泉涌寺 来迎院 その2
泉涌寺 来迎院(らいごういん)その2 2008年12月22日訪問
善能寺の山門を出ると、目の前の谷に石橋が架かる。この橋の先に来迎院の山門が建てられている。
大同元年(806)弘法大師が荒神像を安置したのが、来迎院の始まりとされている。唐で修行を行っていた弘法大師が感得した荒神尊の像を日本に持ち帰り、この来迎院の地に草庵を結び祀ったとされている。弘法大師が奉祀した400年後の建保6年(1218)泉涌寺第4世月翁智鏡律師が藤原信房の帰依を受けて諸堂を整備し再興している。
智鏡は生没年不詳の鎌倉時代の僧。泉涌寺の第1世俊芿と第3世定舜に師事している。暦仁年代(1238~1239)頃、宋に渡り律を学ぶ。この時、蘭渓道隆と交流し道隆の来日を勧めている
道隆は来日後、筑前円覚寺、泉涌寺来迎院、鎌倉寿福寺などに寓居し、執権北条時頼の帰依を受けている。建長5年(1253)北条時頼によって建長寺が創建されると開山に招かれている。そして元からの密偵の疑いをかけられ伊豆に逃れたり、讒言により甲斐国に配流されたりもしたが、建仁寺、寿福寺そして鎌倉禅興寺などの住持となっている。
智鏡は間接的であるが、道隆による本格的な宋風の臨済宗を広める手助けをしたこととなる。帰国後の智鏡は、第4世として泉涌寺を嗣ぐ。後に来迎院に入り、上記のように来日した道隆を迎えている。
来迎院もまた応仁の乱の兵火により荒廃する。そして天正5年(1577)舜甫長老が織田信長より50石を受け、慶長2年(1597)には前田利家が諸堂の再建を行っている。また徳川家も別朱印と100石余りを与えられ、経済的な基盤も整い復興を果たした。天明7年(1787)に刊行された拾遺都名所図会の来迎院の記述の中に以下のようにある。
信長公大坂乱戦の時、甲胄の上に懸給へる念珠小蓋を住持舜甫に賜ふ、今尚あり
このような関係を活かして来迎院の中興を果たしたのだろう。
元禄14年(1701)赤穂を退去した後の大石良雄は来迎院の檀家となり寺請証文を受けている。良雄の外戚にあたる卓厳和尚が来迎院の住持を務めていたため、これを頼ったのであろう。
江戸時代、幕府は宗教統制の一環として全ての民衆を寺院の檀家とさせ、寺院から寺請証文を発行させることで、キリシタンでないことを証明させていた。この寺請制度は、宗教調査的な目的から、徴税を含む住民調査に活用されるようになっていく。そのため、良雄は寺請証文を受けることで、山科岩屋寺に閑居を得ている。現在、来迎院に残されている茶席・含翆軒は、弘法大師が独鈷を用いて掘られて湧水した名水「独鈷水」に因み、大石良雄によって設けられたとされている。
谷に架かる石橋を渡り来迎院の山門を潜ると、正面に石段が現れる。この石段を登り切ると荒神堂がある。先に触れたように弘法大師が唐から持ち帰ったと伝わる三宝大荒神像が祀られている。この像の制作年代は鎌倉時代とされているので、月翁智鏡律師が藤原信房の帰依を受けて諸堂を整備し再興した時代のものかもしれない。山門脇の碑にも記されているように「ゆな荒神」とも称され、衣食住の3つの宝を授ける広福天王守宅神であるが安産の御利益もあるとされて信仰を集めている。荒神堂の屋根は入母屋屋根に切妻屋根を載せ、さらに唐破風を付けている。このような屋根の形式をなんと呼ぶのか分からないが、あまり見ない形式である。丁度、石段を登ると、この破風だけしか見えてこない仕組みになっている。このあと観音寺陵に行く参道から良く見える。
荒神堂の奥には小さな社が置かれ、石で作られた舟の上に無数の布袋様が置かれている。宝船を模した物だろうか?泉山七福神では、来迎院の布袋尊となっている。
この荒神堂へ続く石段の上り口の左手に本堂が建てられ、本尊の阿弥陀如来と大石良雄の念持仏と伝える勝軍地蔵が祀られている。石段を挟み右手側には弘法大師ゆかりの独鈷水があるが、既に枯れている。
含翠庭と茶席・含翠軒は本堂の左手にある。正面の庫裏の受付を通り、木戸を開けて含翠庭に入る。前回の訪問時は新緑濃い季節で、ともかく鬱蒼とした印象を受ける庭であった。今回は少し緑の密度も減り、熊笹の目立つ庭となっていた。含翠庭は池泉回遊式庭園で、茶席・含翠軒の近くに心寺池が造られているが、客殿の縁に座り、東山の斜面からつながる庭を眺めるのが最も鑑賞に適しているのかもしれない。
なお増田建築研究所のJAPANESE ARCHITECTURE IN KYOTO(京都の日本建築)(http://web.kyoto-inet.or.jp/org/orion/jap/hstj/higasij.html : リンク先が無くなりました )によると含翆軒は明治17年(1884)ごろまで来迎院で保存されていたが、その後買い取られ行方不明となっている。従って現在の建物は大正14年(1925)に再興されたものであるという。
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