カテゴリー:京都府
東福寺 その7
臨済宗東福寺派大本山 東福寺 (とうふくじ)その7 2009/11/28訪問 東福寺 東福寺 その6で記したように、九条道家は嘉禎2年(1236)に曽祖父の九条忠道や祖父の九条兼実にならい、法性寺山内に釈迦像を安置した仏殿を建立することを思い立っている。これが東福寺の創設とされている。その翌年の嘉禎3年(1237)には摂政と藤原氏長者を辞して、法性寺内の月輪殿のかたわらに光明峰寺を建立し、嘉禎4年(1238)准三宮宣下を固辞し出家している。そして延応元年(1239)には発願した仏殿の上棟式を行なっている。この開山に相応しい名僧を求めていたところ、仁治2年(1241)に宋より帰朝した円… ►続きを読む
東福寺 その6
臨済宗東福寺派大本山 東福寺 (とうふくじ)その6 2009/11/28訪問 東福寺 洗玉澗の紅葉と通天橋 2009年の秋も東福寺から始まる。東京駅を6:00に出る新幹線に乗車すると京都駅に8:11に到着する。今回はJR奈良線に乗り換え、次の東福寺駅で下車する。ここから徒歩で東福寺を目指す。前回の訪問が2008年11月22日であったのに対して、暦の上では1週間程度遅い。紅葉も見頃を迎え、人出も昨年以上のような気がする。 東福寺 北門前の石橋 東福寺については、最初の訪問の時に創設の歴史に少し触れている。それ以来、東福寺 その2で、法性寺から東福寺への移行について、東福寺 その… ►続きを読む
亀山陵
亀山陵(かめやまのみささぎ) 2009年1月12日訪問 亀山陵 亀山陵は、後嵯峨天皇の嵯峨南陵の左側に同じ檜皮葺宝形造の法華堂という形で並ぶ。 大覚寺や妙心寺 その3で同じことを書いてきたが、後嵯峨天皇によって作りだされた両統迭立によって、亀山天皇は最初の大覚寺統の天皇となる。 第90代亀山天皇は建長元年(1249)後嵯峨天皇と中宮藤原姞子との間に第7皇子・恒仁親王として生まれている。正嘉2年(1258)正嘉の飢饉の最中に10歳で立太子。同母兄に第89代後深草天皇となる久仁親王、異母兄に鎌倉幕府第6代将軍に就任する宗尊親王がいる。 亀山陵 亀山陵、嵯峨南陵へと続く門… ►続きを読む
嵯峨南陵
嵯峨南陵(さがのみなみのみささぎ) 2009年1月12日訪問 嵯峨南陵 左:亀山陵 右:嵯峨南陵 史跡名勝天然記念物に指定されている天龍寺の庭園を拝観した後、今年度最後の訪問地に向かう。2008年5月10日、京都駅に降り立ち小雨の泉涌寺に最初に訪れて以来、幸いにも8ヶ月の間に何回か京都に来る機会ができた。その間に少しずつ、一般的には観光名所とはよばれない場所も含めて、訪問箇所が広がってきた。京都の全土を網羅的に見たわけではなく、結局見てきたものを書いている間に、見落とした場所を再度訪問していたことに気が付く。すなわち、書く度に泉涌寺や東福寺の周辺を、また歩いていてしまったというのが素直… ►続きを読む
天龍寺
臨済宗天龍寺派大本山 霊亀山 天龍寺(てんりゅうじ) 2009年1月12日訪問 天龍寺 本坊庭園 曹源池と左に嵐山 右に小倉山 本坊を拝観した後に塔頭の拝観を行なうつもりであったが、宝厳院の拝観時間が早く終わるため、天龍寺本坊を後回しにした。宝厳院から再び法堂まで戻り、庫裏への石段を上って行く。既に16時を大きく回っているため、庭園だけの拝観とする。庫裏には行かず、大方丈東庭の入口から中へ入る。 天龍寺 本坊大方丈と東庭 禅宗寺院の南庭を思わせる構成 天龍寺 本坊東庭 広大な白砂の空間大方丈の大きさが分かる 臨済宗天龍寺派大本山天龍寺の山号である霊亀山は、小倉山の別称の… ►続きを読む
天龍寺 宝厳院
