 | ▼ 貴船神社 奥宮 権地 | 35.1287 | 135.7652 |
06 | ▼ 貴船神社 奥宮 船形石 | 35.1287 | 135.765 |
07 | ▼ 貴船神社 奥宮 連理の杉 | 35.1284 | 135.7649 |
08 | ▼ 貴船神社 奥宮 摂社・吉田社 | 35.1285 | 135.7649 |
09 | ▼ 貴船神社 奥宮 摂社・鈴市社 | 35.1287 | 135.7651 |
10 | ▼ 貴船神社 奥宮 摂社・吸葛社 | 35.1287 | 135.765 |
11 | ▼ 貴船神社 つつみが岩 | 35.1274 | 135.7646 |
12 | ▼ 貴船神社 思ひ川 | 35.1271 | 135.7647 |
13 | ▼ 相生の大杉 | 35.127 | 135.7646 |
14 | ▼ 貴船神社 林田社・私市社 | 35.1269 | 135.7644 |
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