徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

カテゴリー:訪問年月

天龍寺 宝厳院

 

天龍寺 宝厳院(ほうごんいん) 2009年1月12日訪問 天龍寺 宝厳院 中央に龍門滝が見える  法金剛院の五位山と双ヶ岡の連なりを眺めながら、花園駅からJR嵯峨野線に乗車し、2つ先の嵯峨嵐山駅で下車する。駅南口に出て、京福電気鉄道嵐山線の嵐電嵐山駅に進む。駅の直前を西に折れてさらに300メートル程度進むと、京都府道29号宇多野嵐山山田線に突き当たり、その先に天龍寺の総門が現れる。今回は塔頭の宝厳院を先に訪問するため、放生池を右手に見ながら通り過ぎ、法堂の手前を南に入る。そのまま150メートルくらい進むと宝厳院の山門が現れる。 天龍寺 宝厳院 茅葺屋根を載せた長屋門風の山門… ►続きを読む

 

双ヶ丘

 

双ヶ丘(ならびがおか) 2009年1月12日訪問 双ヶ丘  法金剛院の山門を潜り出ると、たちまち交通量の多い丸太町通という現実の世界に戻る。横断歩道を渡るとJR山陰本線の花園駅の駅前広場が迎えてくれる。1996年に二条城駅とともに高架化され、駅舎も改められている。ホーム上部には木造構造の屋根が架けられ、街中の駅舎とは思えない特徴的な外観を作り出している。この花園駅から嵯峨野線に乗車し天龍寺に行く予定であるが、次の電車が来るまでにまだ少し時間があるようだ。ちなみに山陰本線のうち京都駅から南丹市の園部駅までの間は嵯峨野線と呼ぶ。花園駅のホームで次の電車を待ちながら、双ヶ丘から仁和寺方向を眺め… ►続きを読む

 

法金剛院 その2

 

律宗別格本山 五位山 法金剛院(ほうこんごういん) その2 2009年1月12日訪問 法金剛院 庭園  大治5年(1130)第74代鳥羽天皇の中宮待賢門院は、仁和寺の御堂として復興する。養父で寵愛を受けた白河法皇追善のためであり、この時に寺号を法金剛院と改めている。そして待賢門院は晩年をこの地で過ごす。大治4年(1129)7月24日に白河院が崩御する。同年9月10日、待賢門院は仁和寺御堂を建立するため、候補地の視察を源師時に命じている。師時は中原師能と伴い花園の天安寺を視察する。東西に川が流れ後方に山があり、南は開けているという地形は、御堂の建立地としては最適であると考えるに至る。法金剛… ►続きを読む

 

法金剛院

 

律宗別格本山 五位山 法金剛院(ほうこんごういん) 2009年1月12日訪問 法金剛院 山門  妙心寺の南総門を出ると、東側から来た丸太町通が南西に緩やかに曲がって行く。道なりに進むと通りの向こう側にJR山陰本線の高架と花園駅が見えてくる。そのまま南総門から200メートルくらい進んだ右手に法金剛院の山門が現れる。道路幅員が広く、交通量の多い丸太町通に面して、小さく簡素な門が迎えてくれる。山門の左手には、文徳天皇御旧跡 律宗別格本山 法金剛院と記された石柱標識が建つ。 法金剛院 山門脇の碑 法金剛院 境内図  現在の法金剛院の地には、平安時代初期、右大臣清原夏野の山荘が営まれて… ►続きを読む

 

妙心寺 塔頭 その7

 

妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) その7 2009年1月12日訪問 妙心寺 塔頭 仙壽院と衣笠山 2012年1月撮影  玉鳳院と龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院の本派四庵以外の43の塔頭を南西、北西、北東、南東そして一条通の北側の5つのエリアに分けて見て行く。 一条通北エリア42金臺寺 慶長13年(1608) 開山 輝岳宗暾 妙心寺131世                開基 正親町天皇 豊臣秀吉43仙壽院 承応 元年(1652) 開山 禿翁妙宏 妙心寺196世                開基 後水尾天皇44多福院 文明14年(1482) 開山 鉄船宗熙45霊光院 天正10年(… ►続きを読む