天龍寺 宝厳院(ほうごんいん) 2009年1月12日訪問 天龍寺 宝厳院 中央に龍門滝が見える 法金剛院の五位山と双ヶ岡の連なりを眺めながら、花園駅からJR嵯峨野線に乗車し、2つ先の嵯峨嵐山駅で下車する。駅南口に出て、京福電気鉄道嵐山線の嵐電嵐山駅に進む。駅の直前を西に折れてさらに300メートル程度進むと、京都府道29号宇多野嵐山山田線に突き当たり、その先に天龍寺の総門が現れる。今回は塔頭の宝厳院を先に訪問するため、放生池を右手に見ながら通り過ぎ、法堂の手前を南に入る。そのまま150メートルくらい進むと宝厳院の山門が現れる。 天龍寺 宝厳院 茅葺屋根を載せた長屋門風の山門… ►続きを読む
双ヶ丘
双ヶ丘(ならびがおか) 2009年1月12日訪問 双ヶ丘 法金剛院の山門を潜り出ると、たちまち交通量の多い丸太町通という現実の世界に戻る。横断歩道を渡るとJR山陰本線の花園駅の駅前広場が迎えてくれる。1996年に二条城駅とともに高架化され、駅舎も改められている。ホーム上部には木造構造の屋根が架けられ、街中の駅舎とは思えない特徴的な外観を作り出している。この花園駅から嵯峨野線に乗車し天龍寺に行く予定であるが、次の電車が来るまでにまだ少し時間があるようだ。ちなみに山陰本線のうち京都駅から南丹市の園部駅までの間は嵯峨野線と呼ぶ。花園駅のホームで次の電車を待ちながら、双ヶ丘から仁和寺方向を眺め… ►続きを読む
法金剛院 その2
律宗別格本山 五位山 法金剛院(ほうこんごういん) その2 2009年1月12日訪問 法金剛院 庭園 大治5年(1130)第74代鳥羽天皇の中宮待賢門院は、仁和寺の御堂として復興する。養父で寵愛を受けた白河法皇追善のためであり、この時に寺号を法金剛院と改めている。そして待賢門院は晩年をこの地で過ごす。大治4年(1129)7月24日に白河院が崩御する。同年9月10日、待賢門院は仁和寺御堂を建立するため、候補地の視察を源師時に命じている。師時は中原師能と伴い花園の天安寺を視察する。東西に川が流れ後方に山があり、南は開けているという地形は、御堂の建立地としては最適であると考えるに至る。法金剛… ►続きを読む
法金剛院
律宗別格本山 五位山 法金剛院(ほうこんごういん) 2009年1月12日訪問 法金剛院 山門 妙心寺の南総門を出ると、東側から来た丸太町通が南西に緩やかに曲がって行く。道なりに進むと通りの向こう側にJR山陰本線の高架と花園駅が見えてくる。そのまま南総門から200メートルくらい進んだ右手に法金剛院の山門が現れる。道路幅員が広く、交通量の多い丸太町通に面して、小さく簡素な門が迎えてくれる。山門の左手には、文徳天皇御旧跡 律宗別格本山 法金剛院と記された石柱標識が建つ。 法金剛院 山門脇の碑 法金剛院 境内図 現在の法金剛院の地には、平安時代初期、右大臣清原夏野の山荘が営まれて… ►続きを読む
妙心寺 塔頭 その7
妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) その7 2009年1月12日訪問 妙心寺 塔頭 仙壽院と衣笠山 2012年1月撮影 玉鳳院と龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院の本派四庵以外の43の塔頭を南西、北西、北東、南東そして一条通の北側の5つのエリアに分けて見て行く。 一条通北エリア42金臺寺 慶長13年(1608) 開山 輝岳宗暾 妙心寺131世 開基 正親町天皇 豊臣秀吉43仙壽院 承応 元年(1652) 開山 禿翁妙宏 妙心寺196世 開基 後水尾天皇44多福院 文明14年(1482) 開山 鉄船宗熙45霊光院 天正10年(… ►続きを読む
妙心寺 塔頭 その6
妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) その6 2009年1月12日訪問 妙心寺 小方丈 玉鳳院と龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院の本派四庵以外の43の塔頭を南西、北西、北東、南東そして一条通の北側の5つのエリアに分けて見て行く。 南東エリア31雑華院 天正11年(1583) 開山 一宙東黙 妙心寺79世 開基 牧村利貞32福壽院 元和 5年(1619) 開山 竜天宗登 開基 水野忠清の室(養賢院)33如是院 ? 大愚庵開山 義天玄詔 妙心寺8世 寛正 3年(1462) 中興 直指宗諤 妙心寺51世 … ►続きを読む
妙心寺 塔頭 その5
妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) その5 2009年1月12日訪問 妙心寺 塔頭 海福院 玉鳳院と龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院の本派四庵以外の43の塔頭を南西、北西、北東、南東そして一条通の北側の5つのエリアに分けて見て行く。 北東エリア23光国院 元和 6年(1620) 開山 梁南禅棟 妙心寺100世 開基 松平忠隆24雲祥院 慶長 3年(1598) 開山 海山元珠 妙心寺105世 開基 千坂宗策(亀仙庵)25長慶院 慶長 5年(1600) 開山 東漸宗震 妙心寺71世 開基 木下家定の… ►続きを読む
妙心寺 塔頭 その4
妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) その4 2009年1月12日訪問 妙心寺 塔頭 隣華院 玉鳳院と龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院の本派四庵以外の43の塔頭を南西、北西、北東、南東そして一条通の北側の5つのエリアに分けて見て行く。 北西エリア14大通院 天正14年(1586) 開山 南化玄興 妙心寺58世 開基 一柳直末15春光院 天正18年(1590) 開山 猷山景嘉 妙心寺113世 開基 堀尾吉晴16麟祥院 寛永10年(1633) 開山 碧翁愚完 開基 春日局17智勝院 慶長 2年(159… ►続きを読む
妙心寺 塔頭 その3
妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) その3 2009年1月12日訪問 妙心寺 塔頭 徳雲院 山門への参道 玉鳳院と龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院の本派四庵以外の43の塔頭を南西、北西、北東、南東そして一条通の北側の5つのエリアに分けて見て行く。 南西エリア06慈雲院 承応 2年(1653) 開山 湛月紹円 妙心寺194世 開基 橘屋新兵衛 一空覚心居士07退蔵院 応永11年(1404) 開山 無因宗因 妙心寺3世 開基 波多野重通08天授院 康暦 2年(1380) 開山 授翁宗弼 妙心寺2世09徳雲院 永正 3年(1506… ►続きを読む
妙心寺 塔頭 その2
妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) その2 2009年1月12日訪問 妙心寺 塔頭 東海庵 方丈玄関 次に妙心寺9世雪江宗深の4人の弟子、景川宗隆、悟渓宗頓、特芳禅傑、東陽英朝の4庵、すなわち龍泉庵、東海庵、霊雲院そして聖澤院を見て行く。 02龍泉庵 文明13年(1481) 開山 景川宗隆 妙心寺10世) 開基 細川政元03東海庵 文明16年(1484) 開山 悟渓宗頓 妙心寺11世04霊雲院 大永 6年(1526) 開山 大休宗休 妙心寺25世 勧請開山 特芳禅傑 妙心寺12世05聖澤院 大永 3年(1523) 開山 天… ►続きを読む
