徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

アーカイブ:2009年

柊家 その4

 

柊家(ひいらぎや) 2008/05/13訪問 柊家 抹茶と特製銘菓 朧月  部屋に入るとすぐに抹茶が用意される。お菓子は三日月状した薄茶の皮に白い斑の砂糖?をまぶした様はその名のとおり朧月である。中は粒餡が入っている。食べるとほのかに生姜が利いている。こちらも柊の印が入っているので柊家の特製菓子となっている。こちらは加賀屋清和で作られているが、今はお店は閉められていて買うことが出来ないようだ。このあたりのことは、「fran」さんのブログ「まねきねこ」に書かれているのでそちらをご参照ください。そちらに掲載されている写真を見るとお菓子の名称も特製であることが分かる。 柊家 夕食 1… ►続きを読む

 

柊家 その3

 

柊家(ひいらぎや) 2008/05/13訪問 柊家  床の間の窓側には洗面所が作られている。 柊家 洗面台 柊家 洗面台 いろいろなものが並ぶ 柊家 洗面台の左半分 柊家 洗面台の右半分 柊家 洗面台に置かれていた説明書 柊家 洗面台に置かれていた美しいシルエットの腰掛と洗面具  ホテルでも使われる新しい洗面セットが置かれている。洗面台の上には各種のアメニティグッズが置かれている。その他にシャンプーとトリートメントの説明書きが置かれている。確かに見たこともないシャンプーを使用するのには抵抗がある。そのような気持ちに対する配慮とともに、これもまたひとつの… ►続きを読む

 

柊家 その2

 

柊家(ひいらぎや) 2008/05/13訪問 柊家 32号室  今回柊家で宿泊した部屋は、鍵に書かれた名称によると32号室とある。麩屋町通から西方向へ玄関を入り、「来者如歸」の額のかかる間に上がる。そこから北側に伸びる廊下の右手側の部屋であったので、部屋の窓先は麩屋町通に面した塀となる。 柊家 客室玄関 この部分は比較的新しい造りとなっている 柊家 客室玄関 棚と冷蔵庫 柊家 客室玄関 冷蔵庫置き場 ミニチュアボトルと腰壁のスクラッチタイルに時代を感じる 柊家 客室玄関 冷蔵庫の上にはワインオープナーまで用意されている 柊家 客室扉  板張りの廊下から部屋の… ►続きを読む

 

柊家

 

柊家(ひいらぎや) 2008/05/13訪問 柊家 姉小路側から眺める  表千家 裏千家が並ぶ小川通から本法寺の境内を通り抜け、堀川通に出る。裏千家の茶道総合資料館の前を過ぎ、堀川寺ノ内の停留所から市バスに載り、堀川丸太町に向う。ここで市バスを乗り換え、京都市役所前で下車する。今朝コインロッカーに預けた荷物を引き出し、今夜泊まる柊家へ向う。 柊家 御池通の角 柊家 御池通側から眺める 柊家 玄関以外にも建物へ入る木戸がいくつか見られる 柵は開けられるようにできている 柊家 玄関玄関脇の木戸 こちらは勝手口のようだ  柊家は御池通から麩屋町通へ入る西の角に位置する。… ►続きを読む

 

表千家と裏千家

 

表千家と裏千家(おもてせんけとうらせんけ) 2008/05/13訪問 表千家 表門は文政5年(1822)紀州家よりの拝領  百々橋の礎石が保存されている寺之内通小川の先には、表千家と裏千家が並ぶ。 元亀4年(1573)織田信長によって足利義昭が京都から追放され室町幕府が崩壊する。利休が信長の茶堂となった正確な時期は分からないが、天正元年(1573)頃には信長に仕えていたと考えられている。信長は茶の湯を嗜むだけではなく、茶の湯を政略的に利用した。特に茶器の蒐集に力を入れ、手柄を立てた家臣には恩賞として名物の茶器が与えられた。領国や禄など有限の資産ではなく、信長により無形の価値が茶器に付与さ… ►続きを読む