 

妙心寺 塔頭 その6

 

妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) その6 2009年1月12日訪問 妙心寺 小方丈  玉鳳院と龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院の本派四庵以外の43の塔頭を南西、北西、北東、南東そして一条通の北側の5つのエリアに分けて見て行く。 南東エリア31雑華院 天正11年(1583) 開山 一宙東黙 妙心寺79世                開基 牧村利貞32福壽院 元和 5年(1619) 開山 竜天宗登                開基 水野忠清の室(養賢院)33如是院 ?      大愚庵開山 義天玄詔 妙心寺8世      寛正 3年(1462) 中興 直指宗諤 妙心寺51世    … ►続きを読む

 

妙心寺 塔頭 その5

 

妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) その5 2009年1月12日訪問 妙心寺 塔頭 海福院 玉鳳院と龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院の本派四庵以外の43の塔頭を南西、北西、北東、南東そして一条通の北側の5つのエリアに分けて見て行く。 北東エリア23光国院 元和 6年(1620) 開山 梁南禅棟 妙心寺100世                開基 松平忠隆24雲祥院 慶長 3年(1598) 開山 海山元珠 妙心寺105世                開基 千坂宗策(亀仙庵)25長慶院 慶長 5年(1600) 開山 東漸宗震 妙心寺71世                開基 木下家定の… ►続きを読む

 

妙心寺 塔頭 その4 

 

妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) その4 2009年1月12日訪問 妙心寺 塔頭 隣華院 玉鳳院と龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院の本派四庵以外の43の塔頭を南西、北西、北東、南東そして一条通の北側の5つのエリアに分けて見て行く。 北西エリア14大通院 天正14年(1586) 開山 南化玄興 妙心寺58世                開基 一柳直末15春光院 天正18年(1590) 開山 猷山景嘉 妙心寺113世                開基 堀尾吉晴16麟祥院 寛永10年(1633) 開山 碧翁愚完                開基 春日局17智勝院 慶長 2年(159… ►続きを読む

 

妙心寺 塔頭 その3

 

妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) その3 2009年1月12日訪問 妙心寺 塔頭 徳雲院 山門への参道 玉鳳院と龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院の本派四庵以外の43の塔頭を南西、北西、北東、南東そして一条通の北側の5つのエリアに分けて見て行く。 南西エリア06慈雲院 承応 2年(1653) 開山 湛月紹円 妙心寺194世                開基 橘屋新兵衛 一空覚心居士07退蔵院 応永11年(1404) 開山 無因宗因 妙心寺3世                開基 波多野重通08天授院 康暦 2年(1380) 開山 授翁宗弼 妙心寺2世09徳雲院 永正 3年(1506… ►続きを読む

 

妙心寺 塔頭 その2

 

妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) その2 2009年1月12日訪問 妙心寺 塔頭 東海庵 方丈玄関  次に妙心寺9世雪江宗深の4人の弟子、景川宗隆、悟渓宗頓、特芳禅傑、東陽英朝の4庵、すなわち龍泉庵、東海庵、霊雲院そして聖澤院を見て行く。 02龍泉庵 文明13年(1481) 開山 景川宗隆 妙心寺10世)                開基 細川政元03東海庵 文明16年(1484) 開山 悟渓宗頓 妙心寺11世04霊雲院 大永 6年(1526) 開山 大休宗休 妙心寺25世               勧請開山 特芳禅傑 妙心寺12世05聖澤院 大永 3年(1523) 開山 天… ►続きを読む

 

妙心寺 塔頭

 

妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) 2009年1月12日訪問 妙心寺 塔頭 玉鳳院  衡梅院を出て、非公開の塔頭を巡る。最初は妙心寺創設の歴史に関わる玉鳳院である。 01 玉鳳院 暦応 5年(1342) 関山慧玄(妙心寺 1世)                   開基 花園法皇01 玉鳳院  玉鳳院は妙心寺の開基である花園法皇を祀る塔頭であり、開山関山慧玄の開山堂・微笑堂がある。既に妙心寺 その3の項で記したように、文保2年(1318)持明院統の第95代花園天皇は皇位を大覚寺統の後醍醐天皇に譲る。院政は御宇多院が執ることとなる。花園院は現在の年齢に直すと11歳で即位し、20歳で退… ►続きを読む

 

妙心寺 衡梅院

 

妙心寺 衡梅院(こうばいいん) 2009年1月12日訪問 妙心寺 衡梅院 南庭  退蔵院の山門を出ると、再び朱塗りの三門が目に入る。勅使門、放生池、三門、仏殿そして法堂が一列に並ぶ妙心寺の主要伽藍を東に横切り、東海庵の豪華な唐門を眺めながら、右に曲がり再び衡梅院の山門前に戻る。 妙心寺 衡梅院 山門 本山四派創源雪江禅師塔所の石碑が建つ 妙心寺 衡梅院 方丈玄関と庫裏 妙心寺 衡梅院 長法庵へと続く中門  衡梅院は文明12年(1480)に細川政元によって創建されている。開山は妙心寺中興六祖のひとり、妙心寺9世雪江宗深である。開基である細川政元については、既に大心院の項で… ►続きを読む

 

妙心寺 退蔵院 その3

 

妙心寺 退蔵院(たいぞういん) その3 2009年1月12日訪問 妙心寺 退蔵院 余香苑  前回の訪問の時に確認ができなかった方丈南庭を眺める。恐らく瓢鮎図の複写画と元信の庭に気を取られていたために、記憶に残っていなかったのであろう。今回の訪問が冬であったためか、工事中であるためなのかは分からないが、苔地が剥がれ地肌が表われているものの、拝観の栞に記されている通り、     南庭は一面の苔に松樹一本を植えるのみで背景には、椿、かなめ等常緑樹が植えられている。 であった。確かに見落としてしまうほど地味な南庭である。そのためか、わざわざ南庭と書いた小さな木札が立てられている。 妙心寺 退… ►続きを読む

 

妙心寺 退蔵院 その2

 

妙心寺 退蔵院(たいぞういん) その2 2009年1月12日訪問 妙心寺 退蔵院 庫裏へのアプローチ  大心院を後にして、通年公開されている最後の塔頭である退蔵院を目指す。東海庵と玉鳳院の間を進むと、正面に衡梅院が現れる。今回、衡梅院も第42回京の冬の旅の非公開文化財特別公開で公開されているが、後で訪れることとする。ここを右に曲がると、法堂と仏殿が見える。退蔵院はその先に並ぶ朱塗りの三門の西側にある。前回訪問した際には、元信の庭に気を取られたためか、帰った後で確認すると方丈南庭を撮影した写真がなかった。今回は前回に撮影できていなかった場所を中心に見て行くこととした。 妙心寺 退蔵院 … ►続きを読む

 

妙心寺 大心院

 

妙心寺 大心院(だいしんいん)  2009年1月12日訪問 妙心寺 大心院 切石の庭 奥に祖堂が見える  桂春院の山門を出て、再び法堂を目指して進む。途中には大雄院、養徳院、蟠桃院、海福院そして雑華院の山門が並ぶが、いずれも開門しているものの非公開のため中に入ることはできない。雑華院の山門の斜め前には妙心寺の小方丈の山門があるようだ。さらに南に進むと、東に入る路地を越えた先に東海庵と大心院の山門が向かい合うように建てられている。 妙心寺 大心院 右側 妙心寺 大心院 前庭と方丈  大心院は、室町時代の文明11年(1479)あるいは明応元年(1492)に、足利幕府管領の細川政元… ►続きを読む

 

妙心寺 桂春院

 

