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松尾大社 上古の庭



松尾大社 上古の庭(まつおたいしゃ じょうこのにわ) 2009年12月9日訪問

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松尾大社 上古の庭

 松尾大社 松風苑では、作庭家・重森三玲の庭園史家としての業績について書いた。そして松尾大社 松風苑 その2では「松尾大社造園誌」から、松風苑の成立過程について考えてみた。ここからは各庭のデザイン・モティーフとなった時代の順に、先ずは「上古の庭」から記していこうと思う。
 上古の庭は宝物殿の北側の斜面に造られた庭園である。社務所から西側には、すぐに山裾が広がるため、南側の曲水の庭も片勾配の敷地に作庭されている。特に上古の庭は丹波笹が敷き詰められているため松尾山と一体となり、あたかも山肌をそのまま使用したようにも見える。しかし笹は決して自生していたものではなく、この庭の植栽であることを忘れてはいけない。

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松尾大社 上古の庭 全景
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松尾大社 上古の庭

 勿論、この庭は松尾山の磐座・磐境に対するオマージュである。「日本庭園史大系1 上古の庭」(社会思想社 1973年刊)の日本庭園史(一)上古・日本庭園源流には磐座・磐境の起源についての考察が綴られている。繰り返しとなるが、あくまでも上代の磐座や磐境は崇敬の中心であり、決して鑑賞の対象ではなかった。だから庭園として扱うことができない。しかし後の日本庭園を考える上で、外す事のできない表現方法であったことは間違いがない。それ故に重森三玲は日本庭園史大系において、日本庭園の源流として扱っている。
 それは初期日本庭園が自然の再現的な表現から始まったことに関係している。すなわち石を組み、山を築き、流れを設け、池を作り、島を配す。それらの構成美を鑑賞することを基本として日本庭園は作庭されてきた。これらは自然崇拝と信仰の中にも同じ形をもって現れている。そのため、磐座や磐境そして神池神島がその制作意図が異なっても、同じ自然観のもとに産み出されものを無視することはできない。そして、これらの表現が空間芸術となりえたため、後世の日本庭園に大きな影響を与えている。上代の磐座や磐境は石組に、神池や神島の構成は、やがて日本庭園の池庭や中島配島につながって行く。
 今日、石組に神格化を認める者はいなくなっても、石組や池庭を作庭する際には日本民族として、上代の神秘性が心の奥に保存されていると三玲は主張している。だから日本人の作庭と外国人の作庭の違いが生じるとしている。このことは心情的に良く理解できる。日本人が日本庭園に対して安らぎを感じることは、かつての日本の風景をそこに見出すだけではなく、日本的な精神を生み出した自然の中に包まれた感覚を得られるためだと思う。そして、その自然の中には石や島に宿る超自然的な存在も含まれている。それは決して神話や宗教という形をとらずに、もう少し原始的な精霊のような目に見えないものでも存在すべきものとして感じる。

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松尾大社 上古の庭
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松尾大社 上古の庭

 磐座は岩を蔵とし、磐境は岩を境とする意味があり、どちらも石の持つ強い生命力=永遠性を認めて、石に託したものでもあり、人為によってみだりに崩されることがないものであった。それ故に巨石を用いた磐座や磐境が現存するのは物理的な強さと共に、神の依代として崇拝の対象となったことで、今日まで大切に保存されてきたともいえる。
 蔵は物を納める場所であり、座は人々が集まり座ることである。従って磐座は神と庶民とが一座となる場のことであり、単に神としてだけの存在ではなく、庶民崇拝の座であることに三玲は着目している。そのため磐座は神の示現であることによって庶民は崇拝し、祝詞を奉って神を奉斎する。宇佐神宮の亀山神社のように、磐座の上に祠的な建築物で覆い、磐座を神像的に扱う例が現れてくる。これは磐座が常世思想と結びつき、亀石組的に中心石が神像と見做される。そして建築が覆われるに至る。更に時代が下り、禅宗の祖師の遺骸の上に無縫塔を建立し、その上に昭堂を建て祀ることの源流に磐座の存在を三玲は見ている。これは上古の人々が自然の神を崇拝した形式を仏教の中に取り込んだものであり、崇拝の象徴として継承したものでもある。
 それに対して磐境は境であり、巨石を集めて円形または楕円形に並べた神聖清浄な地のことで、神を祀る場である。そのため磐座は一石でも成立するが磐境は数石を集めてはじめて境となる。ただし数石を用いたとしても一石々々が磐座であり、石そのものも神として扱われる。磐境は時代が下り玉垣になって行く。瑞垣ともよぶ神社・神域の周囲にめぐらされる垣のことであり、常世と現世の境界でもある神域を明確化するために用いられる。

