徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

アーカイブ:2018年 10月

南千住 回向院 その11

 

南千住 回向院(みなみせんじゅ えこういん)その11 2018年8月12日訪問 南千住 回向院  南千住 回向院 その10では、坂下門外の変及び東禅寺事件に関わった人々について見てきた。この項ではそれ以外の回向院に葬られた人々について書いていく。 南千住 回向院 相馬大作・関良助供養碑 B- 4 南千住 回向院 相馬大作・関良助供養碑 B- 4  坂下門外の変及び東禅寺事件に関わった人々を除くと、残りは「其の他」ということになる。幕末の国事犯以外にも数名、この“回向院史跡エリア”に祀られているようだ。墓碑銘の後ろの括弧内の記号は「橋本左内と小塚原の仕置場」(荒川区教育委員会編… ►続きを読む

 

南千住 回向院 その10

 

南千住 回向院(みなみせんじゅ えこういん)その10 2018年8月12日訪問 南千住 回向院 高畑房次郎之遺墳 A- 5  南千住 回向院 その9では、桜田門外の変に関わった人々の埋葬がどのように行われたかと文久2年(1862)11月の改葬について見てきた。この項では安政の大獄、桜田門外の変以外の事件に連座し回向院に葬られた人々と明治以降の回向院について書いていく。 既に安政の大獄と桜田門外の変に連座した人々については見てきた。これ以外には、先ず坂下門外の変に関係した人々が埋葬されている。回向院の公式HP(http://ekoin.fusow.net : リンク先が無くなりました )の… ►続きを読む

 

南千住 回向院 その9

 

南千住 回向院(みなみせんじゅ えこういん)その9 2018年8月12日訪問 南千住 回向院 烈婦瀧本之碑 B-20  南千住 回向院 その8では、幕末に処刑された政治犯の埋葬を受け入れてきた回向院の住職・川口厳考と桜田門外の変に関わった人々を見てきた。この項では岩崎英重が明治44年(1911)に著した「桜田義挙録」(吉川弘文館 1911年刊)を通じて桜田門外の変に関わった人々の埋葬とその後の水戸藩による改葬について見て行く。 南千住 回向院 稲田重蔵遺墳 C-13 南千住 回向院 有村次左衛門遺墳 C- 3 南千住 回向院 鯉渕要人遺墳 C-14  桜田門外の変に関わ… ►続きを読む

 

南千住 回向院 その8

 

南千住 回向院(みなみせんじゅ えこういん)その8 2018年8月12日訪問 南千住 回向院 明治維新殉難志士墓所  南千住 回向院 その5、その6、そしてその7を使って安政の大獄で処罰された人々の中で回向院に葬られた方と文久2年(1862)末からの長州藩と水戸藩の改葬について書いてみた。この項では、幕末に処刑された政治犯の埋葬を受け入れてきた回向院の住職・川口厳考と桜田門外の変に関わった人々を見ていく。 幕末維新期に回向院の住職を務めた川口厳考は美濃の人で岐山と号していた。明治29年(1896)に82歳で寂したとされているので、梅田雲浜や井伊直弼と同じ文化12年(1815)生まれであろ… ►続きを読む

 

南千住 回向院 その7

 

南千住 回向院(みなみせんじゅ えこういん)その7 2018年8月12日訪問 南千住 回向院 橋本左内の墓所  南千住 回向院 その6では、安政の大獄について安政6年10月7日の処刑以降を見てきた。ここでは安政の大獄の殉難者達の復権の過程を書いていく。 安政の大獄として執行された処罰は、朝廷と大名及び幕吏に対する者を除けば、次の3回に行われている。第一回は水戸藩関連者に対する安政6年(1859)8月27日の執行。第二回は飯泉喜内、橋本左内、頼三樹三郎等への執行で同年10月7日に行われている。そして最後の執行が同年10月27日、吉田松陰等に対するものであった。 しかし松陰の斬首が行われてか… ►続きを読む

 

南千住 回向院 その6

 

南千住 回向院(みなみせんじゅ えこういん)その6 2018年8月12日訪問 南千住 回向院 鴨崖墓 C-20 頼三樹三郎の墓  南千住 回向院 その5では、安政の大獄の捕縛の始まりから安政6年(1859)10月6日の三条実万の病死までを書いてきた。ここでは安政6年10月7日の処刑以降を書いてみる。 南千住 回向院 飯泉喜内之遺墳 A- 7 南千住 回向院 藜園墓 B-14 橋本左内の墓  安政の大獄の1回目の処罰は、主に水戸藩に関するもので安政6年8月27日に執行されている。そして2回目の処罰が安政6年10月7日に行われた。 三条家家士の飯泉喜内は安政5年9月17日に江戸で… ►続きを読む

 

南千住 回向院 その5

 

南千住 回向院(みなみせんじゅ えこういん)その5 2018年8月12日訪問 南千住 回向院 梅田源次郎遺墳 C-32 梅田雲浜の墓  南千住 回向院 その4では、安政の大獄で刑死した長州藩士・吉田松陰の埋葬を通じて回向院に墓が建立された経緯を見てきた。この項では、安政の大獄で殉難した者の中で回向院に関連する人々について書いていく。 既に安政の大獄については、いろいろな場所で書いてきた。特に京都御苑 賀陽宮邸跡 その2から梨木神社 その7までを使い断続的に書いてきたので、ここでは事件の経緯について詳しくは触れない。 そもそも、この事件は安政5年(1858)冬、老中・堀田正睦が京に上り日米… ►続きを読む

 

南千住 回向院 その4

 

南千住 回向院(みなみせんじゅ えこういん)その4 2018年8月12日訪問 南千住 回向院 松陰二十一回猛士墓 C-19 と 御名刺入 C-18 中央:吉田松陰の墓 右に頼三樹三郎、成就院信海、小林良典の墓  南千住 回向院、その2、そして、その3までの3項を使い、杉田玄白と前野良沢等による観臓から解体新書の発刊について書いてきた。いよいよ、この項から明治維新殉難志士墓所に入る。2009年に荒川ふるさと文化館で開催された展示会の図録「橋本左内と小塚原の仕置場」(荒川区教育委員会編 2009年刊)によれば、“回向院史跡エリア”という範囲に87基の墓碑と木製標柱1基が整備されている。史跡エ… ►続きを読む

 
 

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