アーカイブ:2014年 11月 24日
京都御苑 出水の小川(きょうとぎょえん でみずのおがわ)その3 2010年1月17日訪問
京都御苑 出水の小川2014年10月8日撮影
京都御苑 出水の小川では御所水道敷設について、京都御苑 出水の小川 その2では平安京造営以降の東北部の水環境と禁裏御用水の成立までを書いた。ここでは第一疎水の完成によって禁裏御用水がどのように変わったかについて書くこととする。 東京極大路の外側を南北に流れる中河の姿は源氏物語にも現われる。しかし平安時代後期から末期にかけて、中河は流れを失っていたと考えられている。そして流れを再現するため、東洞院川を北小路と一条大路の2箇所で旧中河に結び付けたのが今出… ►続きを読む
京都御苑 出水の小川(きょうとぎょえん でみずのおがわ)その2 2010年1月17日訪問
京都御苑 出水の小川
京都御苑 出水の小川では本願寺水道など話しが少し横道に逸れてしまった。そのため御所の防災対策については説明できたものの御用水について触れることができなかった。ここでは御所水道敷設以前の御所で使用する水をどのように確保してきたかについて書いてゆく。 現在の京都御所の元となった土御門東洞院殿は、権大納言藤原邦綱の邸宅で平安京北辺四坊二町に所在した。もともと邦綱は藤原北家良門流に属する下級官人の出であった。文章生から蔵人になる一方で、藤原忠通の家司として頭角を現わし、和泉、越後、伊… ►続きを読む
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