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松尾大社 上古の庭
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松尾大社 上古の庭
中央2石が大山咋神と市杵島姫命 右が影向石

 磐座や磐座を祀る神社を延期式神明帳で探すと113社、126座の神が石に関係していることが分かる。記載されていない神社でも磐座や磐境に関係する神社を加えると200社以上になるとされている。三玲は磐座と磐境の区別の難しさにも触れている。例えば別々と見られるものでも、磐座と磐境とが同一のものとして構成される例も多い上、上古にあっては敢えて分類せずに磐境と表現した例も多いようだ。その上で下記のように例示している。

   大神神社   磐座と古記に記されているが、
          磐境的である面もある
   櫛岩窓神社  磐座と磐境が同居して区別がむずかしい
   保久良神社  本殿附近と境内の磐境的構成が主体
          となっている
   石像寺磐座  主として磐座的であり、地名も岩倉であって、
          それを語っている
   楯築神社   中心の立石は磐座であり、
          四周の立石は磐境的である
   星神社    磐座と磐境が同座している
   総社宮    磐境的である
   吉備津彦神社 神島中に見られるものは、
          磐座と磐境とが同座する
   高諸神社   群石組による磐境が主体であるが、
          磐座的な部分もある
   鞍馬寺奥院  磐座と磐境が同座する
   松尾神社   磐座的である
   砥鹿神社   磐座と磐境に分類がむずかしい存在である
   兵主神社   磐座的である
   岩戸寺    磐座と磐境同座

 磐境を設けて神聖な地を作り、その中に神として磐座を奉斎するのが本来の姿であった。磐座だけの存在として考えられるものは、大体において自然のままの巨石である。その付近に小石が得られない場合は磐座のみとなることもある。例えば石像寺の場合は磐座が巨大であるために磐境が必要でなかったし、松尾神社では急坂の地で磐境を築く余地がなかったとも考えられる。

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松尾大社 上古の庭
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松尾大社 上古の庭

 現在、松尾大社の磐座は制限されているものの、公開されている。大社の公式HP磐座登拝についての記述がある。この他にも下記の磐座登拝の「定」も決められている。
            定

◎ 遵守事項
   一、一人での登拝は禁止します。
   一、お祓いの後、磐座登拝証を携帯の上、敬虔な気持ちをもって登拝しましょう。
   一、登拝口以外よりの入山、下山は一切禁止します。
   一、登拝道以外の脇道に入らないこと。
   一、三時間以上の入山はしないこと。
   一、タバコ、ローソク等、火気類の持ち込み禁止(火気厳禁)
   一、カメラ、ビデオ等の持ち込み禁止(撮影禁止)
   一、携帯電話の持ち込みは許可しますが、カメラ付携帯電話については下山時に撮影の有無を報告のこと。
   一、草木、キノコ、鳥獣、土石類を取らないこと。
   一、お供え物等は持参しないこと。
   一、弁当など飲食はしないこと。
   一、蜂や害虫の危害、落石等充分注意し怪我をしないよう気をつけること。
   一、松尾山の清浄護持に心がけること。

 今回は一人での拝観であったことと、時間もなかったことから登拝は計画していなかったが、もう一人の同行者を見つけることが難しいのではないだろうか?

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松尾大社 上古の庭
庭名の記された碑が入口に置かれている

「松尾大社 上古の庭」 の地図





松尾大社 上古の庭 のMarker List

No.名称緯度経度
 松尾大社 34.9999135.685
01  松尾大社 上古の庭 35.0005135.6845
02  松尾大社 曲水の庭 35.0004135.6848
03  松尾大社 蓬莱の庭 35.0005135.6859

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