アーカイブ:2009年
淀城
淀城(よどじょう) 2008/05/11訪問 淀城 鯉幟が濠にかかる 井上源三郎が埋葬されたと考えられている辨慶淀店から納所の交差点に向かい、唐人雁木旧趾の碑を探したがどうも見つからなかった。唐人雁木とは江戸時代、将軍の代替わりや慶事の祝賀のために派遣された朝鮮通信使が到着した船着場のこと。通信使の一行は対馬から瀬戸内海に入り淀城下に到着していた。淀で休憩した後、京都を経由して江戸へ向かう。高張提灯が並べられた雁木では、一晩中篝火が焚かれ、饗応されていたといわれている。船着場の階段が鋸状なので雁行をイメージされて雁木といわれたらしい。 旧京阪国道をさらに南西に進むと淀城跡公園へ続く… ►続きを読む
納所と淀小橋
納所と淀小橋(のうそ と よどこばし) 2008/05/11訪問 納所と淀小橋 淀小橋跡 辨慶淀店から旧京阪国道を70メートルほど南西に進むと納所の交差点に出る。 納所と淀小橋 納所交差点 中央の道が府道204号 納所と淀小橋 納所交差点 中央に入っていく道が千本通 納所の交差点には6方向から道が入っている。旧京阪国道の府道13号が北東から入り、南西に出て行く。これに府道204号、府道125号、府道124号と千本通の4つの道が交差点に入り込んでいる。府道124号は中書島を起点にほぼ京阪本線と併走する道であり、また千本通は北区鷹峯から始まるが、九条以南は鳥羽街道とよばれて… ►続きを読む
井上源三郎埋葬推定地
井上源三郎埋葬推定地(いのうえげんざぶろう まいそうすいていち) 2008/05/11訪問 井上源三郎埋葬推定地 辨慶淀店 八番楳木の戊辰之役東軍戦死者埋骨地から再び府道124号を納所交差点方向に戻る。途中、右に折れると小さな流れが現れる。護岸は整備されていたが、昔は湿地帯の中をこのような小川が無数流れていたのではないだろうか。 納所 小さな小川 橋を渡り、UR都市機構伏見納所団地の中を進む。旧京阪国道に出る箇所に、五輪塔型の鳥羽伏見之戦地跡地碑と書かれた碑がある。建立者が明記され、昭和47年(1972)に建てられたことも分かる。八番楳木の戊辰之役東軍戦死者埋骨地が昭和45年… ►続きを読む
八番楳木 戊辰之役東軍戦死者埋骨地
八番楳木 戊辰之役東軍戦死者埋骨地(はちばんうめき ぼしんのえきとうぐんせんししゃまいこつち) 2008/05/11訪問 八番楳木 戊辰之役東軍戦死者埋骨地 2日目は淀→宇治→山城→墨染とかなりの強行軍となる。伏見桃山のホテルを5時にチェックアウトし京阪電鉄伏見桃山駅5:23発淀屋橋行きの普通電車に乗ると淀駅には5:30に到着した。 京阪電鉄淀駅は2011年3月予定で高架化工事がすすめられていた。淀屋橋方面のホームはまだ地上レベルにあったが、京都競馬場の下車駅となるため巨大なホームとコンコースが用意されていた。踏切を渡り納所の交差点を目指すが、途中で道路幅が広くなる場所がある。どう… ►続きを読む
大黒寺
真言宗東寺派 大黒寺(だいこくじ) 2008/05/10訪問 大黒寺 こちらにの門が開いていた 三栖閘門を後にして京都外環状線と宇治側との間の道をしばらく歩き、竹田街道との交差点の手前で交通量の多い環状線を渡る。周囲を見渡したが信号が無いので4車線分を一気に走ることとなった。中書島駅から京阪線で丹波橋駅に出て、真直ぐ西へ歩く。市立伏見板橋小学校に突き当ったところで南に折れると下板橋通に出る。下板橋通を西に入り最初の角を南に入ると京都御駕篭郵便局が右手に現れる。これが大黒寺に続く道の確認となる。さらに20メートルくらい進むとやはり右手に大黒寺の門が現れる。初めての訪問ではなかなか見つけ… ►続きを読む
三栖閘門