 

百々橋

 

百々橋(どどばし) 2008/05/13訪問 百々橋の礎石 寺之内通小川  足利将軍室町第址の碑み右手に見ながら、室町通を北へ入る。2本目の通り右に曲がると烏丸通に面した大聖寺門跡の山門が角に見える。義満の正室の叔母にあたる日野宣子は、無学祖元の弟子・意翁円浄に参禅し、貞治7年(1368)に出家して、大聖院無相定円尼と号した。将軍義満は安禅所として室町邸内に建てられた岡松殿に無相定円尼を迎えた。永徳2年(1382)57歳で亡くなると,その遺言に従い岡松殿を法名にちなんで大聖寺とした。創建以来、応仁の乱等の兵火に度々遭い移転を重ね、長谷(現在の岩倉長谷街)から、文明11年(1479)毘沙門… ►続きを読む

 

足利将軍室町第址

 

足利将軍室町第址(あしかがしょうぐんむろまちていあと) 2008/05/13訪問 足利将軍室町第址 今出川通から室町通に入る北東の角に建つ  京都御苑を今出川門から出て、烏丸今出川の交差点を渡る。今出川通から室町通に入る北東の角に大正4年(1915)京都市教育会が建立した碑が立っている。ここには      「従是東北 足利将軍室町第址」 と記されている。ここが室町幕府 花の御所の西南の角に当たる。  足利幕府の将軍の邸宅がどのように変遷して行ったかについては、「はむはむ」さんのブログ(http://djungarian.typepad.jp/weblog/2007/03/post_b… ►続きを読む

 

京都御苑

 

京都御苑(きょうとぎょえん) 2008/05/13訪問 京都御所 皇后門と西面  京都御所の参観後、京都御苑内を散策しながら、烏丸今出川の方向へ向かう。 京都御苑 西園寺邸跡 京都御苑 西園寺邸跡に建つ白雲神社 もとは邸内にあった社 京都御苑 白雲神社  幕末の京都御所周辺の状況は、国際日本文化研究センターに保管されている文久3年(1863)に作られた内裏圖を見ることで想像できる。この内裏圖の外周部には北に今出川通、南に丸太町通、西に烏丸通、東に寺町通が描かれている。現在の京都御苑の外郭線を収めた図であることが分かる。この地域の大部分の土地が公家の屋敷によって占められて… ►続きを読む

 

京都御所 その2

 

京都御所(きょうとごしょ) 2008/05/13訪問 京都御所 御池庭  京都御所の主だった建物については、その1で記したので、参観順路に従いそれ以外のことを含めて見て行く。参観者は清所門から中に入り、そのまま南に進んだところにある参観者休所で、事前のビデオを見て開始時刻を待つ。 京都御所 宣秋門 京都御所 宣秋門の装飾  参観者休所を出ると右手に宣秋門が現れる。この門は5月15日に行われる葵祭りの際、御所から出発する隊列が通る順路となっていることで有名である。もともと宮家、摂家その他の公卿が参内する時に用いられた門であることから公卿門とも呼ばれている。また檜皮葺き、切妻屋根… ►続きを読む

 

京都御所

 

京都御所(きょうとごしょ) 2008/05/13訪問 京都御所 承明門から紫宸殿を眺める  昼食を終え、再び烏丸丸太町の交差点に戻ったのが13時近かった。仙洞御所の参観と同様、13時20分までに清所門に到着しなければならない。京都御苑の中でも北よりなので、地下鉄烏丸線で1駅先の今出川駅で下車して歩くこととした。烏丸通沿いの乾御門より京都御苑に入り御所の清所門を目指す。 京都御所 月華門から日華門を眺める  元々平安京の皇居は、朝堂院の北東に隣接する内裏であった。内裏の規模は南北300メートル、東西220メートルと少し小さなものであった。当時の内裏の紫宸殿の回廊の南正面にあった承明門… ►続きを読む

 

丸太町十二段家

 

