文書と写真・地図による「記憶」の再現

教王護国寺(東寺) その4



真言宗総本山 八幡山 教王護国寺(きょうおうごこくじ)その4 2009年1月11日訪問

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教王護国寺 五重塔

 今回、東寺を訪問した目的は、境内の東南に建立された五重塔の特別公開が行われるためである。拝観受付で五重塔の拝観を含めたチケットを購入する。

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教王護国寺 五重塔の初層
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教王護国寺

 東寺の五重塔は、高さ54.8メートルで木造塔としては日本一の高さを誇る。天長3年(826)空海により創建着手にはじまるとされているが、普請の勧進が進まなかったことや御神木事件が発生し、五重塔の竣工は遅れていた。御神木事件とは、時の天皇・淳和天皇が病に臥したのは、東寺造営用の木材を稲荷山から神木を伐り出したことによる祟りとされた。このため稲荷大明神に位を授け、東寺と伏見稲荷大社の間に御旅所を造られている。このことは伏見稲荷大社の方にも記述されている。すなわち公式HPにおいて、以下のように記している。
     淳和天皇の御代・天長4年(827)正月の詔に、「頃間御体不愈」によって「占求留爾稲荷神社乃樹伐礼留罪祟爾出太利止申須然毛此樹波先朝乃御願寺乃塔木爾用牟我為爾止之弖東寺乃所伐奈利今成祟」(天皇の健康がすぐれないために占いを求められたところ、先朝の御願寺=東寺の塔をつくる材木として稲荷社の樹を伐った祟りであることがわかった)、ということで、「畏天」内舎人の大中臣雄良を遣わして「従五位下乃冠授奉理治奉(従五位下の神階が授けられた)」とあって、まさに大神の御神威が大きく顕れ、以降の勇躍を約束されるような一大展開期であったことがうかがえるのです。

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教王護国寺

 また、この事件を通じて東寺と伏見稲荷大社の両者の関係は密なものとなっていったと考えられている。今日も稲荷祭において、上記の御旅所を発った神輿を中心とする御列は東寺東門前において、東寺の僧侶数名による東寺神供を受けてから本社へ向かう。その姿は、天明7年(1787)に刊行された拾遺都名所図会に見ることが出来る。
 これらの事情により、伽藍造営に比べ五重塔の建立は遅れに遅れ、ようやく元慶7年(883)に竣工している。その後、同じ平安時代の天喜3年(1055)に焼亡し、応徳3年(1086)に再建。鎌倉時代の文永7年(1270)に焼亡し、永仁元年(1293)に再建。そして室町時代の永禄6年(1563)に焼亡し、文禄3年(1594)に豊臣秀吉によって再建されている。江戸時代に入り寛永12年(1635)に最後の焼亡があり、寛永21年(1644)3代将軍・徳川家光の寄進で再建されている。

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教王護国寺

 五重塔の内部を拝観するのは今回が初めてである。江戸時代以前に建立された木造塔としては日本一の高さの五重塔とはいえ、それほど初層内部の空間は広いものではない。また外部からの採光もなく、居住するための空間ではないことは明らかである。もともと五重塔の建築的な原型はインドのサーンチ・ストゥーパと言われている。このサーンチ・ストゥーパは二重の基壇の上に、饅頭をかぶせたような形状である。ここから中国に渡り、仏塔としての形状を改めてゆく。つまり階層を表現するために屋根が加えられ、大雁塔のような建築になっていくのには数百年の時間を要している。また楼閣建築として、最上層まで上がることができるように作られている。これは日本の五重塔にない構造である。
 今回の初層内部は部屋としての空間が存在しているが二層から上には床が貼られていない。また内部構造物の中を登ることができても、それはメンテナンス用の通路として確保されているもので、山門(楼閣建築)の上層に登るのとは全く意味が違う。ブルース・リー主演の死亡遊戯で、塔の内部を闘いながら一層ずつ登っていくイメージが強く、五重塔も同じ構造になっているように思っている人も多いのではないだろうか?

