文書と写真・地図による「記憶」の再現

光明寺 その3



西山浄土宗総本山 報国山 光明寺(こうみょうじ)その3 2009年12月9日訪問

画像
光明寺 薬医門 江戸初期の建築

 光明寺 その2では、法然と熊谷直実を中心とした光明寺の歴史について記してきた。この項では境内の風景について書いていきたい。 女人坂を登りきると正面に光明寺の本堂が見える。この女人坂が終わった箇所の左手に塩田紅果の句碑「うつし世の 楽土静けし 花に鳥」がある。塩田紅果は本名・塩田親雄、芭蕉の生誕地である三重県上野に生まれる。昭和初期の弁護士で俳人。沼波瓊音に師事して俳句を学ぶ。作家を志したが父の反対に合い、判事となり、後に金沢で弁護士を開業する。昭和2年(1927)「蟻乃塔」を創刊。金沢蟻塔会の主宰。

画像
光明寺 塩田紅果の句碑

 伽藍の配置は、女人坂の延長線上に本堂すなわち御影堂、その北西に阿弥陀堂を配する。つまり本堂と阿弥陀堂が並立するのではなく、雁行するように建てられている。
 現在の御影堂は宝暦3年(1753)に再建されたもので、18間四面、瓦葺入母屋造の巨大な建築である。本尊は「張子の御影」と謂われる法然自らが作った法然源空像が祀られている。
 承元の法難において讃岐に配流される途上、法然は弟子の湛空に出会う。湛空は泣いて別れを惜み、法然上人を偲ぶよりどころとなる御形見が欲しいと願った。静かに念仏を唱えていた法然は、13歳で比叡山に入られるときに母から頂いた手紙を懐から取り出され、この手紙を水に浸し、水面に映った自分の姿を見ながら肖像を作られた。法然は肌身離さず持ち続けた大事な母からの手紙を使い弟子との別れの形見としたのは、恐らく今生では会うことが叶わないと感じていたからであろう。湛空はこの像を京都へ持ち帰り漆を塗って仕上げ、長く二尊院で祀っていた。
 脇壇には法然が浄土宗を開宗する契機となる観無量寿経疏を撰述した中国僧の善導大師、西山国師(善慧房証空)、熊谷蓮生(熊谷直実)、そして現在の光明寺の基となる西谷流を築いた浄音上人像が安置されている。

画像
光明寺 御影堂
画像
光明寺 阿弥陀堂

 阿弥陀堂は瓦葺入母屋造9間四面で寛政11年(1799)の再建。御影堂と比べると大きさの違いが明確である。本尊の丈六阿弥陀像は、光明寺 その2でも触れたように、光明寺の前身となる念仏三昧寺を開山した際、堅田の浮御堂千体仏の中尊仏である阿弥陀如来を迎えている。これは恵心僧都の作であるが、蓮生が浮御堂で17日の願を掛けた時、満願の日の明け方、夢枕に如来が立ち「我をつれてお堂を設けるべし」とのお告げ頂いている。これを里人に話し、貰い受けたものである。蓮生は六尺の阿弥陀如来像を、堅田から背負って運んだとされる。江戸時代に描かれた紙本著色光明寺縁起3巻(光明寺蔵)には下記のように記されている。

此寶像と申は 恵心僧都の親作 江州堅田の郷 浮御堂千躰佛の中尊にて 近國無双の霊像也 蓮生秘計を回し 兼日求得て全ク浄土の真容なりと恭敬し奉る所なり

 「蓮生秘計を回し」という部分と夢枕に立った如来の間には大きな相違があるようにも感じられる。いずれにしてもこの「國無双の霊像也」という恵心僧都作の阿弥陀如来像が霊験を顕すことが光明寺縁起に記されていないことは浄土宗らしさと見ても良いだろう。

画像
光明寺 法蔵と観音堂
画像
光明寺 勧化所

 御影堂と阿弥陀堂の手前、参道の北側には東側から観音堂、経蔵そして勧化所の3つの建物が南面して並ぶ。観音堂は江戸時代後期の建築。桁行3間、梁行3間、前面入母屋・背面切妻造の桟瓦葺。光明寺は洛西観音三十三霊場の7番目の札所となっている。もともと観音堂には恵心僧都作とされる十一面千手観音が祀られていたが、重要文化財に指定されてからは京都国立博物館に寄託されている。そのため8番霊場の無住の粟生観音寺の十一面千手観音を移し代わりに祀っている。ただし正月など行事の際にはこちらに戻されるようだ。 勧化所は堂宇や仏像を造営するために信者に寄付を勧めて集めるための施設である。大事に使われているようで、そんなに年代を感じさせないが、基本は安政2年(1855)に建てられたものらしい。この朝も近隣のお年寄りが集っていたところを見かけたので、十分に機能しているのであろう。

画像
光明寺 法蔵と法然上人袈裟掛之松

 真新しく見える経蔵も宝永4年(1707)に建てられたものを何度も大規模な補修してきたようだ。この経蔵の前には松が植えられ、その横には法然上人袈裟掛之松の碑が建つ。もともと裏山にあった松を境内の中央に移したらしい。承安5年(1175)に法然が高橋茂右衛門を再訪し、念仏を唱えた際、しばらく西山広谷の地に留まろうと思い立ち、袈裟を掛けられた松の木と伝えられている。昭和57年(1982年)に株分けされて経蔵の前に移されている。この広谷の地については保元元年(1156)頃、叡山を出た法然が訪れた場所とされ、法然上人絵伝では以下のように記されている。

