徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

アーカイブ:2009年 9月 27日

洛東の町並み その3 木屋町通 3

 

洛東の町並み(らくとうのまちなみ) その3 木屋町通 3 2008/05/15訪問 高瀬川 元立誠小学校前から南側を眺める  高瀬川沿いの木屋町通を二条通から四条通に向かって歩く。  北は二条通から南は七条通まで続く全長約2.2キロメートルの南北路。江戸初期、豪商の角倉了以が開削し周辺を造成したのがこの地の繁栄の始まりとなっている。高瀬川から運ばれる木材や薪などの木を扱う店が多かったことが通りの名前の由来である。  佐久間象山の寓居跡を過ぎ、さらに南に下ると武市瑞山先生寓居跡と吉村寅太郎寓居址の碑が並ぶ。 武市瑞山先生寓居跡 現在は金茶寮 昔は丹虎  武市半平太は土佐藩の郷士・武市… ►続きを読む

 

洛東の町並み その2 木屋町通 2

 

洛東の町並み(らくとうのまちなみ) その2 木屋町通 2 2008/05/15訪問 高瀬川の西岸にある大村益次郎卿遭難碑と象山先生遭難碑  高瀬川沿いの木屋町通を二条通から四条通に向かって歩く。  北は二条通から南は七条通まで続く全長約2.2キロメートルの南北路。江戸初期、豪商の角倉了以が開削し周辺を造成したのがこの地の繁栄の始まりとなっている。高瀬川から運ばれる木材や薪などの木を扱う店が多かったことが通りの名前の由来である。 高瀬川一之舟入 奥に押小路通沿いの建物の背面が見える 2005年8月16日撮影 押小路通の街並み 北条別邸 逍遥遊 何の碑か?  一之舟入の南… ►続きを読む

 

洛東の町並み 木屋町通 

 

洛東の町並み(らくとうのまちなみ) その1 木屋町通 2008/05/15訪問 高瀬川一之舟入 2005年8月16日撮影  高瀬川沿いの木屋町通を二条通から四条通に向かって歩く。  北は二条通から南は七条通まで続く全長約2.2キロメートルの南北路。江戸初期、豪商の角倉了以が開削し周辺を造成したのがこの地の繁栄の始まりとなっている。高瀬川から運ばれる木材や薪などの木を扱う店が多かったことが通りの名前の由来である。  木屋町通は二条通から始まる。このあたりは先斗町や三条あたりの喧騒とした雰囲気はない。 ホテルフジタ京都 鴨川側の外観 2005年8月16日撮影  二条通の北側、鴨川沿… ►続きを読む

 

善導寺

 

浄土宗知恩院派 真光明院 善導寺(ぜんどうじ) 2008/05/15訪問 善導寺 ビルの間の竜宮門  木屋町通と二条通が交差する北側に善導寺の竜宮門が見える。浄土宗知恩院派・真光明院善導寺。永禄年間(1558~1569)筑後の善導寺の憎・然誉清善和尚によって六角堂附近に創立されたが、天明8年(1788)の天明の大火で焼失する。第4世旭誉のときに、長谷川重兵衛の寄進によってこの地に移る。江戸時代末期までは摂政院、宝昌院、清香院の3塔頭を有する大寺であったが、現在は廃絶し残っていない。境内には嵯峨釈迦堂の本尊を模した釈迦三尊石仏がある。高さ1メートルほどの自然石に三尊の立像を半肉彫りにしたも… ►続きを読む

 

ホテルフジタ京都

 

ホテルフジタ京都(ほてるふじたきょうと) 2008/05/15訪問 ホテルフジタ京都 鴨川側の外観 撮影2005/08/16  鴨川にかかる二条大橋の西詰めに吉村順三設計による昭和45年(1970)竣工のホテルフジタ京都が建つ。こちらのホテルには一度予約を入れたことがあったが、三宮で阪神大震災に遭い、神戸から京都へ移動することができず、泣く泣くキャンセルの電話を入れた思い出がある。残念ながら今回もこちらに宿泊する予定を組むことができなかった。またいつか機会があれば一度訪れてみたいと思う。ホテルフジタ京都の敷地の北端に、藤田伝三郎の別邸 夷川邸が残されている。  藤田伝三郎は明治期の関西… ►続きを読む

 

島津創業記念資料館

 

島津創業記念資料館(しまづそうぎょうきねんしりょうかん) 2008/05/15訪問 島津創業記念資料館  善導寺の斜め前には国登録有形文化財の島津創業記念資料館が建つ。建物は明治27年(1894)竣工の北棟と明治21年(1888)竣工の南棟から構成される。  島津製作所の創設者である初代島津源蔵は天保10年(1839)に京都の醒ヶ井魚棚、現在の堀川六条付近で仏具師であった島津清兵衛の次男として生まれる。源蔵は万延元年(1860)21歳で木屋町二条に出店している。この時、家業の仏具師ではなく鍛冶工であったようだ。この地は高瀬川の終着点に近く、重要な流通拠点であった。京都府は殖産興業のため明… ►続きを読む

 

高瀬川源流庭苑

 

高瀬川源流庭苑(たかせがわげんりゅうていえん) 2008/05/15訪問 高瀬川源流庭苑 門の中ににある山縣有朋第二無鄰菴跡の碑  島津製作所の前には、現在は「がんこ 高瀬川二条苑」となっているが、かつてここには山縣有朋の第二無鄰菴があった。無鄰菴の項でも書いたように、山縣は普請道楽で造園好きとしても知られ、生涯で無鄰菴という名の邸宅を三つも造っている。 最初の無鄰菴は長州下関の草庵であった。閑静な場所に建てられ、隣家がない様から無鄰菴と名付けられた。 2番目は慶長16年(1611)、豪商・角倉了以によって作られた木屋町二条の鴨川近くの邸宅跡を明治24年(1891)に購入し、第二無鄰菴と… ►続きを読む

 
 

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