文書と写真・地図による「記憶」の再現

鞍馬寺 その11

鞍馬弘教総本山 鞍馬山鞍馬寺(くらまでら)その11 2010年9月18日訪問

画像
鞍馬寺 奥の院 魔王殿

鞍馬寺 その10では、鞍馬弘教と魔王尊について書いてきた。ここからは鞍馬寺最後の項として奥の院の景色を見ていきたい。

先ず与謝野晶子の荻窪での書斎・冬柏亭の裏側に息つぎの水と呼ばれる湧き水がある。僧正谷での武芸修行のため、由岐神社の上にあった東光坊から毎夜抜け出した牛若丸が途中で喉を潤したところとされている。この近くの屏風坂には革堂地蔵尊がある。一枚岩の屏風を立てたような急坂があったことから名付けられている。鞍馬山の頂上付近には義経公背比石と呼ばれる1.2m程度の石英閃光緑岩が立てられている。牛若丸が16歳の時に鞍馬寺を出て奥州平泉に向かう際、この石と背比べをしたと云われている。

遮那王が背くらべ石を山に見て わがこころなほ明日を待つかな  与謝野寛

画像
鞍馬寺 奥の院 息つぎの水
画像
鞍馬寺 奥の院 屏風坂の地蔵堂
画像
鞍馬寺 奥の院
画像
鞍馬寺 奥の院 義経公背比石
画像
鞍馬寺 奥の院 義経公背比石

義経公背比石より参道を外れ少し入ったところに大杉権現社がある。このあたりは本殿金堂から西北に約400メートル離れたところになる。この地には、三本の幹よりなる天狗杉と呼ばれる巨大な杉の木があったようだ。竹村俊則の「新撰京都名所図會 巻二」(白川書院 1959年刊)によれば、「大魔王降臨の杉とつたえる」とある。また後年に出版した「昭和京都名所図會 洛北」(駸々堂出版 1989年刊)では「大魔王降臨の杉とつたえ、もとは三本の幹よりなる巨大な杉であったが、惜しくも近年の台風で折れ、今は高さ15メートルほどの根幹をのこすだけになっている」と大杉権現社の説明を記している。ちなみに「新撰京都名所図會」の挿絵には天狗杉という注釈とともに大樹と小さな祠が描かれている。30年後に刊行された「昭和京都名所図會」にも大樹と祠が描かれているものの注釈は大杉権現社に代わっている。もとは大杉権現社より天狗杉の方が有名であったのかもしれない。
再び参道に戻り僧正谷を目指す。このあたり一帯の奥の院参道は木の根道と呼ばれている。砂岩が灼熱のマグマの貫入によって硬化し岩盤となっため、樹木の根が地下に伸びることが出来ず地上を這いまわる様になっている。

下に這う鞍馬の山の木の根見よ 耐えたるものはかくのごときぞ  与謝野寛

画像
画像

義経公背比石より参道を進むと最澄作と伝わる不動像を祀った不動堂が現れる。大杉権現社より西北に約500メートル離れた場所になる。現在の不動堂は方三間の単層宝形造の本瓦葺。正面一間には向拝が付けられている。なお「古寺巡礼 京都 27 鞍馬寺」(淡交社 1978年刊)には下記のような説明がある。

昭和9年12月改修という。小さな堂ではあるが軒は快く反り、全体は美しい。改修というがこの時新築されたものとみられ、各細部は鎌倉中期頃の様式を参考とせられたもののようである。