三栖閘門(みすこうもん) 2008/05/10訪問 三栖閘門 寺田屋を後にし、竹田街道を南下する。東浜南町を西に入り歩いていくと右手側にモリタ製作所のレンガ造りの建物が一瞬道筋からのぞく。そのまま進み濠川に出る。橋を渡り川沿いに南下し、京阪電鉄の橋梁をくぐると伏見みなと橋と対岸に広がる伏見港広場が見えてくる。巨大な京都外環状線の高架を越えると2本のタワーを持った赤い水門が現れる。これが三栖閘門である。 昔から淀川は氾濫を繰り返してきたが、本格的に治水工事に着手したのは豊臣秀吉が伏見城を築き、城下町を整備してからのことだった。現在の地図からは想像することが難しいが、伏見と宇治と淀を結… ►続きを読む
寺田屋
寺田屋(てらだや) 2008/05/10訪問 寺田屋 大きな提燈に屋号が書かれている 長建寺の山門をくぐり、目の前に広がる濠川の川面に降りていく階段を下りていく。対岸の月桂冠の酒蔵と濠川の流れを見ながら次の蓬莱橋まで歩いていく。蓬莱橋のたもとで再び地上面に上がると橋の先に寺田屋と書かれた提燈が掛けられた町屋が目に入る。既に開館時間を終了しているため、こちらも外からの見学となる。 寺田屋 寺田屋 西側から蓬莱橋方向を望む 寺田屋は南浜に面する船宿である。いつからこの地で船宿を始めていたのかは明らかではないが、寺田屋のパンフレットには、慶長2年(1597)に百姓伊助が伏見京… ►続きを読む
長建寺
真言宗醍醐派 辨財天長建寺(べんざいてんちょうけんじ) 2008/05/10訪問 長建寺 鮮やかな朱の竜宮門 月桂冠大蔵記念館から南に下ると濠川に当たる。弁天橋を渡ると右手側に赤い土塀と竜宮門が見える。これが長建寺の山門。真言宗醍醐寺派に属する寺で、本尊は八臂弁財天。 長建寺 境内はそれほど広くない 長建寺 護摩の跡 弁財天というと関東では江ノ島神社を思い出すが、もともと弁才天は仏教の守護神である天部の1つであるが、ヒンドゥー教の女神サラスヴァティー(Sarasvatī)が仏教あるいは神道に取り込まれた時の呼び名である。日本では「才」が「財」の音に通じることか… ►続きを読む
伏見の町並み
伏見の町並み(ふしみのまちなみ) 2008/05/10訪問 酒蔵が並ぶ伏見の町並み 月桂冠大倉記念館 伏見奉行所址である桃陵団地を後にし、再び魚屋通に出て近鉄京都線の高架をくぐり京阪電鉄の踏切を越え西に進む。道は大阪町辺りで突き当たり左に曲がる。道なりに進むとすぐにまた魚屋通が現れる。魚屋通はここでクランクしている。また魚屋通に直行する南北に通る道もクランクするため、4つ角の交差点がなくT字路が2箇所近接している。「四ツ辻の四ツ当たり」という城下町に良く見られる遠見遮断の構造である。この場所が伏見城からはかなり離れているため、伏見奉行所防衛のために設けられたものではないかともいわれて… ►続きを読む
伏見奉行所址
伏見奉行所址(ふしみぶぎょうしょあと) 2008/05/10訪問 桃陵団地と伏見奉行所址を示す石標 魚三楼の前から京町通をさらに南に50メートル緩やかな坂町を下ると東西に走る魚町通に出る。ここを左折し近鉄京都線の高架をくぐると目の前に伏見の町並みに調和するように屋根を載せ、妻面を黒板張り風に仕上げた集合住宅群が現れる。これが伏見奉行所の跡地に建設された京都市営桃陵団地である。団地の西側の入口には3つの石碑がある。 桃陵団地の発掘調査を示す碑 一つ目の石碑は上部に笠を載せたようなデザインで、説明文とともに2枚の写真が印刷されている。桃陵団地の歴史を説明するために設置されたようだ… ►続きを読む
魚三楼
