徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

鞍馬寺 その10



鞍馬弘教総本山 鞍馬山鞍馬寺(くらまでら)その10 2010年9月18日訪問

画像
鞍馬寺 大杉権現社

鞍馬寺 その9では、大正以降の鞍馬寺が行ってきた整備事業と天台宗からの分離独立の背景について書いてきた。この項では戦後すぐに開宗した鞍馬弘教の教えについて見ていく。

鞍馬弘教の中でも特に初期の教えについて学ぶには、色々探してみたが信楽香雲貫主が記した「鞍馬山歳時記」(鞍馬弘教総本山 1988年刊)を参照するのがよさそうである。これは鞍馬寺が1988年に「くらま山叢書 4」として発刊したものでる。一見、その書名からすると鞍馬寺の年中行事を紹介する随筆集のようにも見える。確かに季節毎の行事を紹介しているが、読み進めていくと鞍馬弘教がどのように生まれてきたが分かってくる。香雲貫主は同書の「鞍馬山五月満月祭」の最初で以下のように記している。

鞍馬山には、千手観音菩薩と毘沙門天王と魔王尊との三尊を御一体とし、三神一体の「尊天」としておまつり申し上げてある。

画像
鞍馬寺 大杉権現社
画像
鞍馬寺 大杉権現社

五月満月祭は鞍馬弘教の大事な祭事であるので後に説明する。元々鞍馬寺の開創には、鬼女に襲われた鑑禎上人を助けた毘沙門天と藤原伊勢人がを奉安を念願した観音菩薩が現れてくる。そして今でも鞍馬寺には国宝の木造毘沙門天立像と木造聖観音立像が残されている。つまり、この寺院開創に関わる四神(=多聞天→毘沙門天)と菩薩(=観音菩薩)に魔王尊を加えた三尊すなわち尊天が鞍馬弘教の本尊ということらしい。尊天は、大黒尊天や摩利支尊天などに用いられることから、毘沙門天などの天界に住む者に対する尊格のように思える。この天部には、梵天、帝釈天、吉祥天、弁才天、伎芸天、鬼子母神、大黒天、四天王、竜王、夜叉、聖天、金剛力士、韋駄天、天龍八部衆、十二神将、二十八部衆などが存在するが、元々インドの古来の神が仏教に取り入れられて護法神となったものである。これに対して魔王尊は他では見ることがないので、恐らく鞍馬弘教が作り出した語と思われる。
そして、千手観音菩薩と毘沙門天王と魔王尊の三神が一体となって尊天となると説明している。キリスト教の三位一体は、神は一つの実体であり、父、子、聖霊の三つの位格を持つという思想である。それに対する三神一体は、ヒンドゥー教のブラフマーとヴィシュヌとシヴァは同一であり、これらの神は力関係の上では同等であり、単一の神聖な存在から顕現する機能を異にする3つの様相に過ぎないというヒンドゥー教の理論に基づいたものである。尊天という唯一の存在があり、それが千手観音菩薩、毘沙門天王、魔王尊という異なった様相を我々に示しているということであろう。このような思考からも鞍馬弘教が既存の仏教教義から分離し、ヒンドゥー教、さらには近代神智学の思想に近づいていったことが見てとれる。
尊天は千手観音、毘沙門天、魔王尊の三神一体であり、千手観音を月輪の聖霊、毘沙門天を日輪の聖霊、そして魔王尊を地輪の聖霊として鞍馬弘教は崇敬している。聖霊とは霊気であり、三尊は月と太陽と地球の徳気を顕現し、月は水気(=慈悲)、日は陽気(=福徳)、地はものをかためる力の金気(=降魔)となり、万物を構成する3つの元素としている。これはインドの5つの要素(地水火風空)や古代中国から日本に伝わった五行説(木火土金水)でも、西洋の四元素説(土水風火)にも属さない考え方である。さらに「この三者のいずれを欠いても願成就の要素を欠く」と説いている。

鞍馬弘教における尊天と三尊の関係は上記のとおりである。続いて魔王尊とは何かを明らかにしていく。まず気が付くこととして、「鞍馬山歳時記」の中に現れる魔王尊には「サナート・クマラ」とフリガナがふってある。これは信楽香仁貫主の時代に纏められた「鞍馬山小史」には見られない記述である。サナート・クマラとはヒンドゥー教の神話・説話に登場する賢人で四人のクマーラ(サンスクリット語で「童子」の意)の一人である。さらに近代神智学では1850万年前に金星から、地球の創造主の物質界における代理人としてやってきた霊的指導者マハトマであるとしている。香雲貫主は「鞍馬山歳時記」で魔王尊を説明するために三浦関造の「神の化身」(竜王文庫 1972年刊)を下記のように引用している。

