文書と写真・地図による「記憶」の再現

岡崎神社



岡崎神社(おかざきじんじゃ) 2008年05月17日訪問

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岡崎神社 本殿

 御辰稲荷神社から丸太町通を平安神宮・神苑の鬱蒼とした森を見ながら東に進み、蒲生君平先生仮寓御趾の石碑前を過ぎる。丸太町通と白川通が交わる天王町の交差点の手前に、黒谷の南斜面から森が続くように木々の色が濃くなる場所がある。丸太町通に面した細い入口には石の鳥居が建ち、背の高い木々が並ぶ参道は奥に向けて少しづつ上り、岡崎神社の本殿へと導く。
 社伝によると延暦13年(794)桓武天皇の平安京遷都に際し、王城鎮護のため都の四方に建てられた社の一つとされている。東方を守護したころから東天王社と称したとされている。この東天王社は、現在の社地ではなく北白川の地で祀られたと考えられている。そして弘仁年間(810~824)の社殿の炎上後、貞観11年(868)改めて社殿を造営し播州広峰(兵庫県姫路市北方)から牛頭天王(素盞鳴命)を現在の社地に勧請している。この貞観11年は須賀神社の始まりとされている西天王社が創建された時期と一致している。

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岡崎神社 丸太通に建つ鳥居
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岡崎神社 参道

 創建については、この社伝以外にも陽成天皇の母である藤原高子は、元慶2年(878)この地に清和天皇の護願寺として東光寺を建立した。東天王社はその鎮守社として祀られたとも言われている。
 拾遺都名所図会には願成寺とともに東天王社が以下のように説明されている。
     祭神牛頭天王。華表の額正一位東天王と書す、いにしへは此地に東光寺といふあり、其伽藍神なり
     諸社根元記曰、祇園牛頭天王、初めは播磨の国明石の浦に垂迹し給ふ、又広峯にうつり、其後北白川東光寺にうつす

 室町時代の吉田神社の祠官・吉田兼右が著した諸社根元記の中に、祇園牛頭天王とあり八坂神社の創始と東光寺との関係が伺える。この桓武天皇が平安城の四方に将軍塚を築き、王城の鎮護を計った大将軍の社と牛頭天王奉斎については、戸原さんのHPで祇園信仰(https://vinfo06.at.webry.info/200905/article_13.html : リンク先が無くなりました )に詳しく記されているが、東光寺自体が下に記すように享禄4年(1531)の兵乱により廃絶したため、確認が出来なくなっているようである。

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岡崎神社 本殿
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岡崎神社 本殿

 平安時代前期から岡崎周辺は貴族の別業の地として知られている。東光寺も別業が寺院となったとされている。延喜5年(905)には定額寺となっている。定額寺とは、奈良・平安時代に官大寺、国分寺・国分尼寺に次ぐ寺格を有した仏教寺院としているが、その規定は明らかになっていない。ただし定額寺の多くは、元々皇族・貴族・豪族などが建立した私寺であったとされている。ただし、正暦元年(990)延暦寺妙香院が定額寺の指定を受けたのを最後としている。後の御願寺の原型となったと考えられている。
 その後、後醍醐天皇の厚い尊崇を受け、また室町幕府8代将軍足利義政による修造がなされるなど、朝廷や幕府の庇護を受けてきた。東光寺と東天王社は一体となり隆盛したと考えられているが、応仁の乱(応仁元年(1467)~文明9年(1477))で兵火を受けで炎上し東光寺は廃寺となり、東天王社のみが残る。更に享禄4年(1531)の兵乱で岡崎一帯が焼亡、東天王社も失われたが岡崎村の産土神として再建される。

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岡崎神社 能舞台

 本殿正面の手水舎には兎の像がある。古くから兎が氏神の使いと伝えられ、祭神が子宝に恵まれ子授けの神として祈願信仰が行われている。この岡崎の地は聖護院の森に連なり、野兎も多かったのだろう。兎は多産なことから、子授けにご利益があるともされている。
 治承2年(1178)中宮のお産の奉幣を賜ったことから安産の神として信仰されるようになっている。この中宮を藤原高子と記されているHPを多く見かける。東光寺の建立と混同しているように思える。高子は貞観8年(866)25歳で入内し女御となり、貞観10年(869)後の陽成天皇となる貞明親王を産む。貞観18年(876)の陽成天皇の即位に伴い、元慶元年(877)皇太夫人となり中宮職が付与されている。高子が東光寺を建立したのは、その翌年の元慶2年(878)であった。清和天皇は元慶3年(879)に出家し、翌4年(881)に崩御している。元慶6年(882)高子は皇太后の尊称を受けるが、寛平8年(896)東光寺の座主善祐と密通したという疑いをかけられ、皇太后を廃され、延喜10年(910)に没している。天慶6年(943)に皇太后に復位している。
 もし治承2年(1178)を信じるならば、藤原高子は250年前に没している。この年に生まれたのは高倉天皇の皇子で後の安徳天皇、中宮は平清盛の娘・平徳子、後の建礼門院である。徳子の懐妊が明らかとなると、朝廷は出産のための祈祷に明け暮れ、後白河も安産祈願に駆けつけている。その様子は中宮権大夫・中山忠親の山槐記に詳しく記されている。そして11月12日徳子は皇子・言仁親王を出産している。

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岡崎神社 雨ノ社

 境内には大文字山(如意ヶ岳)の山中にあった祠を移した全国にも珍しい雨ノ社がある。雨乞の神・進学の神として崇敬を集めている。そばに竜の池と竜泉庭園がある。

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岡崎神社

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No. 名称 緯度 経度
 岡崎神社 35.0171 135.7889

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