文書と写真・地図による「記憶」の再現

カテゴリー:200811

清水寺 成就院 その2

 

清水寺 成就院(きよみずでら じょうじゅいん)その2 2008年11月23日訪問 清水寺 成就院  成就院庭園は、相阿弥の作で小堀遠州の補作と言われている。寛政11年(1799)に刊行された都林泉名勝図会にも     「清水 成就院 相阿弥作 小堀遠州補作」 と記されている。相阿弥は生年不詳の室町後期の足利将軍家の同朋衆の一人である。絵画制作から書画の鑑定、座敷飾の指導や連歌など幅広い技芸に携わり、多くの庭園の作者に擬せられている。青蓮院の庭園が相阿弥の庭と名付けられているが、それ以外にも南禅寺聴松院、龍安寺、慈照寺、大徳寺大仙院、大徳寺龍源院などの庭園を作庭したと目されている。相阿弥の没年が大永5年(1525)とされているから、成就院は室町時代後期の庭となる。また小堀遠州が天正7年(1579… ►続きを読む

 

清水寺 成就院

 

清水寺 成就院(きよみずでら じょうじゅいん) 2008年11月23日訪問 清水寺 成就院  産寧坂から松原通に入り、そのまま参道を上っていくと、正面に清水寺の仁王門が石段上に現れる。通常の拝観ならば、そのまま石段を上り本堂を目指すが、成就院へは仁王門の左脇にある馬駐から真直ぐ続く坂道を進む。坂道を上りきると正面に池が広がる。池の東南部分は高台になっており、位置的には地主神社につながっている。池の周囲の木々はやや盛りを過ぎてはいるが、美しい紅葉となっている。この池に面するように成就院が建てられている。まだ特別拝観の開始時刻の9時になっていないため門は閉ざされているが、徐々に拝観者が集まってきている。成就院は通常非公開の寺院で、春と秋に特別公開されるため、この時期に合わせて訪れた拝観者であろう… ►続きを読む

 

東山の町並み その2

 

東山の町並み(ひがしやまのまちなみ) その2 2008年11月23日訪問 東山の町並み 祇園閣  昨日同様に、円山公園より、祇園閣の屋根を眺めながら大雲院の前を通る。あまり上を見すぎていると、大雅堂跡、西行庵そして芭蕉堂を見逃してしまう。前回の訪問の時にも大雅堂跡の碑と芭蕉堂を見つけることが出来なかったので、次回はもう少し時間を作って調べてみることとする。ねねの道に入り、御陵衛士の屯所となった月真院と圓徳院の間を抜けると、高台寺の台所坂が左手に見える。石塀小路の入口を過ぎると高台寺の塔頭である春光院の門が現れる。 東山の町並み 祇園閣 東山の町並み 祇園閣  豊臣秀吉の妻であり高台寺の開基である北政所の兄 杉原定利には木下家定という子がいた。早くから秀吉に仕えていた家定は、縁者の少ない秀吉より… ►続きを読む

 

円山公園 その2

 

円山公園(まるやまこうえん) その2 2008年11月23日訪問 円山公園 南側の池に設けられた噴水  この日は円山公園から、昨日人出が多くて訪問することが出来なかった清水寺成就院を巡る。円山公園からねねの道に入り、高台寺前を通る。一念坂から二寧坂、産寧坂を経て、清水寺の参道である松原通に出る。 円山公園 北側の池 円山公園 中央にかかる石橋 円山公園 南側の池  7時40分過ぎに京阪電鉄 祇園四条駅に到着する。ここから八坂神社の西楼門を目指して歩く。円山公園の西口から入り、そのまま東に進むと昨晩歩いた知恩院と高台寺を結ぶ道に出会う。円山公園の庭園はこの道の東側から始まる。 円山公園 この地は真葛原と呼ばれてきた。都名所図会には      真葛原は祇園林のひがし、知恩院の南をいふ。 とあるように、現在… ►続きを読む

 

東山の町並み

 

東山の町並み(ひがしやまのまちなみ) 2008年11月22日訪問 東山の町並み 八坂の塔 東山の町並み 青蓮院門跡 御幸門 東山の町並み 知恩院 山門 東山の町並み 長楽館  青蓮院門跡(その2 その3 その4)の御幸門を後にして、神宮道を南に下ると十樂院上陵への参道が左手に見える。さらに先に進むと華頂道が西から入ってくる.。このあたりから、知恩院の寺域が始まる。程なくするとライトアップされた知恩院の山門が現れる。さらに南に進むと、いつの間にか円山公園の中に入り込んでいる。長楽館本館の前を過ぎると、高台寺は目の前である。祇園閣のある大雲院を左に折れると一念坂、二寧坂そして産寧坂から清水寺へとつながって行くねねの道が始まる。 東山の町並み 高台寺 岡林院 東山の町並み 高台寺 月真院  最初に目を引く… ►続きを読む

