文書と写真・地図による「記憶」の再現

タグ:町並み

貴船

 

貴船(きぶね) 2010年9月18日訪問 貴船の町並み 前項では鞍馬という地名について書いてきた。この項では明治以降の山城国愛宕郡の変遷を辿りながら貴船の地名について調べてみる。 平安時代中期に作られた辞書「和名類聚抄」には全国の国名・郡名とともに郡内の郷についての記述がある。山城国は、乙訓(於止久)、葛野(加止乃)、愛宕(於多岐)、紀伊(岐)、宇治(宇知)、久世(久世)、綴喜(豆々岐)そして相楽(佐加良加)の8郡で構成されている。()内は訓であり愛宕は「あたご」ではなく「おたぎ」と呼んでいたことがわかる。さらに郡内には、蓼倉郷(多天久良)、栗野郷(久留須乃)、上粟田郷(阿波多)、大野郷、下粟田郷、小野郷(乎乃)、錦部郷(尓之古利)、八坂郷(也佐加)、鳥戸郷(止利倍)、愛宕郷(於多木)、出雲郷(以… ►続きを読む

 

鞍馬

 

鞍馬(くらま) 2010年9月18日訪問 貴船口 梶取橋と貴船神社の鳥居 2010年1月17日分の最後として冷泉家を書き上げたことで、2009年の晩秋から冬にかけての京都訪問をやっと終了した。その後BIGLOBEウェブリブログの大幅な仕様変更に伴い、徘徊の記憶の調整と新しいブログ 徘徊の記憶│Haikai no kiokuの立ち上げに1年近い時間を費やしてしまった。やっと立ち上がった徘徊の記憶│Haikai no kiokuも、実はまだまだ修正しなければならない所が山積みになっている。しかし修正ばかりを行なっていル訳にもいかないので、修正作業を継続しながら新たな投稿も行なっていくこととした。 ということで、ここからは2010年9月の3日間の訪問を書いていくこととする。今回の訪問地は今まで行くことのできなか… ►続きを読む

 

南千住 小塚原 その4

 

南千住 小塚原(みなみせんじゅ こづかはら)その4 2018年8月12日訪問 南千住 小塚原 回向院  南千住 小塚原 その3では、江戸時代に行われた刑罰の説明、処刑の準備から実施、遺骸の処理作業の説明、そして刑場とは関係ないものの同時代に作られた小塚原の火葬寺について記した。この最後の項では明治時代を迎えた小塚原の変遷とこの地に埋葬された人々の数について書いていくつもりである。 慶応4年(1868)4月11日、徳川慶喜が水戸へ退去し、江戸が無血開城する。将軍警護のために結成した彰義隊は、慶喜のいない上野の山に駐屯を続ける。大總督府は江戸からの旧幕府勢力の一掃を目指し、同年5月14日輪王寺宮公現親王に東叡山に籠る賊の討伐を告げる。翌15日の朝から始まった新政府軍の攻撃により上野戦争が開戦する。戦前に… ►続きを読む

 

南千住 小塚原 その3

 

南千住 小塚原(みなみせんじゅ こづかはら)その3 2018年8月12日訪問 南千住 小塚原 日光街道  南千住 小塚原 その2では、小塚原に刑場ができた経緯から、その構成について書いてきた。この項では江戸時代に行われた刑罰の説明、処刑の準備から実施そしてその後にある遺骸処理作業について見て行く。 南千住 小塚原 日光街道 南千住 小塚原 奥の細道 矢立初の芭蕉像 足立区 南千住 小塚原 松尾芭蕉像 荒川区  刑場で執行される刑罰を説明する前に、徳川幕府の刑法の在り方を理解しておく必要がある。江戸時代初期の刑罰には、戦国時代の残酷刑の影響が強く残っていた。つまり見せしめを狙った威嚇的で弾圧的なものが多かった。さらに刑法は奉行の裁断一つに任すという不文法主義を採用していた。過去の判例から刑罰を決めるのではな… ►続きを読む

 

南千住 小塚原 その2

 

南千住 小塚原(みなみせんじゅ こづかはら)その2 2018年8月12日訪問 南千住 小塚原 千住宿 本陣跡  南千住 小塚原では、早々からコツ通りに引っかかってしまった。ここからは小塚原に刑場ができるまでの経緯から書き始める。 千住大橋の南側、小塚原町に御仕置場が創設されたのは寛文7年(1667)とされている。黄木土也氏の「小塚原刑場史 その成立から刑場大供養まで」(新風舎 2006年刊)によれば、もともと徳川家康入府前の江戸には本町四丁目に刑場があった。この本町四丁目とは、現在の日本橋本町二丁目から三丁目、すなわちコレド室町の東側で福徳神社を含む現在再開発が行われている地域で東京でも最も賑やかな街の一つである。その当時、江戸を統治していたのは後北条氏であった。戦国時代後期から関東に大きな勢力を築… ►続きを読む