四明の巌洞をいてゝ、西山の広谷といふところに居をしめ

 さらに、この後に東山吉水に広谷の庵を移したとしている。「新修 京都叢書 第18巻 山州名跡志 乾」(光彩社 1967年刊)の巻之十に以下のように記されている。少し長いがそのまま引用する。

廣谷地名 此所出法然上人
上人宗旨弘通ノ時。叡嶽ヲ出テ。
西山ノ廣谷ニ閑居ノ由ヲ載ス。
古書西山ト云フハ皆此邊ヲ指也。
予當宗ノ僧数輩ニ此地ヲ尋ルニ更ニ不ナラ
傳絵詞傳不明ノ所アリ。
此廣谷モ其一也。
レバ上人ノ舊跡顕レナバ珍重ノ奇事ナラズヤ。
予多年尋貞享所ヲヱタリ。
所光明寺ノ後山ニテ。
上人廟所ヨリ申方去ル事四町計ナリ。
廣谷ノ號ハ土人トイエモ知者少シ。
近里ニモ数代ノ住人古老ハ傳知者アリ。
今此山ヲ領ズル一家ニテハ今モ尚廣谷ト呼。
上人庵室ノ地平ニシテ傍ニ池ノ形アリ。 最寂寞ノ地也。
予此邊親シミテ古老ヱタリ従レバ光明寺ニモ知レリ

 法然上人伝に書かれている広谷が西山のどこを指す地名か分からなくなっているので、探したところ、光明寺の裏山、上人の廟所より申の方角(西南西)に四町(436m)離れた地であることが貞享年間(1682~88)の始めの頃に分かったという意味であろう。地元の人さえも知らず、その地に数代暮らしている古老が知っており、今でも広谷とこの地を呼んでいる。上人が庵室を営んだ地は平坦で、傍らに池があった。このことを光明寺に知らせておいた。
 予とは山州名跡志の著者である白慧、すなわち坂内直頼のことである。江戸時代前期の国学者。正保元年(1644)頃に京都に生まれる。貞享2年(1685)諸国の神社の縁起などを問答形式で列挙した本朝諸社一覧8巻を刊行している。正徳元年(1711)頃に死去したと考えられている。字は雪庭。通称は葉山之隠士。号は山雲子、如是相。著作はほかに九想詩諺解、山城四季物語、軽口大わらひが等ある。
 この山州名跡志は、白慧自らが元禄年間(1688~1704)に実地踏査を行い、神社・仏閣・名所旧跡の由来、縁起等を記したもので、正徳元年(1711)に刊行されている。
 確かに現在のGoogleやYahooの地図には広谷の地名が本廟の西南方向に記されている。ここが白慧の言う広谷庵室の跡地であり、現在の袈裟掛之松の親木のある場所であろうか?光明寺の公式HPにも下記のように記されている。

いまでも、元の地には松と小さな碑が残されています。この谷間に行くと、法然上人が滞在されたころの広谷の雰囲気が想像されてなかなか味わいのあるものです。ここへの道は、小坊主たちが代々先輩からの「口伝」で教えられ、ちょっとした伝説の場所になっています。

画像
光明寺 女人坂


画像

「光明寺 その3」 の地図


大きな地図



光明寺 その3 のMarker List

No. 名称 緯度 経度
01  光明寺 寺号標 34.9389 135.6793
02  光明寺 浄土門根元地の碑 34.9388 135.6782
03  光明寺 総門 34.9387 135.678
04  光明寺 閻魔堂 34.9386 135.6779
05  光明寺 東行逆馬の碑 34.9387 135.6778
06  光明寺 女人坂 34.9386 135.6769
07  光明寺 観音堂 34.9385 135.6759
08  光明寺 経堂 34.9386 135.6758
09  光明寺 勧化所 34.9386 135.6756
10  光明寺 法然上人袈裟掛之松 34.9385 135.6758
11  光明寺 鐘楼 34.9383 135.6757
12  光明寺 立教開宗像 34.9383 135.6755
13  光明寺 円光大師石棺 34.9386 135.6754
14  光明寺 本堂 34.9384 135.6751
15  光明寺 阿弥陀堂 34.9387 135.6749
16   光明寺 位牌堂 34.9387 135.6747
17   光明寺 勢至堂 34.9385 135.6744
18   光明寺 御本廟 34.9384 135.6744
19   光明寺 釈迦堂 34.9379 135.6748
20   光明寺 大書院 34.9376 135.675
21   光明寺 小書院 34.9377 135.6747
22   光明寺 信楽庭 34.9379 135.675
23  光明寺 勅使門 34.9379 135.675
24   光明寺 表玄関 34.9378 135.6751
25  光明寺 庫裏 34.9376 135.6753
26   光明寺 法然上人火葬跡 34.9379 135.6752
27  光明寺 鎮守社 34.938 135.6753
28  光明寺 茂右衛門屋敷跡 34.938 135.6755
29  光明寺 薬医門 34.9382 135.6766
30  光明寺 もみじの参道 34.9385 135.6774

「光明寺 その3」 の記事

「光明寺 その3」 に関連する記事

「光明寺 その3」 周辺のスポット

    

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

サイト ナビゲーション

投稿カレンダー

2013年1月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  

過去の記事

カテゴリー

最近の投稿