丸太町十二段家 (まるたまちじゅうにだんや) 2008/05/13訪問 丸太町十二段家 丸太町通に面した店の外観  仙洞御所の見学を終え、大宮御所の正門から外に出たのが11時45分。次の京都御所の参観は13時30分から。まだ1時間30分あるので、昼食のため下立売門より京都御苑の外に出る。烏丸通を南に下り、烏丸丸太町の交差点を西に入ったところに丸太町十二段家がある。こちらの店のメニューには元祖お茶漬け と 牛肉のしゃぶしゃぶ、そしてビーフステーキが並べられている。旅館の夕食と朝食は比較的しっかりしたものが出るので、旅先での昼食はそれほど重いものでない方が良いかと思いこの店のお茶漬けを選んだ… ►続きを読む

 

仙洞御所 その2

 

仙洞御所(せんとうごしょ) 2008/05/13訪問 仙洞御所 南池の洲浜  仙洞御所の北池に続き南池とともにこの庭園を造営させ、おそらく自分の好みに変更させた後水尾上皇と徳川幕府について書いていく。 仙洞御所 八ツ橋と洲浜 仙洞御所 八ツ橋からもみじ橋を眺める  しかし慶長8年(1603)徳川家康が征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開くと情勢に変化が出た。徳川幕府は、京都を離れ東の江戸で権力基盤の形成を行った。室町幕府以降秀吉まで政権を京都あるいは大阪に置き朝廷の距離をなるべく近づけていたのに対して、徳川幕府は一定の距離を朝廷との間にとる政策に変更してきた。そして権威の抑制をは… ►続きを読む

 

仙洞御所

 

仙洞御所(せんとうごしょ) 2008/05/13訪問 仙洞御所 北池  閑院宮邸を出て、京都御苑の中を仙洞御所に向かう。11時からの参観であるため、10分前までに大宮御所の正門に到着しなければならない。閑院宮から大宮御所へは早歩きでも10分以上かかる。正門で出力した参観許可通知を見せると門内の参観者休所に導かれる。こちらでロッカーに荷物を入れ、仙洞御所の紹介ビデオを見ながら参観開始時刻を待つ仕組みになっている。 仙洞御所 北池への潜戸  皇居・桂離宮・修学院離宮・京都御所、そして仙洞御所の参観は事前に宮内庁に申し出なければならない。以前に訪れたときは、往復葉書のみだったが、現在はW… ►続きを読む

 

京都御苑 閑院宮邸

 

京都御苑 閑院宮邸(きょうとぎょえん かんいんのみやてい) 2008/05/13訪問 閑院宮邸 中庭  新島襄旧邸の前の寺町通をそのまま南に下るとすぐに丸太町通に出る。右に曲がり、京都御苑沿いに歩くと富小路口の門が現れる。ここから御苑内に入り、御苑の南西角にある閑院宮邸まで歩く。苑内は砂利敷きとなっているのでなかなか歩きにくい。その上、目標が見えていてもなかなか近づいて行く感触が沸かない。私たちの暮らしている町並みとはスケールが違い、感覚が合わないためだろう。九条池を過ぎ、やっと閑院宮邸の門が見えた。 国際日本文化研究センターに所蔵されている文久3年(1863)に作成された内裏図によると… ►続きを読む

 

新島襄旧邸

 

新島襄旧邸(にいじまじょうきゅうてい) 2008/05/13訪問 新島襄旧邸  梨木神社の鳥居をくぐり、清和院御門の前の広場に再び出る。寺町通を南下する。右手は京都御苑の清和院駐車場が細長く続く。駐車場のさらに奥は仙洞御所である。単調な景色が続くので、府立鴨沂高等学校の角で左に入り、寺町通の一本東の新烏丸通を南下する。 ところで旧九条殿河原町邸はどこにあったのだろうか?九条殿は、閑院宮とともに御所内の南西にあったが、河原町邸は別のものと思われる。鴨川に架かる丸太町橋の西詰めに、昭和7年(1932)京都鴨沂会が創立60周年を記念して建てた碑が現在も残っている。この碑より、“本邦高校女学校之… ►続きを読む

