安楽寺跡・下桂
浄土真宗 西本願寺派 安楽寺跡・下桂(あんらくじあと) 2009年12月20日訪問
下桂の御霊神社の南の鳥居を抜けると、住宅地の中に門扉で締め切られた空き地がある。ここに浄土真宗西本願寺派安楽寺跡の石碑が立つ。
安楽寺は京都市内にいくつかあるが、左京区鹿ケ谷の安楽寺が最も有名である。法然の承元の法難に関係する寺院であり現在も浄土宗の単立寺院である。 北区大森東町の安楽寺は、市内から自動車で1時間近くかかる大森加茂神社の近くに位置する。真言宗東寺派寺院で現在は無住状態のようだ。上京区三軒町の安楽寺は浄土宗鎮西派転法輪寺の末寺で、「京都坊目誌 上京 乾」(新修 京都叢書 第14巻 京都坊目誌 上京 乾(光彩社 1968年刊))によると明和2年(1765)吉祥院村(現在の南区吉祥院)から当地に移動してきたとされている。しかし現在も南区吉祥院中河原西屋敷町の地には、浄土宗西山禅林寺派の安楽寺は存在している。
また伏見区納所町に浄土真宗本願寺派の安楽寺が現存している。山科区小山小川町にも同じく浄土真宗本願寺派の寺院がある。さらに下桂内にも桂芝ノ下町に浄土真宗本願寺派の桂水山安楽寺が存在しているが、納所、小山小川、桂芝ノ下ともにその由緒等は分からない。
京都府全域に広げると、綾部市私市町(浄土真宗本願寺派)、南丹市八木町(浄土真宗本願寺派)、京田辺市打田宮東(真宗興正派)、長岡京市調子(西山浄土宗)、木津川市相楽大里(西山浄土宗)、亀岡市東別院町(曹洞宗)、京丹後市丹後町(曹洞宗)、南丹市日吉町(浄土宗)、南丹市日吉町(浄土宗)、綴喜郡井手町(浄土宗)、相楽郡精華町(浄土宗)などの地域に安楽寺という寺院が存在している。
また、現在では確認することが出来ないが、かつて存在した安楽寺についても調べてみる。「京都坊目誌 下京 坤」(新修 京都叢書 第17巻 京都坊目誌 下京 坤(光彩社 1969年刊))によると、下京区紅葉町東側349町にかつて浄土真宗本願寺派の安楽寺があった。ここは西本願寺の門前町内で、寛永2年(1625)正月20日、僧徳興が開基している。その後、天明年間(1781~89)と元治年間(1864~65)に火災を被っている。境内面積は112坪2勺。 「山州名跡志 坤」(新修 京都叢書 第19巻 山州名跡志 坤(光彩社 1968年刊))には、久世郡の武内社の近くに西方寺、三福寺、浄福寺、薬蓮寺とともに安楽寺があったことを記している。これは現在の宇治市伊勢田町から大久保町あたりにあったと思われる。武内社は近鉄京都線の大久保駅の西に現存しているが上記の5寺は見つからない。もしかしたら陸上自衛隊大久保駐屯地内にあったのかもしれない。
ここまで長々書いてきたが、結局のところ浄土真宗西本願寺派安楽寺跡の石碑については、よく分からなかったというのが結論である。廃寺となったならば、このような立派な碑を作らなかったとも考えられる。どこかに寺地を移したと推測するならば、同じ浄土真宗本願寺派で最も近くの桂芝ノ下町にある桂水山安楽寺が候補となるだろう。疑問に感じた時に現地で確認すればもう少し明らかになったと反省する。
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