柊家
柊家(ひいらぎや) 2008/05/13訪問
表千家 裏千家が並ぶ小川通から本法寺の境内を通り抜け、堀川通に出る。裏千家の茶道総合資料館の前を過ぎ、堀川寺ノ内の停留所から市バスに載り、堀川丸太町に向う。ここで市バスを乗り換え、京都市役所前で下車する。今朝コインロッカーに預けた荷物を引き出し、今夜泊まる柊家へ向う。
柊家は御池通から麩屋町通へ入る西の角に位置する。真正面は俵屋、三条通の先には炭屋と京都を代表する旅館が麩屋町通に面している。
柊家の創業は文政年間(1818~1829)とされているので、この地で180年以上、旅人を迎えてきたこととなる。麩屋町通に開いた門を入ると、床には敷石が敷かれ、外部の路地のように思えるが、天窓のある屋根が架けられた明るい玄関が、来る者を奥に導く。左手に煙草盆の置かれた床几がある。旅人の足拵えのためかと思うが、浅いアルコーブ状の部分に庇を架け、簾と燈篭が下げられているため茶室の路地に置かれた腰掛のようにも見える。正面には花頭窓の変形と見るべきか?窓があり、ここに明かりが灯ると中の旅館の生活感が表れてくる。またこの窓の手前にある球形の灯りが天窓の補助光として働いている。
この玄関を右に曲がると靴脱ぎ石があり、上がり框、その先に畳敷きの8畳間が続く。あまり経験がないので戸惑ってしまうが、下足番のおじさんが靴をしまってくれる。この畳敷きの玄関には「来者如歸」の額が掛かる。お客様には自分の家に帰ってきたときのようにくつろいで頂けるようなおもてなしを提供することを心掛けていることが伝わる。確かにあまり日本旅館での宿泊経験のない者にとって過度なサービスは苦痛につながる。その点では痒い所に手が届くようなもてなしは、何もすることなく我が家で暮らすような心地よさを感じられる。
旧館は木造二階建て数奇屋造りで21室、2006年に完成した新館に7室とそれほど部屋数は多くない。旅館としてのおもてなしを行う上で、このくらいの数が限界なのかもしれない。ほとんどの部屋には坪庭が付けられているということである。そのため塀に囲まれた外観からは想像できないが、内部はかなり複雑な平面構成になっている。
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