文書と写真・地図による「記憶」の再現

カテゴリー:200812

鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 その4

 

鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 (とばふしみせんぼうちょうじゅなんしゃのはか)その4  2008/12/22訪問 鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 墓地入口から全景を眺める  石田孝喜著「幕末京都史跡大辞典」(新人物往来社 2009年刊)には、この墓地の成り立ちついて詳細に記されている。鳥羽伏見の戦いは慶応4年(1868)1月10日に終わり、千両松の戦いで戦死した石川厚狭介を含む長州藩士の24体の遺体は、この地に埋葬され、一名ずつ木の墓標が建てられた。そして明治33年(1900)の33回忌に墓標が現在の石標に替えられ、この時に14名の戦傷病死者が追祀されている。 鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 墓地入口近くにある石燈籠と石碑  現在の墓地の構成は、仲恭天皇 九條陵の西側の一段下った敷地上に、石壇を築きその上に石標… ►続きを読む

 

鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 その3

 

鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 (とばふしみせんぼうちょうじゅなんしゃのはか)その3  2008/12/22訪問 鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 献花台の奥に墓碑が二列並ぶ  慶応4年(1868)1月3日の夕方、小枝橋での通過交渉が決裂し、ついに鳥羽伏見の戦い、あるいは1年半に及ぶ戊辰戦争が始まる。詳しい戦いの経過は、野口武彦著「鳥羽伏見の戦い 幕府の命運を決した四日間」(中央公論新社 2010年刊)や以前の項に譲るものとする。長州軍の出兵した伏見方面も、この小枝橋での武力衝突の砲声を受けて始まる。伏見奉行所に詰めていた会津軍や新選組は、奉行所を出て市街戦を挑むが、碁盤の目に配置された伏見の町並みに死角がなく、次々と兵を失っていく。さらに御香宮神社や東側の斜面からの砲撃により奉行所は炎上し、1月3日の深夜… ►続きを読む

 

鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 その2

 

鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 (とばふしみせんぼうちょうじゅなんしゃのはか)その2  2008/12/22訪問 鳥羽伏見戦防長殉難者之墓  仲恭天皇 九條陵より参道を戻る途中を左手に入ると鳥羽伏見戦防長殉難者の墓地がある。前回の訪問は新緑の季節で木々も緑濃かったが、今回は葉もすっかり落ち、墓地の地面を茶色に染めている。やや高台にある九條陵と鳥羽伏見戦防長殉難者之墓の位置関係がよく分かるようになっている。 まず参道から墓地に入ると、この空間の広さに驚く。九條陵の一段下の斜面にこれだけの面積の平地を作り出している。この墓所には鳥羽伏見戦で戦死した石川厚狭介をはじめ、病死した者を含めた49名の長州藩士の墓碑が祀られている。墓石は仲恭天皇陵と同じく西側に面するように整然と2列に並べられ、その前には献花台、… ►続きを読む

 

仲恭天皇 九條陵 その2

 

仲恭天皇 九條陵(ちゅうきょうてんのう くじょうのみささぎ)その2  2008/12/22訪問 仲恭天皇九條陵  九條陵へ続く参道は、崇徳天皇中宮皇嘉門院月輪南陵の前を過ぎてさらに東に緩やかに上っていく。鳥羽伏見戦防長殉難者之墓を右手に見ながら、進むと宮内庁の管理用の建物があり、ここで参道は右手に折れる。皇嘉門院月輪南陵が参道に面して北向きであったのに対して、この九條陵は西向きに築かれている。 後の仲恭天皇となる懐成親王は、建保6年(1218)順徳天皇の第一皇子として生まれている。母は九条良経の娘・九条立子であった。良経は、皇嘉門院の異母弟にあたり九条家の祖となった九条兼実の次男である。長兄の九条良通が早世したため藤氏長者を嗣ぐも、良経もまた元久3年(1206)に若くして急死している。そのた… ►続きを読む

 

崇徳天皇中宮皇嘉門院月輪南陵

 

崇徳天皇中宮皇嘉門院月輪南陵(こうかもんいんつきのわみなみりょう)  2008/12/22訪問 皇嘉門院月輪南陵  前回九條陵を訪問した際は、陵の場所が良く分からず東福寺の方に道順を尋ねた。どうも聞いた方もあまり詳しくなかったようで、おおよその場所の情報しか得られなかった。大雑把な地図を頼りに、日下門の前を南に折れ、六波羅門・勅使門の前を過ぎて数分歩くと比較的新しい住宅地の中に迷い込んでしまい。ついに見つからないのではと思った時に、大きな木の下に碑があるのに気が付いた。碑を読むとここが九條陵と月輪南陵への参道の入口であることが分かった。 今回は前回の道筋と光景を覚えていたので、何も迷うことが陵の入口にたどり着くことができた。石段を数段登ると参道は直角に折れ、東方向へ真直ぐに緩やかな勾配で伸び… ►続きを読む