妙心寺 桂春院(けいしゅんいん)  2009年1月12日訪問 妙心寺 桂春院 真如の庭  妙心寺の北総門から入り、そのまま参道に従って南に進むと、庫裏、法堂、仏殿そして三門という妙心寺の主要伽藍に行き着く。北総門を潜ってすぐに左手に曲がり、そのまま東に進むと光國院の山門が現れわれる。さらに道なりに進むと、蟠桃院の東側に空地がある。この空地に面して雲祥院、長慶院そして桂春院、大雄院の4つの塔頭が並ぶ。この内で常時公開しているのは桂春院である。 妙心寺 桂春院 山門 妙心寺 桂春院 左は庫裏 妙心寺 桂春院  桂春院は臨済宗東海派に属する。妙心寺の公式HPにも、龍泉庵、東海… ►続きを読む

 

妙心寺 その4

 

臨済宗妙心寺派大本山 正法山 妙心寺(みょうしんじ) その4  2009年1月12日訪問 妙心寺 法堂  妙心寺 その2でも触れたように、山内に36塔頭、境外に10塔頭を持つ大寺院である。しかしこの内、常時一般に公開されているのは、龍安寺、桂春院、大心院、退蔵院の4塔頭に過ぎない。その他に期間限定や人数制限などで特別公開している大法院と東林院、拝観条件がある限定公開を行っている西源院、大雄院、慧照院など5塔頭を加えても9塔頭でしかない。妙心寺の塔頭の多くは原則非公開であり、京の冬の旅等の特別公開の際に僅かに拝観できると考えておいたほうが良い。 塔頭以外にも、大方丈、小方丈、開山堂(玉鳳院… ►続きを読む

 

妙心寺 その3

 

臨済宗妙心寺派大本山 正法山 妙心寺(みょうしんじ) その3  2009年1月12日訪問 妙心寺 大方丈南庭  妙心寺 その2では、京都五山十刹を中心に臨済宗寺院の創建時期についてまとめてみた。亀山法皇が南禅寺、後醍醐天皇が臨川寺、後宇多天皇が龍翔寺、そして花園法皇が妙心寺を創建したことが分かる。この項では、持明院統と大覚寺統の成立から両統迭立を経て南北朝時代に入っていく経緯と花園法皇による妙心寺の創建について見ていくこととする。 妙心寺 大方丈 唐門  持明院統の花園天皇は文保2年(1318)大覚寺統の後宇多天皇の第2皇子(後醍醐天皇)に譲位して上皇となり、この地にあった離宮 萩… ►続きを読む

 

妙心寺 その2

 

臨済宗妙心寺派大本山 正法山 妙心寺(みょうしんじ) その2  2009年1月12日訪問 妙心寺 三門 第43回京の冬の旅で特別公開中  等持院の中門から参道を下り山門を潜ると、普通の住宅地の中へと入って行く。京福電気鉄道北野線の等持院から乗車する。2つの西の妙心寺で下車すると、仁和寺から南東に延びる一条通に出会う。洛中では東西に延びる一条通も、この部分でほぼ45度の角度で進む。妙心寺駅から100メートルも東に進むと妙心寺の北総門が現れる。 妙心寺 北総門 妙心寺 北総門内にある境内図 下が北 妙心寺 境内  妙心寺は臨済宗妙心寺派大本山で山号は正法山。平安京の北西部に… ►続きを読む

 

等持院 その3

 

臨済宗天龍寺派 萬年山 等持院(とうじいん) その3 2009年1月12日訪問 等持院 方丈北庭 芙蓉池と清漣亭  等持院には3つの庭がある。方丈を挟んで南側に南庭、北側に2つの庭がある。南庭は、比較的禅宗寺院の南庭の様式を守り、門の両脇に石組みと樹木を配する形になっている。本来ならば唐破風を持つ勅使門として置かれるところに、棟門と言うべきなのか簡潔な門が造られている。その位置も方丈の中心からかなり西側に設けられている。方丈の縁なので欄干などはなく、南庭に下りる段もない。そのため、建物の中心線から外れた位置に門を配しても、それほど違和感がないのかもしれない。膨大な情報を基に纏められている… ►続きを読む

 
 

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