魚三楼(うおさぶろう) 2008/05/10訪問 京町通の魚三楼 暖簾の右側の格子に弾痕が残されている 御香宮神社を後にし、再び大手筋の大鳥居をくぐり、西に向う。近鉄京都線・桃山御陵前駅の高架と京阪電鉄・伏見桃山駅の踏切との間の百メートルに満たない地域の中央を京町通が通っている。大手筋から左折し京町通に入り南に30~40メートル進むと、道の右側に「魚三楼」という軒行燈を掲げた間口の広い商家が現れる。 魚三楼のHPによると讃岐出身の三郎兵衛が江戸中期 明和元年(1764)に創業した料亭。伏見港に揚がる瀬戸内海の魚や京野菜と伏見の豊かな湧水を使い、各藩の大名屋敷の料理方などを務めてきた… ►続きを読む
御香宮神社庭園
御香宮神社庭園(ごこうのみやじんじゃ ていえん) 2008/05/10訪問 御香宮神社庭園 御香宮神社に着いたのが午後4時少し前であったため、境内は後回しとしまずは御香宮神社庭園へと向う。ひと回りしたがそれらしき庭園は見当たらず、社務所に行くと拝観受付とあった。土間をあがり中に入ると客間らしい部屋があり、その先に庭園が広がっていた。すでに他の拝観者の姿も無く、部屋の照明も消された状態であったため、どこまでが公開されているかよく分からなかった。ほどなく説明のテープが回り始めた。 御香宮神社庭園 近江小室藩の初代藩主である小堀政一こと小堀遠州は元和9年(1623)に第6代目の伏見… ►続きを読む
御香宮神社
御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ) 2008/05/10訪問 御香宮神社 拝殿 伏見稲荷大社の表参道から伏見街道に出て、JR稲荷駅とランプ小屋の前を通り過ぎ、もう少し伏見街道の町並みを見ながら南下する。まっすぐに南へ流れる鴨川運河を渡り京阪電鉄深草駅に至る。ここから京阪電鉄に乗車し伏見桃山駅で下車。地下の改札口から地上に出ると目の前に大手筋通が現れる。西は巨大なアーケード街へと続き、東を見ると近鉄京都線桃山御陵前駅の先に赤い大鳥居があるので道に迷う心配はない。大鳥居をくぐると石垣と白い壁が始まる。この場所の地形は東北にある伏見桃山陵に向って上っていくため、御香宮神社の西南角の石垣が最… ►続きを読む
JR稲荷駅ランプ小屋
JR稲荷駅ランプ小屋 (じぇいあーる いなりえき らんぷごや) 2008/05/10訪問 JR稲荷駅ランプ小屋 伏見稲荷大社の表参道から伏見街道に出ると目の前に朱の柱に白壁、瓦葺屋根のJR稲荷駅が現れる。駅舎に沿って南に下ると小さな切妻屋根をのせた赤レンガの小屋がある。これがJR稲荷駅ランプ小屋。 電気照明が普及するまでの間、鉄道の客車用や駅務・保線用のランプとその燃料を収納しておくために使用された危険物倉庫がランプ小屋である。そのため堅牢な煉瓦造りとなっていた。明治時代に建設された旧国鉄の主要駅には一般的に存在していたようだが、ランプの消滅と駅の増改築等により姿を消していった。… ►続きを読む
伏水街道の橋
伏水街道の橋 (ふしみかいどう の はし) 2008/05/10訪問 伏水街道第三橋 東福寺中門前 東山山麓から流れ出て鴨川にそそぐ河川が伏見街道に交差する箇所に4本の橋が架けられ、北から一ノ橋、二ノ橋、三ノ橋、四ノ橋と呼ばれていた。現在、一ノ橋と二ノ橋の川は暗渠となり元の橋の位置と異なった場所に親柱が保存されている。三ノ橋と四ノ橋は伏見街道の橋として使用されている。いずれの橋の親柱にも伏見街道ではなく“伏水街道”とある。 JRと京阪電鉄の東福寺駅より200m北、現在の本町12丁目にある清涼山寶寿寺の北側を一の橋川は流れていたようだ。泉涌寺より東大路通を越え大谷学園大谷高等学校の南… ►続きを読む
伏見街道