 

東福寺 塔頭 その2 

 

東福寺 塔頭(たっちゅう)その2 2008年12月22日訪問 東福寺 大樹院 ■01 万寿寺 白河上皇が皇女郁芳門院内親王の菩提を弔うため、永長元年(1096)下京区万寿寺通高倉にあった六条内裏の中に建立された六条御堂がはじまり。  正嘉年間(1257~9)に十地上人覚空とその弟子慈一房湛照(宝覚禅師)により、浄土教を修する寺となったが、東福寺の聖一国師と親しくその教えを受けるに及び禅宗となし、弘長元年(1261)に万寿禅寺と改めたと伝わる。往時の規模については明らかではない。 室町時代 当初は十刹の第4位であったが、後に五山に昇格し、更に京都五山の第5位に数えられたが、永享6年(1434)の大火に罹災し、寺運は次第に衰微していった。東福寺の塔頭三聖寺が開山湛照と同じところから、天正年間(157… ►続きを読む

 

東福寺 光明院

 

東福寺 光明院(こうみょういん) 2008年12月22日訪問 東福寺 光明院 波心庭  東福寺方丈を出て、重森三玲の庭園のある光明院に向かう。既に15時を過ぎているので、日没閉山にならないうちに着くように道を急ぐ。光明院は、室町時代の明徳2年(1391)金山明昶の開創。明昶は正平4年(1349)生まれで、東福寺第70世住持を務め、但馬の極楽寺などを創建している。応永20年(1413)没。 東福寺 光明院 山門 左手に嶺雲庭の碑が建つ 東福寺 光明院 庫裡前にある嶺雲庭 東福寺 光明院 庫裡の三和土 拝観料は志納で庫裡にある竹筒の中に入れる  東福寺方丈の繰り返しになるが、昭和14年(1939)三玲は、東福寺方丈の「八相の庭」とこの光明院の「波心庭」、そして開山堂庭園と塔頭・芬陀院の庭園の復元を手… ►続きを読む

 

東福寺 方丈 その2

 

東福寺 方丈(ほうじょう)その2 2008年12月22日訪問 東福寺 方丈 八相の庭  東福寺の開山堂と普門院の楼門を出て、再び通天橋を渡り仏殿まで戻る。その後、東福寺の方丈を拝観する。 東福寺 方丈 八相の庭 横からの眺め 東福寺 方丈 八相の庭 正面からの眺め  東福寺の方丈庭園は前回の訪問の時にかなり書いたので、書き足すことはそれ程多くないので、新たな写真を中心に感想を記していく。 東福寺 方丈 八相の庭 東福寺 方丈 八相の庭 奇岩が用いられている  昭和14年(1939)に作庭された東福寺方丈の4つの庭、「八相の庭」、「井田の庭」、「市松の庭」そして「北斗七星の庭」は重森三玲の事実上の処女作になる。「重森三玲 永遠の求めつづけたアヴァンギャルド」(京都通信社 2007年)に掲載されてい… ►続きを読む

 

東福寺 開山堂・普門院 その3

 

東福寺 開山堂・普門院(かいざんどう・ふもんいん)その3 2008年12月22日訪問 東福寺 開山堂・普門院 開山堂庭園 鶴島と亀島  かげまるくん行状集記 に掲載されている本朝寺塔記には京都十刹としての普門寺についての記述がある。 東福寺の項でも触れたように、東福寺創設には長い年月を要している。九条道家が京都最大の大伽藍の造営に着手したのが、嘉禎2年(1236)であり、完成に至ったのが実に建長7年(1255)のことであった。奈良における最大の寺院・東大寺と最も隆盛を極めた寺院・興福寺になぞらえて計画された寺院であったため、東大寺と興福寺から一字づつを取り、東福寺と名付けられた。上記の普門寺はこの建立に先立つ寛元4年(1246)創設されている。建立当初は普門院と称され、普門寺となり京都十刹に… ►続きを読む

 

東福寺 開山堂・普門院 その2

 

東福寺 開山堂・普門院(かいざんどう・ふもんいん)その2 2008年12月22日訪問 東福寺 開山堂・普門院  東福寺の塔頭・霊雲院の山門を出て再び一華院と同聚院の間の道を戻る。この道の突き当たりにある大機院は、北側に並ぶ栗棘庵や善慧院と比べると高台の上に建てられている。いつも感じるが、この大機院の山門を見るために上る石段の途中からの眺めは美しい。 日下門を目指し南に進む。右手の一華院を過ぎると、左手に月華門が現れる。文永5年(1268)一条実経が常楽庵を建立した際、亀山天皇が京都御所の月華門を下賜された門とされている。常楽庵とはこれから向かう開山堂の別名である。檜皮葺切妻造、朱塗りの四脚門で、板蟇股などの細部に鎌倉時代の特色をよくあらわしている。重要文化財に指定されている。月華門を過ぎると… ►続きを読む

 

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