サナート・クメラの説明は、実に驚天駭魂的である。十九世紀後半、「シークレット・ドクトリン」の大著によって、神智学の近代的創始者として有名なブラバッキー女史や、女子と共に神智学の恩人として出現した英国のリービーターや、ベザント女史は、サナート・クメラについて左の如く説明する。

「鞍馬山歳時記」では「魔王尊の説明は、実に驚天駭魂的である。」と引用しているが、三浦関造は魔王尊という言葉を使用していない。ただ「サナート・クメラ」と言っているのみである。つまり香雲貫主が、最初に魔王尊=サナート・クマラと定義し、「神の化身」からサナート・クメラの説明箇所を引用したようだ。さらに「鞍馬山歳時記」の魔王尊の説明は、下記のように「神の化身」の引用を続ける

「自分達の世界は、遠い古(六百五十万年前)金星から天下った焔の君たちの一人なる霊王によって統治される。霊王の名はサナート・クメラといふ。その意味は、統治者といふことである。(註。その本名は長いマントラで、このマントラは人間を霊化し電磁力化して、偉大な力をよびおこす)彼は只一人の秘伝授与者で、十六歳の若い永遠の姿を有つ。全地球はそのオーラに包まれる。彼は地球神で、地球全体の進化を支配する。人類の進化のみならず、神々、自然霊の進化、一切生類の進化を促がす。(後略)」

つまり魔王尊の説明の重要部分は全て三浦関造の説をそのまま使用しているということになる。ただし、この部分は三浦もまた「シークレット・ドクトリン」を引用していると思われるので、二重の引用となっている。このあと三浦は、人間のエゴはサナート・クメラと直接接触することはできないとし、註書で「至上我の秘伝に向上しなければ、サナート・クメラに直接面接して、その偉大な感化を受けられないとの意」としている。香雲貫主は三浦からの引用文中にさらに「鞍馬弘教へ入信伝法して、これを実修することによって、至上我に近づく」と入信の勧誘を行っている。何れにしても鞍馬弘教の魔王尊について、三浦関造を通じて得た神智学の影響が色濃く現れていることは否定できない。ただし現在の鞍馬弘教では、サナート・クマラという言葉が現れない。香雲貫主の跡を継いだ香仁貫主は、鞍馬弘教の神智学的な側面に対して修正を行った結果と思われる。「鞍馬山小史」で同じく魔王尊を説明する部分でも、毘沙門天=太陽、千手観世音菩薩=月、護法魔王尊=地球の精霊としているものの、「宇宙生命であり宇宙エネルギーである三位一体の尊天」と比較的穏当な表現に留めている。かつてのような近代神智学の影響やヒンドゥー教的な三神一体のような説明も無くなり、今の時代に適合する仏教に戻って行ったようにも見える。このような修正は五月満月祭にも見られる。「鞍馬山歳時記」では五月満月祭をウエサク祭と読ませている。ウエサク祭とはヒマラヤで行われてきた祭典で、香雲貫主は「人類進化のために知られざるエネルギーが注がれるところの不思議な聖日」と説明している。「鞍馬山歳時記」に描かれているヒマラヤのウエサク祭りは、三浦関造の「神の化身」に所収されている 第十一篇ウエサク祭 ハイラーキーの年祭 の描写と部分的に一致するが、ここでは「鞍馬山歳時記」にのみ記述された部分を引用する。五月の満月の夜に巡礼者が各地から集まり、平地の中央部と南の部分を埋める。北東部の端は、地上経営に参加している天使の教師たる三人の主の席となっている。中央にキリスト、右側に人生の君主である摩奴、そして左側に文化の君主がそれぞれ岩に向かって座る。岩の上には大きな水晶の鉢に水が満たされている。摩奴はインド神話で、洪水後に人類の始祖となったとされる人物である。つまり世界的に広く分布する洪水神話の一つである。
満月が登る時刻に式典が始まる。マントラ(祈り)が響き渡ると、遥か彼方の空に小さな一点の光が現れる。それが次第に近づいてくると結跏趺坐して橙黄色の衣を纏った仏陀であった、仏陀は大きな岩の真上に至り三人の主の頭上に舞い降りてくる。「この時、一年に一度のこの祭典にのみ唱えられる大真言マントラが、キリストによって唱えられ、全会衆は頭をたれてひれ伏す。仏陀は、一年に一度キリストを通じて世界に霊的生活の更新を与えて帰られる。」としている。この仏陀が彼方の空遠くに現れ、消えて行かれるまでが丁度8分間であったと「鞍馬山歳時記」は記している。その後、群衆は立ち上がり鉢の水が先ずは聖者に分けられ。続いて群衆が小さなコップに受けて飲む。そして、「この「水の祭典」は、水(愛)を運ぶ新しい交りの時代(アクオリアン・エージ)を現実に再現する意味である。即ち神の愛が行き渡るように、個人の霊魂を洗い清めるのである。」と解説した後、再び三浦関造の「神の化身」を引用している。香雲貫主はキリスト教徒の中にも「ウエサク祭の神秘を思って、敬虔な瞑想をする人がたくさんあるといわれている。」とまとめている。
アクオリアン・エージとは、もちろん水瓶座の時代である。西洋占星術、ニューエイジあるいはスピリチュアルに凝っている人ならば一般的な言葉かもしれないが、普通の人は1960年代から70年代にかけて上演されたロック・ミュージカルの「ヘアー」に出てくるAquarius/Let the Sunshine Inを思い出す程度であろう。その歌詞を見れば当時の雰囲気-ベトナム反戦、麻薬によるサイケデリック体験、インド精神哲学の流行-が少しは伝わるかもしれない。