伏見街道 (ふしみかいどう) 2008/05/10訪問 伏見街道の町並み 玉屋 伏見街道は五条と伏見を結ぶ街道。伏見城を築いた豊臣秀吉が天正年間(1573~1593)あるいは文禄年間(1593~1596)に開いたといわれている。さらに江戸時代に入ると伏見は大阪につながる交通の要衝となり、京と伏見の間の物資の運搬路が必要となり、西側に並行する竹田街道や高瀬川水路が開かれた。沿道には東福寺や伏見稲荷大社など名所も多く、旅人や観光客の往来は絶えない。 京と伏見をつなぐ街道というわりには道幅も細く、地域の生活道路として使用されるのがやっとであり、観光客を乗せたタクシーが入ってくるとすぐに渋滞… ►続きを読む
伏見稲荷大社
伏見稲荷大社 (ふしみいなりたいしゃ) 2008/05/10訪問 伏見稲荷大社 外拝殿より見た楼門 お庭を拝観させていただいたことに御礼し大橋家を後にし伏見街道へ出る。あらためて伏見稲荷大社の表参道から第一鳥居そして第二鳥居をくぐると豊臣秀吉が寄進したと言われている楼門が現れる。楼門の前には阿吽の狛犬ではなく二体の狐の像が設置されている。 伏見稲荷大社 楼門前左側の狐像 伏見稲荷大社 楼門奥の外拝殿 伏見稲荷大社 本殿 伏見稲荷大社は全国約4万社の稲荷大神を祀る稲荷神社の総本宮とされています。稲荷大神(お稲荷さん)として信仰を集める宇迦之御魂大神(うかのみたまのお… ►続きを読む
大橋家庭園 苔涼庭
大橋家庭園 苔涼庭 (おおはしけていえん たいりょうてい) 2008/05/10訪問 大橋家庭園 苔涼庭 九條陵より再び東福寺の勅使門 六波羅門の前を通り、そし南門をくぐり伏見街道に出て、伏見稲荷大社を目指し南下する。伏見稲荷郵便局を過ぎると左手に鳥居が見える。京阪伏見稲荷駅から続く裏参道である。左に曲がり裏参道へ入っていくと先は二股に分かれている。右側は伏見稲荷大社へ続く道、左は住宅地の中へて続いている。左に曲がり道なりに進むと左手に大きな住宅の塀が現れる。門に案内板が出ているので、ここが大橋家であることが分かる。 大橋家 大橋家 門より見た玄関 事前に見学の申し込み… ►続きを読む
鳥羽伏見戦防長殉難者之墓
鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 (とばふしみせんぼうちょうじゅなんしゃのはか) 2008/05/10訪問 鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 上部に見える白い鳥居は仲恭天皇陵 皇嘉門院月輪南陵を過ぎ、仲恭天皇陵に至る参道の途中を右手に入ると鳥羽伏見戦防長殉難者の墓地がある。上り勾配の参道の途中にあるため仲恭天皇陵より一段低い場所ではあるが、かなり広い面積の平地が確保されている。 仲恭天皇陵と同じく西側に面するように整然と2列に並べられた墓石は、陵の主を護る衛士のようにも見える。もちろん仲恭天皇については、東山本町陵墓参考地の項でも触れたように鎌倉時代の天皇であり、鳥羽伏見の戦やその戦没者とは全く関係… ►続きを読む
仲恭天皇 九條陵
仲恭天皇 九條陵 (ちゅうきょうてんのう くじょうのみささぎ) 2008/05/10訪問 仲恭天皇 九條陵 九條陵への道筋を東福寺で尋ねると、どうもはっきりした答えが返ってこなかった。とりあえず芬陀院から日下門の前を南に折れ、六波羅門・勅使門の前を過ぎて数分歩くと比較的新しい住宅地の中に迷い込んでしまった。あたりを少し探し歩くと大きな木のもとに石段と碑がある角に出た。碑を読むとここが九條陵と月輪南陵への参道の入口であることが分かった。 九條陵への入口 碑には九條陵・月輪南陵参道とある 石段を数段登ると参道は直角に折れ、東方向へ真直ぐに緩やかな勾配で伸びていく。途中右側に「崇徳… ►続きを読む