 

梨木神社

 

梨木神社(なしのきじんじゃ) 2008/05/13訪問 梨木神社 拝殿  廬山寺から寺町通に出て、南に下るとほどなく京都御苑の清和院御門が現れる。梨木神社の鳥居は清和院御門の手前右手にある。 梨木神社 清和院御門脇の鳥居 梨木神社 二の鳥居  梨木神社の祭神は三條実萬と三條実美の父子である。三條実美を祀る神社ということから明治以降に創建された新しい神社であることが分かる。梨木神社の公式HPによると明治18年(1885)に三條実萬を祭神として旧邸の地名 梨木町にちなみ、現在の地に梨木神社として創建された。三條実美が第二座の祭神として合祀されたのは大正4年(1915)の大正天皇即… ►続きを読む

 

廬山寺

 

天台系圓浄宗大本山 廬山寺(ろざんじ) 2008/05/13訪問 廬山寺 源氏庭 中央の石が紫式部邸宅址の碑  ウェスティン都ホテル京都をチェックアウトし、荷物を持って地下鉄東西線蹴上駅へ向かう。京都市役所前で下車し、荷物を駅構内のコインロッカーに入れ、地上に出る。京都市営バスに乗り、3つ目の府立医大病院前で下車する。廬山寺の山門はこの河原町通沿いにはない。一本西側の寺町通にあるため、府立文化芸術会館の角を左に折れると正面に京都御苑への入口と梨木神社の鳥居が見える。寺町通に入り北に200メートルくらい上ると右手に廬山寺の山門が現れる。 廬山寺 南の山門 廬山寺 北の山門 拝観者… ►続きを読む

 

祇園・先斗町の町並み

 

祇園・先斗町の町並み(ぎおん・ぽんとちょうのまちなみ) 2008/05/12訪問 祇園  都ホテルから三条通を西に歩き、鴨川を渡り、橋詰を南に下ると先斗町に入り込む。夕食の店を探しながら細い道を2往復した。夕食後、祇園界隈を散策する。 先斗町 三条橋から鴨川沿いの川床を眺める 先斗町 先斗町 先斗町 先斗町 先斗町 石畳の道は細いが行き交う人は多い 先斗町 先斗町 先斗町 先斗町 先斗町 川床納涼床は5月から始まる 先斗町 四条橋より川床を眺める  先斗町は鴨川と木屋町通の間にある花街で、町と付くが正式な地名ではない… ►続きを読む

 

佳水園 その4

 

ウェスティン都ホテル京都 佳水園(かすいえん) 2008/05/12訪問 佳水園 客室  ウェスティン都ホテル京都の公式HP(http://www.westinmiyako-kyoto.com/guest/kasui.html : リンク先が無くなりました )を見ると2009年6月現在、数寄屋風別館 佳水園の客室数は20室で、一室あたりの料金が設定されている。部屋の大きさが異なるため室料金も一律でない。またこの料金には食事が含まれていないらしいが、4室限定で一泊2食付サービスが受けられるように説明している。そして以下のような記述が付け加えられている。     ご滞在中は、「佳水園」専用の… ►続きを読む

 

佳水園 その3

 

ウェスティン都ホテル京都 佳水園(かすいえん) 2008/05/12訪問 佳水園 フロント横の応接と棚  ウェスティン都ホテル京都は、平成14年(2002)に、スターウッド・ホテル&リゾートと提携し、ウェスティンブランドに入ったが、現在もホテル名称に残っているように都ホテルズ&リゾーツの旗館であった。ちなみに村野の初期の名作 志摩観光ホテルも系列ホテルの1つである。 佳水園 エントランス 佳水園 エントランス  三条古川町の油商 西村仁兵衛が、明治23年(1890)に華頂山の中腹の7万坪近い敷地に「吉水園」という貸し席を開いたのが都ホテルの始まりである。本… ►続きを読む

 
 

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