画像
鞍馬寺 奥の院 不動堂
画像
鞍馬寺 奥の院 不動堂
画像
鞍馬寺 奥の院 不動堂

不動堂の近くには源義経を祀る義経堂がある。先の 息つぎ石、義経公背比石の他にも刀でつけたような痕がある兵法石や硯石などがある。現在の鞍馬寺にとって、源義経は単なる歴史上の一人物ではなく、護法魔王尊に仕える遮那王尊として信仰の対象となっているようだ。
不動堂からさらに西に約300メートル進むと魔王尊を祀る奥の院魔王殿の拝殿が現れる。魔王殿は拝殿の奥の石灰岩の露頭の上に建てられている。現在、本殿と露岩群を取り囲むように玉垣が作られているため、拝殿より拝む形になっている。「古寺巡礼 京都 27 鞍馬寺」に魔王殿に関する記述がある。

奥の院魔王殿 魔王尊を祀る小堂である。旧堂は昭和20年1月に焼け、その後復興されたもの。方一間、宝形造で、室町頃の様式を取入れたものであろう。前に三間一間、切妻造の拝所があり、ここから拝むようになっている。この拝所も魔王殿と同時に建てられたようである。

画像
鞍馬寺 奥の院 木の根道
画像
鞍馬寺 奥の院 魔王殿
画像
鞍馬寺 奥の院 魔王殿

つまり魔王殿とその拝殿がいつの時点に再興されたかが分からないということらしい。いろいろな堂宇の建設について細かく記述している「鞍馬山小史」にも魔王殿の焼失した記述はあっても建て直したことは記されていない。現在の鞍馬弘教にとって中心的な施設であるはずの魔王殿についての記述が一部欠落しているのは不思議としか思えない。鞍馬寺は公式HPで奥の院魔王殿を「太古、護法魔王尊が降臨した磐坐・磐境として崇拝さ れてきました」と記している。先代管長の信楽香雲が記した「鞍馬山歳時記」(鞍馬弘教総本山鞍馬寺出版部 1970年刊)では魔王殿を下記のように説明している。

魔王尊サナート・クマラは「シークレット・ドクトリン」の大著に示されてある通り、六百五十万年もの太古に金星から降臨した当時そのままの、十六才の若さを以って地球の主神として活動しながら、変幻大自在を得たまいて、種々様々な姿態を現わしたまう。
現在鞍馬山に奉安してある尊像は、狩野法眼が奥の院に於て燃えるが如き大祈願を込めた末、暁に杉の大樹から垂れ下がった女郎蜘蛛の引く糸の指示に従って画いたものであって、人界に示されたただひとつの魔王尊サナート・クマラの御姿である。現在、本殿の奥深く奉安されてあるが、六十一年目(丙寅年)に限り開扉するのが、鞍馬山の規則となっている。

鞍馬山奥之院の魔王殿のある一帯の聖地は、太古に魔王尊出現の霊地として尊崇を集めている所である。この一帯は牛若修行の地といわれているが、奇岩累々として神秘荘重、真面目な信徒が霊示をいただく所なのである。

香雲貫主は、魔王尊=サナート・クマラとしている。サナート・クマラとはヒンドゥー教の神話・説話に登場する賢人のことで、「シークレット・ドクトリン」という書籍名から分かるように、著者のヘレナ・P・ブラヴァツキーが開いた近代神智学の影響を色濃く受け継いでいる。このあたりの鞍馬弘教と神智学との類似性については、鞍馬寺 その10で調べてみたので興味のある方はご参照ください。
狩野法眼が描いた魔王尊とは狩野元信による垂跡魔王大僧正のことであろう。大正13年(1924)12月3日の貞明皇后行啓の際、本堂中央の本尊毘沙門、東の間の本地千手観音菩薩とともに西の間に垂跡魔王大僧正が奉安されていたことが「鞍馬寺史」に記されている。魔王大僧正は僧正ヶ谷に住むと伝えられる大天狗であり、狩野元信が将軍の命を受けて描いたものとされている。鞍馬寺が垂跡と名付けたのは魔王大僧正は仮の姿(垂迹)で本当の姿(本地)は毘沙門天ということであろう。このような本地垂迹は天台宗時代の鞍馬寺の考え方である。しかし鞍馬弘教になると天狗は姿を消す。香仁貫主の時代にまとめた「古寺巡礼 京都 27 鞍馬寺」や「鞍馬山小史」(鞍馬弘教総本山鞍馬寺出版部 1995年刊)の説明には、牛若丸が「僧正ガ谷で天狗に兵法を習った」と記す以外に天狗は出てこない。鞍馬寺では牛若丸を遮那王尊として神格化し「魔王尊のお力を人間世界に発揮した方として崇敬する。」と説明している。ここでは牛若丸に兵法を教えてとされる天狗と魔王尊の関係については明らかにされていない。そして魔王尊は毘沙門天、千手観音とともに三神一体ではなく三位一体で尊天になっている。

