東福寺 方丈
東福寺 方丈 (とうふくじ ほうじょう) 2008/05/10訪問
本堂の北側に東福寺の方丈がある。庫裏から方丈に向かう廊下を渡ると、左に方丈南庭「八相の庭」と右に東庭「北斗七星」が同時に現れる。方丈を南庭から時計回りに廻り、東庭を最後に見ることとする。
もともとは方丈とは1丈四方の面積(四畳半程度)であったが、その広さの部屋や建物を示す言葉となった。簡単に組み立てたり解体する事ができるので、鴨長明の『方丈記』のように僧侶や隠遁者に使われた。
維摩居士の方丈を見舞った文殊菩薩とその一行が、その狭い空間に全員入ることができたという逸話(維摩経)から、仏教においては方丈の中に全宇宙が内在しているという考え方がされている。そこから寺院の僧侶が生活する建物を、方丈と呼ぶようになったと言われている。しかし後年住居としてよりは、接見の間としての役割が強くなってきた。東福寺方丈にも南庭に面して唐門(昭憲皇太后の寄進と伝わる恩賜門)があることからもただの住居でないことが分かる。
方丈は明治14年(1881)の火災により焼失したが、明治23年(1890)に再建された。方丈庭園は昭和14年(1939)に重森三玲によって作庭された。禅宗の方丈には名庭が多く残されているが東福寺 方丈は四周に庭を廻らせるという試みがなされた唯一の方丈と説明されている。大仙院の方丈も四周に庭を廻らしているように見えるがどうなのか?
さて重森三玲による八相の庭について。
まず重森の年賦を見ると春日大社の庭につづく昭和14年(1881)に作庭されたことに注目しなければならないだろう。大正年間(1912~1926)の後期より個人の庭や非公開の庭を手がけてきたが、この八相の庭が実質的には一般の人の目に触れる初めての作品ということからも処女作が代表作になったといってもよいだろう。市松模様の庭の斬新さだけではなく、南庭の石組みの力強さとオリジナリティを強く感じさせるところから重森の中期の作品と実は思い込んでいた。(不勉強を棚に上げて)そういう意味でも驚かせられた庭である。
八相とは「蓬莱」「方丈」「瀛洲」「壷梁」「八海」「五山」「井田市松」「北斗七星」の八つを「八相成道」に因んで命名されたという。 「八相成道」とは釈迦の生涯の八段階(下天・託胎・誕生・出家・降魔・成道・転法輪・涅槃)を示す言葉。
「蓬莱」「方丈」「瀛州」は、渤海湾に面した山東半島のはるか東方の海(渤海とも言われる)にある三神山、不老不死の仙人が住むと伝えられている。これに「壷梁」を加えて四つの仙島。
「五山」は五神山から来ているのだろうか?こちらも「蓬莱」「方丈」「瀛州」に「岱輿」「員喬」を加えて仙人が住む山と言われていた。
「八海」は古代インドの仏教的世界観 須弥山思想にある「九山八海」から来ているようだ。須弥山を中心に八つの海と八つの山脈が取り囲むをことを表している。ここでは五山ではない。。。
「井田市松」は中国古代の田制の井田に因んでいるという記述が拝観時に頂いた栞にある。正方形の田を井状に9分割し中央の1田を公田とし、それ以外の8田を私田として8つの家族に与えられた。公田は公有地として8家族が共同耕作し、そこから得た収穫を租税とした。周公旦が整備した税制で孟子はこれを理想的な制度と称えたというが、伝説に近くその実態は不明とのこと。
そして「北斗七星」は北の夜空に現れる星座。中国には北斗七星が死を司る伝説もある。
もう一度庭に戻り南庭より見てみる。ここには渦巻く砂紋による「八海」のなかに「瀛州」「蓬莱」「壷梁」そして「方丈」の4つの仙島が巨石によって表現されている。そして庭の西端には「五山」をなぞらえる築山が配置されている。方丈から庭を眺めているときには気がつかなかったが、google mapの航空写真を見ると恩賜門と西唐門を結び、築山と砂紋とを区切る直線が現れてくる。
西庭は「井田市松」をサツキの刈り込みと白砂・苔で表現している。刈り込み縁石で区切ることにより、白砂と苔地の柔らかな曲線の中に強い方形のイメージを作り出すことに成功している。刈り込みには高さがあるため、平面的な図形性があまり感じられない。これは南庭の立体造形と北庭の抽象絵画を結ぶためのインテルメッツォ的な役割を果たしているようにも感じる。
北庭のモチーフも「井田市松」。今度は苔と敷石(西庭の縁石と同じ御影石のように見える 恩賜門に使われていたもの)を組み合わせている。敷石がやや奥に沈み、その上に苔が柔らかく盛り上がっている所に、単に平面的な面白さや和風のモダン的な解釈以上に石と苔の素材感が良く表現されていることが実物から伝わってくる。方丈側の縁は連続する黒い瓦の柔らかい円弧でおさえ、北側は丸く刈り込まれたサツキで背景につなげる。いずれも窮屈な直線だけでない多様性を感じる表現になっている。
東庭は「北斗七星」を雲文様の中に高さの異なる円柱状の石で、後方の直線状に刈り込まれた生垣は天の川を表現している。この石柱はもと東司の柱石の残材を使用したもの。この順路で北斗七星が最後に現れるということは八相成道の「涅槃」を象徴しているのだろうか?
それにしても庭石に賽銭を置くのはやめていただきたいものだ。
南庭は蓬莱神仙思想を石と白砂と苔を使い具象化したものだが、西庭と北庭の「井田市松」と東庭の「北斗七星」はテーマの表現と言うか構成から導き出したテーマのような気がする。どうも八相の中でこの2つの“座り”があまり良くない様に感じる。いづれにしても東福寺方丈庭園が名庭であることには違いがない。
西庭と北庭の間に通天橋をのぞむ通天台がある。ここからの通天橋のながめはすばらしいが紅葉の時期は大変だろうなあ。。。
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