徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

東山の町並み その2



東山の町並み(ひがしやまのまちなみ)その2 2009年11月29日訪問

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東山の町並み 八坂の塔

 既に18時半も廻っているので、本日最後の訪問は人出の多い賑やかな場所を選ぶ。高台寺通から法観寺のライトアップを見ながら産寧坂を目指すこととする。

 京都の地形が北から南に向かって下り傾斜となっていることは、あまりにも有名である。だから鴨川も桂川も北に発して南に下ってゆく。川の中に設けられた堰を見ると、穏やかな流れの鴨川でも比較的高低差があることに気がつく。高瀬川の源流となる「みそそぎ川」には各庭園に水を導くための取水口が設けられている。これらを一つ一つ眺めてゆくと京都の地形が思ったより傾斜していることが分かる。今までいろいろな場面でこの京都の地形の特色を見てきたが、京都御所の南北方向の石垣の高さの差を目にした時は非常に強い印象を得た。これほど分かり易い事例はないと思う。

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東山の町並み 二寧坂

 この地形の高低差を活かして京都の町を散策するプランを立てると、どうしても北から歩いていく計画になってしまう。だから東山を巡る散策も東福寺側から歩き始めることはない。あったとしても清水寺から産寧坂、二寧坂そして一念坂を下って高台寺に至るくらいではないだろうか。例えば哲学の道を行くのであれば、まずは銀閣寺を目指す。たまに銀閣寺の拝観開始時刻より早く宿を出た場合は、逆行することもあるが、時間に余裕がある場合は、なるべく北から南に進むプランを立てるのが普通であろう。

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東山の町並み 二寧坂の港屋
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東山の町並み 港屋の竹久夢二寓居の跡

 ところで、いつの頃からか「代表的な京都の散策路は?」という問いに対して、哲学の道という答えが当たり前となっている。確かに自動車などに邪魔されることなく、穏やかな東山の景色を満喫できる上、誰にでも歩き易いように整備された遊歩道は他にはない。しかし有名なるにつれて観光客が溢れ返るようになり、ついには団体が隊列組んで歩くのを見かけるようになっている。それでも朝早くから歩き始めると、犬を連れた地元の人に出会うだけで、現在でも本来の静けさを保っているところは流石である。以前訪れた際も銀閣寺の開門時刻より前に哲学の道を歩き終わるように計画したが、これならば一人だけの時間と空間を満喫できる。
 この道は銀閣寺に始まり熊野若王子神社で一応終わりとなっている。今までに何回か歩いたが、いつも熊野若王子神社の橋を渡たると、楽しかった短い散策が終わったのだという感じがする。そして次に記憶に残っているのは、広大な南禅寺の景色である。つまり申し訳ないことに、永観堂の印象が非常に薄いものとなっている。そんなこともあって、つい最近まで永観堂を拝観したこともなかった。これは駆け足で次の南禅寺の塔頭水路閣に向かったためでもある。実は昔から禅林寺の拝観料はなぜ高いのか?と疑問に感じていた。この頃は他も同じくなったので気にならなくなったが。ということで、東山の散策は銀閣寺から始まり熊野若王子神社で終わる哲学の道、そして次は南禅寺から始まり、無鄰菴を経由して、少し離れた青蓮院門跡まで移動することとなる。そして知恩院を経て円山公園を通り抜けて八坂神社に至るコースで一日終了ということが多かった。そのため高台寺や清水寺は別の日のスケジュールに入れていた。これは高台寺側から再び産寧坂を上り清水寺にたどり着く体力が残っていなかったためと、何となく高台寺と清水寺は同じ道の上にあるという感じが持てなかったからである。

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東山の町並み 八坂の塔

 現在では想像できないが、高台寺が整備されたのは平成に入ってからのようだ。「新版 古寺巡礼 京都 37 高台寺」(淡交社 2009年刊)には、作庭家の北山安夫氏が昭和63年(1988)に高台寺より依頼され、庭園の修復を手掛けたことが記されている。これは平成元年(1989)4月からの一般公開に向けた整備事業と書かれている。それ以前は公開されていなかったようにも読めるが、昔に撮影した写真を整理していたら1970年代後半の高台寺の写真を見つけることができた。かなり昔から高台寺自体は公開されていたことが確認できる。ただ毎回訪れる度に気がつくが、昔に比べ境内は非常に明るくなり、建物や塀、参道が確かに新しくなっている。先の北山氏の文中にも、昭和63年当時の霊屋への参道の写真が掲載されているが、現在のような石段ではなく、ただの未舗装の坂道だったことが分かる。
 このように平成の初年より高台寺の整備が行われ、拝観者が増えてきてから、ねねの道の整備も始まっている。後藤典生氏の著書「日本の古寺5 圓徳院住職がつづる とっておき高台寺物語」(四季社 2008年刊)によると、現在のねねの道は、馬止めのための馬場であり、駐車場ならぬ駐馬場であった。そのため門前町は、石塀小路の町並みでも触れたように、下河原町通に面した地域に発展した。しかし明治維新後の上知令によって高台寺が著しく縮小されると門前町もそれにつれて衰退している。その後バブルの崩壊も経験し、平成10年頃には30軒程度のお店を残すのみとなっている。 この頃、圓徳院の一角に2階建ての商業施設が作られ、高台寺門前会が結成されている。そして120センチメートル角の石を敷き詰める工事を行っている。これは市電の敷石の再利用ではなく、しかし、ねねの道の敷石は寸法を定めて新たに切り出したものであるため、バラつき感がなく非常に洗練された空間を作り出している。この統一感が多少の各店の装飾上の違いを目立たなくし、ねねの道の町並みを作り出していることは確かである。そして電線の地中埋め込み工事を3年かけて行ったことで、京都でも有数の美しい景観を誇る町並みとなっている。

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東山の町並み 二寧坂

 このように高台寺境内の整備、春秋のライトアップと夜間拝観の開催、そしてねねの道の整備によって、それまで清水寺に拝観していた観光客が産寧坂、二寧坂そして一念坂を経由して入ってくるようになった。平成19年時点で高台寺の年間訪問者数が80万に達している。特に80日間開催する夜間拝観の時期にその半分の40万人以上を集めているのは驚異的な数字でもある。そして30軒で始めた高台寺門前会は200軒を越すほどになっている。後藤氏の述べているように、決して新しいものを開発したわけではなく、高台寺という既存のものを活用した結果である。そして寺院と門前町の共存共栄がここでは実現されている。

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東山の町並み 八坂の塔

「東山の町並み その2」 の地図


大きな地図



東山の町並み その2 のMarker List

No. 名称 緯度 経度
  産寧坂01 34.9964 135.7808
  産寧坂02 34.9966 135.781
  産寧坂03 34.9971 135.781
  産寧坂04 34.9977 135.781
  産寧坂05 34.9978 135.781
  産寧坂06 34.9978 135.7809
  産寧坂07 34.9979 135.7808
  二年坂01 34.998 135.7808
  二年坂02 34.9984 135.7808
  二年坂03 34.9988 135.7807
  二年坂04 34.9991 135.7807
  一念坂01 34.999 135.7803
  一念坂02 34.999 135.78
  一念坂03 34.9991 135.7799
  一念坂04 34.9991 135.7798
  ねねの道01 34.9992 135.7798
01  七味家本舗 34.9962 135.7807
02  明保野亭跡の碑 34.9963 135.7809
03  青龍苑 34.9971 135.7814
04  奥丹 34.9978 135.7807
05   竹久夢二寓居の跡の碑 34.9981 135.7807
06  竹内栖鳳旧邸 34.9989 135.7795
    

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