 

南千住 小塚原

 

南千住 小塚原(みなみせんじゅ こづかはら)2018年8月12日訪問 南千住 小塚原 日光街道 コツ通り  夏休みの特集として南千住の小塚原と回向院を取り上げます。この夏は非常に暑く遠出ができないと考え、近場で史蹟見学を行いました。回向院には既に数回訪れていましたが、写真も撮影していなかったので、この機会にしっかりと調べてみるつもりで出かけました。ただし拝観時間が16:30までと予想以上に早かったために、一日目は半分も見ることが出来ずに退去しました。拝観時間については回向院の公式HP(http://ekoin.fusow.net/ : リンク先が無くなりました )にも記述がありませんので皆さん注意しましょう。お寺の方に言われたように、山門前の荒川区の駒札には、ちゃんと明記されています。そう言えば確か前にも… ►続きを読む

 

小川

 

小川(こかわ)2010年1月17日訪問 小川 小川町通寺之内の西北角に残された百々橋の礎石 左端に宝鏡寺の建物が見える  水火天満宮の南に広がる扇町児童公園は、天神公園として地元の人々の憩いの場となっている。堀川通を通る京都市営バスの停留所名も天神公園前とあるので、こちらの名の方が通りが良いのかもしれない。この公園の南東角より小川通に入る所、すなわち小川通上御霊前通の交差点の南西側にも小さな空き地がある。遊具が置かれているので、こちらも公園なのであろう。町名は上京区禅昌院町で、本法寺前町と百々町を加えると上御陵前通と寺之内通の間の小川通の両側町となる。なんとなく不自然に余った空間に見える公園から南側を眺めると一直線に空地が続いている。これがかつての小川の名残である。 小川は、「日本歴史地名大系… ►続きを読む

 

嵯峨野の町並み その9

 

嵯峨野の町並み(さがのまちなみ)その9 2009年12月20日訪問 2009年12月20日訪問 嵐山花灯路2009 落柿舎  貞和3年(1347)に夢窓疎石が裏書したことにより、「大井郷界畔絵図」は天龍寺と臨川寺が対立することなく、臨川寺領を維持できるようにその寺領を朱線で囲んで示したことが分かる。その寺領はかつての河端殿だけではなく、南は大堰川の右岸、西は法輪寺橋、北は造路、東は造路が分岐する先までと描かれている。つまり東南隅に臨川寺領、南西隅から北西隅に天龍寺領、そして東北隅から中心にかけてが釈迦堂領と大覚寺領という構成になっている。このように絵図に描かれている範囲が「亀山殿近辺指図」より広がっていることは、臨川寺の寺領を絵図内に収める目的はあったものの、嵯峨の開発が一層進展した結果でも… ►続きを読む

 

嵯峨野の町並み その8

 

嵯峨野の町並み(さがのまちなみ)その8 2009年12月20日訪問 2009年12月20日訪問 嵐山花灯路2009 常寂光寺  嵯峨野の町並み その6では、平安時代初期の嵯峨野の開発と嵯峨院などの建立の経過について、そして葛野郡、乙訓郡、紀伊郡、愛宕郡の4郡の条里プランについて考えてきた。さらに、嵯峨野の町並み その7では、「延喜式」より平安京の条坊地割を導き出し、上記4郡の条里プランの上に乗せてみた。また嵯峨野の6ヶ里の地割だけが西側に16度傾いていることを示し、その理由と変更時期について考えた。 この項では鎌倉時代初期から室町時代初期にかけての嵯峨野における条里プランと景観の変遷について見て行くこととする。  「平安京-京都 都市図と都市構造」(京都大学学術出版会 2007年刊)の第7章… ►続きを読む

 

嵯峨野の町並み その7

 

嵯峨野の町並み(さがのまちなみ)その7 2009年12月20日訪問 2009年12月20日訪問 嵐山花灯路2009 大沢池  長岡京から平安京に遷都が決まると、4郡の条里プランの上に新たな40丈=400尺単位の条坊が作られることとなった。平城京の条坊が180丈と大きかったのに対して平安京では40丈とかなり小さくなっている。この条坊の大きさ以外にも2つの都城には大きな違いがあった。平安京の条坊が40丈の宅地部分に大路・小路の道路幅を足し合わせる形で作られている。つまり28丈の幅を持つ朱雀大路の西側に40丈の宅地があり、その西側に4丈の西坊城小路が作られている。朱雀大路の中心から西坊城小路の中心までは28/2+40+4/2の56丈となる。 これに対して平城京の大路・小路の中心線間を180丈に定め… ►続きを読む

 

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