今宮神社
今宮神社(いまみやじんじゃ) 2008年05月19日訪問
正伝寺を出て、再び神光院前の停留所へ戻る。西賀茂の公共交通での移動は、市営バスと京都バスに頼るほか無い。京都バスの高野車庫―市原は本数も少ないため、時間が合わない限り使用できないことを考えると、神光院前の停留所から市営バス1、9、37号などに乗車することとなる。そのため西賀茂の社寺を巡るためには、神光院を中心にして徒歩で廻るしかない。今回は神光院前から、市営バス1号に乗車し南に下る。6つ先の佛教大学前停留所で下車し、今宮通を東に進むと北側に今宮神社の楼門が現れる。
今宮神社は旧社格では府社で、その祭神は大己貴命、事代主命、奇稲田姫命の3柱。摂社疫神社の祭神は素盞鳴尊。今宮神社の建つ紫野は、平安京の大内裏に接した船岡山の東北にあたり、昔から洛北七野(内野・北野・平野・萩野・蓮台野・紫野・上野)の一つとして数えられていた。そのため朝廷の禁野として御猟又は遊覧の野原であったと伝えられている。平安建都以来、都市としての成長は遂げてきたが、京の町の人々は疫病や災厄に悩まされてきた。当時の人々は、天変地異を御霊の所業と考えていたため、御霊を鎮めるための儀礼として御霊会が行われた。貞観5年(863)神泉苑では、早良親王、伊豫親王、藤原吉子、藤原仲成、橘逸勢、文室宮田麻呂の六つの御霊座が設けられ、御霊を鎮めるために花果が供えられ、読経をはじめ音楽や舞、雑技などが演じられたと言われている。早良親王については藤森神社で触れたように、桓武天皇が平安京に遷都する以前の長岡京造営に関わる暗殺事件の嫌疑がかけられ、淡路国に配流される途中で憤死している。なお菅原道真、吉備真備、井上皇后ら2霊を加えることによって八所御霊が生まれるのは、さらに先の事である。この神泉苑を始めとして祗園社、御霊社など各地で盛んに営まれ、今宮神社の紫野御霊会もその一つであった。
一条天皇の正暦5年(994)今宮神社の疫神を二基の神輿に齋いこめて船岡山に安置し、神慮を慰め奉って悪疫退散を祈っている。これが紫野御霊会であり今宮祭の起源であった。恐らく現在の摂社疫神社が、この時期には既に祀られていたのであろう。京中の老若男女は船岡山へ登り、桜や椿で飾った風流傘を中心に囃子に合わせて唱い踊り、病魔の依れる人形を難波江に流したといわれる。
平安時代、桜の散る頃になると疫病が流行したため、疫病退散を願い始まった「はなしづめ」「鎮花祭」の流れをくむ祭りであった。現在も今宮やすらい祭、玄武やすらい祭、川上やすらい祭が4月第二日曜日に行われている。
この正暦5年(994)の御霊会の後も疫病が続き、長保3年(1001)一条天皇は御霊夢により、紫野の地に神殿と御神輿を作り、現在の祭神3柱を勧請している。そして新しい宮として社名を今宮とした。
今宮神社への朝廷の御崇敬は厚く、弘安7年(1284)後宇多天皇は正一位の神階を贈っている。また第12代将軍・足利義晴は社殿を修復し、豊太閤は聚楽第が今宮神社の産土地にあたることで、秀頼公の出生に当り、御旅所を再興し御幸道を改修し、神輿を寄進している。
第5代将軍・徳川綱吉の生母である桂昌院殿が、西陣の出身で産子であった。そのため元禄7年(1694)本殿摂社その他の殿舎の造営と四基の鉾の寄進を行っている。
明治29年(1896)本社殿を焼失するが、明治35年(1902)に再建しその後も西陣をはじめ多くの人々の崇敬を集めている。
今宮神社の境内には、素盞鳴尊を祀る疫神社の他にも、大将軍社、賀茂斎院(若宮社)、月読社、宗像社(別名を弁財天社)、地主社、日吉社、稲荷社、八社、織姫神社などの摂社・末社がある。安永9年(1780)に刊行された都名所図会の今宮社には、多くの摂社・末社が描かれている。詳しくは今宮神社の公式HPに掲載されている境内図をご参照下さい。境内南にある楼門から境内に入ると、まず参道は斜め北西に延び、その後北に向かう。この参道の正面に拝殿、その奥に本殿、そしてその西に疫社が並ぶ。楼門の東側にある池には橋が架けられ、その先には東門が建つ。摂社・末社は境内の西側に集中している。
大将軍社は、岡崎神社や西賀茂の町並みで触れたように、桓武天皇の平安遷都に際して都の四囲に祀った大将軍神社の北に設けた社である。もともと紫野大徳寺の門前にあったものを紫野大将軍社として今宮神社の境内に移している。
織姫神社は、織物の始祖とされる栲幡千千姫命を祀る社で、氏子の西陣機業者が勧請して祀ったもの。
神名の「栲」は、梶の木の皮の繊維で織った白色の布を指し、古より布の総称としても用いられている。「幡」は織物を意味し機織の功を称えた美称として使われ、「千千」は「縮」に通じて織地の精巧さにも通じている。
社殿前には「阿呆賢さん」あるいは「重軽石」と呼ばれる神占石がある。軽く手のひらで三度石を打ち持上げると大変重くなり、再度願いを込めて三度撫ぜて持ち上げる。軽くなれば願いが成就すると言い伝えられている。
有名な「あぶり餅」は今宮神社の門前で売られている。境内の東門を出ると一文字屋和輔とかざりやが軒を面して建つ。どちらの店舗も呼び込みを行っており、素通りが出来ない雰囲気を出している。今宮神社への参拝後は、無病息災を祈りあぶり餅を食べる風習が今も続いている。
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