 

青蓮院門跡 その4

 

天台宗 青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき) その4 2008年11月22日訪問 青蓮院門跡 相阿弥の庭  残念ながら長屋門から青蓮院に入ることはできない。「粟田御所 青蓮院門跡」という提灯のかかる門から境内に入り、玄関を上がる。反時計回りに入母屋造桟瓦葺きの宸殿から廻っていく。宸殿南庭には右近の橘、左近の桜が配されている。もともとは御所の庭と同じく白砂が敷かれていたが、今は苔の庭となっている。この苔の上に置かれた無数の青色LEDが一定間隔に点滅し、南庭の先にある白壁には雲の流れを現したような青色の映像が投影されている。この方形のシンプルな南庭では、暗闇の中に浮かび上がる青い光によって宇宙空間が持つ永続性のようなものを表現しているのだろうか? 青蓮院門跡 相阿弥の庭 2008年5月16日撮影 青蓮… ►続きを読む

 

青蓮院門跡 その3

 

天台宗 青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき) その3 2008年11月22日訪問 青蓮院門跡 美しい竹林  青蓮院門跡で既に触れたように、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡(青蓮院、三千院、妙法院)の一つとして古くより知られている。そして現在も天台宗の京都五箇室門跡(青蓮院門跡、三千院門跡、妙法院門跡、曼殊院門跡、毘沙門堂門跡)の一つに数えられている。 青蓮院の起源は、比叡山延暦寺に作られた僧侶の住坊の一つである青蓮坊と考えられている。青蓮坊は日本天台宗の祖最澄から円仁、安恵、相応等、延暦寺の法燈を継いだ著名な僧侶の住居であり、比叡山東塔の主流をなす坊であった。また、上記の京都五箇室門跡である三千院、妙法院も比叡山山頂にあった坊が起源とされている。 青蓮院門跡 青蓮院門跡  平安時代末期、鳥羽法… ►続きを読む

 

青蓮院門跡 その2

 

天台宗 青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき) その2 2008年11月22日訪問 青蓮院門跡 長屋門の夜の姿  柳馬場三条下ルの晃庵で夕食を終え、青蓮院門跡の夜間拝観に向う。坂本龍馬妻お龍実家楢崎家跡の碑が建つ晃庵から、お龍の父である楢崎将作が侍医として仕えていた青蓮院宮尊融法親王に向うことは、意図していたものではなく偶然である。 青蓮院門跡 長屋門の昼 2008年5月16日撮影 青蓮院門跡 粟田御所  繰り返しになるが、青蓮院宮尊融法親王は文政7年(1824)伏見宮邦家親王の第4王子として生まれ、天保7年(1836)仁孝天皇の猶子となる。嘉永5年(1852)青蓮院門跡門主の座に就き、法諱を尊融と改める。宮門跡の青蓮院は、粟田口の地にあったことから、歴代門主同様青蓮院宮または粟田宮と称されている… ►続きを読む

 

晃庵

 

晃庵(こうあん) 2008年11月22日訪問 晃庵 店頭に建つ「坂本龍馬妻お龍実家楢崎家跡」の碑  建仁寺 両足院の拝観を終え、ライトアップによる夜間拝観が始まるまでの間に、少し早いが夕食をとることとした。建仁寺の北門を出ると祇園の最も華やかな花見小路通に出る。毎回同じことを感じるが、なんとも不思議な空間である。聖と俗は表裏一体ということは、まさにここで実感できる。人通りの多い四条通を避け、四条通の南の道を西に向かい、四条大橋の一本下流の橋を渡る。そして、木屋町通から分かれる西石垣通に入ると四条通の南側に延びる先斗町に入る。わずか100メートルもしないうちに四条通に出てしまう。四条通に出て西に進むと、かつて鳥新があったとされる四条小橋東南である。近江屋 その3でも触れたように慶応3年(186… ►続きを読む

 

建仁寺 両足院

 

建仁寺 両足院(けんにんじ りょうそくいん) 2008年11月22日訪問 建仁寺 両足院 書院前庭  金戒光明寺大方丈の東庭 紫雲の庭を後にして、次に予定していた清水寺成就院を目指す。本来ならば山門を潜り春日北通に面した高麗門を通るところだが、放生池の南側から真宗大谷派岡崎別院と岡崎神社の間の坂道を下る。突き当たった丸太町通を東に進み、天王町の交差点辺りでタクシーを見つけ乗車する。予め運転手さんより、清水寺の周辺は人混みが凄く近くまでは行けないとの断りがあったが、ともかく五条大橋をわたり進めるところまでお願いした。車は東大路通を通り過ぎ、鴨川沿いの川端通を南下する。五条通に入ると、車はなかなか前に進まなくなったため、大和大路通あたりで下車する。このあと徒歩で清水寺に向う。東大路通と五条通が交… ►続きを読む

 

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