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教王護国寺

 また、五重塔には心柱があるため、地震に強いという俗説も一般化している。心柱は相輪を支えるためのもので、塔身部分の構造とは独立している。建立後の木材乾燥による圧縮や総重量により木組みが締まったりするため、五重塔の塔身高さが縮むことがあるようだ。それにもかかわらず心柱の縮みが、それほど大きくなため最上層の屋根を突き抜けて雨漏りの原因となってしまう。そのような構造的な問題は東寺の五重塔でも起きている。寛永21年(1644)の竣工以降、元禄5年(1692)に一尺五寸(約50センチメートル)ほど切り下げている。
 心柱が耐震構造の重要な役割を果たしているという話しは、地震学者の大森房吉が明治43年(1910)頃から実際の五重塔に振動を与える実験を繰り返した結果から導き出された説が基となっている。制震構造的な役割をこなすためには、心柱の重量は小さい(軽量な銅板葺きの五重塔でも1%程度)ため、それ程の効果を生み出すとは考え難い。
 むしろ佐野利器の唱える固有振動の長い構造体であることや、武藤清が注目した組物等による減衰効果、太い柱による復元性、塔自体の変形強度の高さ、そして五層に分割された多層構造体であることが耐震性能の高さを引き出しているのであろう。いずれにしてもいくつかの構造的な優位点が集積した結果、五重塔が地震に強いことになったのであろう。このあたりについて興味のある方は、「五重塔のはなし」(建築資料研究社 2010年刊)をご参照下さい。非常に丁寧に、そして建築を学んでいない人にも分かるような説明がなされている。

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教王護国寺

 内部は心柱を大日如来に見立て、周囲の須弥壇上に阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来そして不空成就如来の金剛界四仏と八大菩薩を安置している。心柱の周囲に立てられた四天柱には金剛界曼荼羅諸尊が描かれている。また外陣周りには、四方の扉の内面に護法八方天、扉の左右の柱に八大龍王、そして内壁の上段に真言八祖像、下段に蓮池が描かれている。天井は折上小組格天井、長押等にも全面にわたって極彩色の文様が装飾されている。

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教王護国寺

 最後に、江戸時代以前に建てられた五重塔のリストを付けておく。

明治時代以前創建の五重塔
No 名称 所在地 高さ 指定
01 法隆寺法隆寺 奈良県  680年頃 31.5メートル 国宝
02 室生寺室生寺 奈良県  780~805年 16.2メートル 国宝
03 醍醐寺醍醐寺 京都府  951年 37.4メートル 国宝
04 海住山寺海住山寺 京都府 1214年 17.7メートル 国宝
05 明王院明王院 広島県 1348年 29.1メートル 国宝
06 羽黒山羽黒山 山形県 1377年 29.2メートル 国宝
07 厳島神社厳島神社 広島県 1407年 28.4メートル 重文
08 興福寺興福寺 奈良県 1426年 50.1メートル 国宝
09 法観寺法観寺 京都府 1440年 36.6メートル 重文
10 瑠璃光寺瑠璃光寺 山口県 1442年 31.2メートル 国宝
11 本門寺本門寺 東京都 1607年 29.5メートル 重文
12 妙成寺妙成寺 石川県 1618年 34.2メートル 重文
13 法華経寺法華経寺 千葉県 1622年 33.3メートル 重文
14 仁和寺仁和寺 京都府 1644年 32.7メートル 重文
15 旧寛永寺旧寛永寺 東京都 1639年 32.3メートル 重文
16 教王護国寺教王護国寺 京都府 1644年 54.8メートル 国宝
17 最勝院最勝院 青森県 1666年 31.3メートル 重文
18 大石寺大石寺 静岡県 1749年 33.4メートル 重文
19 興正寺興正寺 愛知県 1808年 30  メートル 重文
20 日光東照宮日光東照宮 栃木県 1818年 31.8メートル 重文
21 妙宣寺妙宣寺 新潟県 1825年 24  メートル 重文
22 備中国分寺備中国分寺 岡山県 1844年 36.6メートル 重文

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教王護国寺 南大門と五重塔

「教王護国寺(東寺) その4」 の地図


大きな地図



教王護国寺(東寺) その4 のMarker List

No. 名称 緯度 経度
01  東寺 北総門 34.9841 135.7476
02  東寺 観智院 34.9827 135.7479
03  東寺 北大門 34.982 135.7476
04   東寺 食堂 34.9815 135.7476
05  東寺 講堂 34.9807 135.7476
06  東寺 金堂 34.9803 135.7476
07  東寺 南大門 34.9795 135.7476
08  東寺 五重塔 34.9798 135.7487
09  東寺 宝蔵 34.9815 135.7488
10  東寺 御影堂 34.9816 135.7467
11  東寺 小子房 34.9805 135.7466
12  東寺 潅頂院 34.9798 135.7466

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