Harmony and understanding,
sympathy and trust abounding
No more falsehoods or derisions,
golden living dreams of visions
Mystic crystal revelations,
and the mind’s true liberations
Aquarius, Aquarius

画像
鞍馬寺
画像
鞍馬寺 大杉権現社への道標

さて話をウエサク祭を戻す。「鞍馬山歳時記」では鞍馬山にも五月の満月に聖水を捧げ灯を供えて祈る儀式があったと述べている。「山内の僧侶たちがつどいあって、人類の進化と経倫をつかさどる大魔王尊より偉大なるお力をいただくために、密教的にひそかに行われてきた儀式なのである。」そしてその起源を聖水を入れる銅の器に記された銘より室町時代中期の宝徳2年(1450)頃にはすでに始まっていたと推測している。昭和22年(1947)にヒマラヤで行われているウエサク祭との類似性を見出し、一部の人に独占するのではなく一般にも公開するようにした。その際、五月満月祭ににウエサクとルビを付けている。
以上が「鞍馬山歳時記」に見られる五満月祭ウエサクである。やはり魔王尊同様、五月満月祭にも三浦関造の「神の化身」を経由した神智学の影響が色濃く現れている。これに対して香仁貫主が纏めた「鞍馬山小史」では以下のように五月満月祭を説明している。

人類を救済するために釈尊やイエス・キリストたちを世に送り出したのは、地球の霊王である魔王尊(尊天)にほかならないと、鞍馬山では確信します。そして五月満月の宵は天界と地上との間に栄光の通路がひらけるので、この宵を期して魔王尊讃仰の祈りをささげ、釈尊の生誕と成道と涅槃とを祝いながら、救世主の再現を願う、それが五月満月祭なのです。

そして最後に「五月満月祭は、またウエサク祭とも呼ばれ、国際的な神秘の祭典です。」とまとめている。ここにはヒマラヤもアクオリアン・エージも出てこないし、五月満月祭にルビを付けることもなく、釈尊の遺徳を讃える儀式という説明に留めている。この辺りが上記1960年代の神秘主義という熱病が醒めたあとの教義と見る。

画像
鞍馬寺 金堂前の金剛床

「鞍馬寺 その10」 の地図





鞍馬寺 その10 のMarker List

No.名称緯度経度
 鞍馬寺 金堂 35.1181135.7708
01   鞍馬寺 歓喜院・修養道場 35.1139135.7728
02  鞍馬寺 仁王門 35.1143135.7729
03   鞍馬寺 普明殿(ケーブル山門駅) 35.1147135.7726
04  鞍馬寺 多宝塔駅(ケーブル山上駅) 35.1164135.7727
05  鞍馬寺 多宝塔 35.1167135.7728
06  鞍馬寺 寝殿 35.1176135.7708
07  鞍馬寺 金剛床 35.1179135.7709
08  鞍馬寺 閼伽井護法善神社 35.1183135.7711
09  鞍馬寺 光明心殿 35.1181135.7705
10  鞍馬寺 金剛寿命院 35.1179135.7702
11  鞍馬寺 翔雲臺 35.1179135.771
12  鞍馬寺 與謝野晶子・寛歌碑 35.1181135.7696
13  鞍馬寺 冬柏亭 35.118135.7694
14  鞍馬寺 牛若丸息つぎの水 35.1177135.7691
15  鞍馬寺 革堂地蔵尊 35.1167135.7728
16  鞍馬寺 義経公背比石 35.1185135.7678
17  鞍馬寺 大杉権現社 35.1175135.7669
18  鞍馬寺 僧正ガ谷不動堂 35.12135.7673
19   鞍馬寺 義経堂 35.1201135.7673
20  鞍馬寺 奥の院魔王殿 35.1211135.7658
21  鞍馬寺 西門 35.1207135.7629

「鞍馬寺 その10」 の記事

「鞍馬寺 その10」 に関連する記事

「鞍馬寺 その10」 周辺のスポット

    

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

 

サイト ナビゲーション

過去の記事

投稿カレンダー

2021年9月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930  

カテゴリー