妙心寺 塔頭
妙心寺 塔頭(みょうしんじ たっちゅう) 2009年1月12日訪問 妙心寺 塔頭 玉鳳院 衡梅院を出て、非公開の塔頭を巡る。最初は妙心寺創設の歴史に関わる玉鳳院である。 01 玉鳳院 暦応 5年(1342) 関山慧玄(妙心寺 1世) 開基 花園法皇01 玉鳳院 玉鳳院は妙心寺の開基である花園法皇を祀る塔頭であり、開山関山慧玄の開山堂・微笑堂がある。既に妙心寺 その3の項で記したように、文保2年(1318)持明院統の第95代花園天皇は皇位を大覚寺統の後醍醐天皇に譲る。院政は御宇多院が執ることとなる。花園院は現在の年齢に直すと11歳で即位し、20歳で退… ►続きを読む
妙心寺 衡梅院
妙心寺 衡梅院(こうばいいん) 2009年1月12日訪問 妙心寺 衡梅院 南庭 退蔵院の山門を出ると、再び朱塗りの三門が目に入る。勅使門、放生池、三門、仏殿そして法堂が一列に並ぶ妙心寺の主要伽藍を東に横切り、東海庵の豪華な唐門を眺めながら、右に曲がり再び衡梅院の山門前に戻る。 妙心寺 衡梅院 山門本山四派創源雪江禅師塔所の石碑が建つ 妙心寺 衡梅院 方丈玄関と庫裏 妙心寺 衡梅院 長法庵へと続く中門 衡梅院は文明12年(1480)に細川政元によって創建されている。開山は妙心寺中興六祖のひとり、妙心寺9世雪江宗深である。開基である細川政元については、既に大心院の項で… ►続きを読む
妙心寺 退蔵院 その3
妙心寺 退蔵院(たいぞういん) その3 2009年1月12日訪問 妙心寺 退蔵院 余香苑 前回の訪問の時に確認ができなかった方丈南庭を眺める。恐らく瓢鮎図の複写画と元信の庭に気を取られていたために、記憶に残っていなかったのであろう。今回の訪問が冬であったためか、工事中であるためなのかは分からないが、苔地が剥がれ地肌が表われているものの、拝観の栞に記されている通り、 南庭は一面の苔に松樹一本を植えるのみで背景には、椿、かなめ等常緑樹が植えられている。 であった。確かに見落としてしまうほど地味な南庭である。そのためか、わざわざ南庭と書いた小さな木札が立てられている。 妙心寺 退… ►続きを読む
妙心寺 退蔵院 その2
妙心寺 退蔵院(たいぞういん) その2 2009年1月12日訪問 妙心寺 退蔵院 庫裏へのアプローチ 大心院を後にして、通年公開されている最後の塔頭である退蔵院を目指す。東海庵と玉鳳院の間を進むと、正面に衡梅院が現れる。今回、衡梅院も第42回京の冬の旅の非公開文化財特別公開で公開されているが、後で訪れることとする。ここを右に曲がると、法堂と仏殿が見える。退蔵院はその先に並ぶ朱塗りの三門の西側にある。前回訪問した際には、元信の庭に気を取られたためか、帰った後で確認すると方丈南庭を撮影した写真がなかった。今回は前回に撮影できていなかった場所を中心に見て行くこととした。 妙心寺 退蔵院 … ►続きを読む
妙心寺 大心院
妙心寺 大心院(だいしんいん) 2009年1月12日訪問 妙心寺 大心院 切石の庭 奥に祖堂が見える 桂春院の山門を出て、再び法堂を目指して進む。途中には大雄院、養徳院、蟠桃院、海福院そして雑華院の山門が並ぶが、いずれも開門しているものの非公開のため中に入ることはできない。雑華院の山門の斜め前には妙心寺の小方丈の山門があるようだ。さらに南に進むと、東に入る路地を越えた先に東海庵と大心院の山門が向かい合うように建てられている。 妙心寺 大心院 右側 妙心寺 大心院 前庭と方丈 大心院は、室町時代の文明11年(1479)あるいは明応元年(1492)に、足利幕府管領の細川政元… ►続きを読む