これに対して、歴史学者で文学博士、さらに考古学や民俗学も取り入れた著作の多い喜田貞吉は「憑き物系統に関する民族的研究 その一例として飛騨の牛蒡種」(「民族と歴史 第八巻第一号」 1922年刊)で以下のように記している。

鞍馬では右の護法堂の大蛇以外、別に天狗という名高い護法のあることを忘れてはならぬ。所謂魔王大僧正を始めとして、霊山坊・帝金坊・多聞坊・日輪坊・月輪坊・天実坊・静弁坊・道恵坊・蓮知坊・行珍坊以下、名もない木の葉天狗・烏天狗の末に至るまで、御眷属の護法が甚だ多いので、一とたび足を鞍馬の境内に入れたものは、何人もたちまち天狗気分の濃厚なるを感ぜぬものはなかろう。寺伝によると所謂魔王大僧正は、当寺の本尊毘沙門天の化現だともある。しかし天狗はひとり毘沙門天を祭った鞍馬のみのことでなく、他の名山霊嶽にも、同類の護法の信仰は甚だ多い。そしてこれらはやはりその地の地主神すなわち先住民の現れと見るべきものであろうと解せられる。

鞍馬弘教開宗前の1922年に発表した一文であるから、寺伝は天台宗時代の見解といってもよいだろう。そして魔王大僧正は毘沙門天の化身であり天狗であった。喜田は天狗に対する護法信仰は鞍馬山に限らず各地に存在し、その地の地主神や先住民がその基となっていると述べている。それに対し初期の鞍馬弘教は近代神智学を援用し、魔王尊はサナート・クマラの化身であるとしたが、牛若丸に兵法を教えた鞍馬山の天狗との関係性についての説明は無い。このような教義の変更は既存の仏教教団の教義から脱し、「ニューエイジ」やスピリチュアルなものを感じる時代精神として行われたのであろう。しかし1990年前後のオウム真理教の一連の事件を体験してしまうと、無条件に受け入れることができなくなってしまった。昭和47年(1974)に香雲貫主が示寂され香仁貫主の時代に入ると、神智学やニューエイジ思想の影響から脱するように魔王尊や五月満月祭の説明を一部変更している。それが1970年代後半から80年代にかけて台頭する新宗教、いわゆる新新宗教と呼ばれるものが現れ始めた時期と一致する。この鞍馬寺の代替わりが単なる偶然だったかもしれないが、ある意味で新新宗教へ鞍馬弘教が向かわなかったことが2000年代以降、宗教に無関心な若者たちを鞍馬山に呼び入れることにつながったのではないかと考える。

画像
鞍馬寺 奥の院 西門

鞍馬も貴船も1200年の歴史の上に新たな信仰の方向、例えばスピリチュアルなものを求める人々へのパワースポットの提供とか、を作り出そうとしていることが何となく分かったような気がする。そんなことを感じながら、参道を下り貴船川の畔に出る。鞍馬寺西門を出るとすぐに貴船神社の本宮に至る。

画像
鞍馬寺 奥の院 西門に架かる橋
画像
鞍馬寺 奥の院

サイト ナビゲーション

投稿カレンダー

2022年1月
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31  

過去の記事

カテゴリー

最近の投稿