文書と写真・地図による「記憶」の再現

大徳寺 塔頭 その13



大徳寺 塔頭(だいとくじ たっちゅう)その13 2009年11月29日訪問

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大徳寺 塔頭 正受院

 大徳寺の発展の歴史に沿って、その塔頭の成立について、大徳寺の塔頭 その2から大徳寺の塔頭 その12まで、長々と書いてきた。最後に、江戸時代から明治初年にかけて大徳寺塔頭の変遷について纏めてみる。
 江戸時代に入り、元和元年(1615)大徳寺は徳川家康より2011石の御朱印を得ている。この石高は南禅寺、相国寺、東福寺、妙心寺などの京都の本山寺院の中でも最高額であった。この年の7月に大徳寺領諸塔頭配分支配目録を金地院以心崇伝及び京都所司代板倉勝重に提出している。これによると大徳寺領が1268石7斗9升6合4夕6才、寮舎が121石4斗8升2合、此外御改分が620石6斗9升6合2夕の3つに分類され、その合計は2010石9斗7升4合6夕6才であった。
 竹貫元勝氏の「紫野 大徳寺の歴史と文化」(淡交社 2010年刊)には各塔頭や寮舎の石高が記されているので、これを記すことで江戸時代初期の大徳寺及びその塔頭の顔ぶれと共に規模が分かるであろう。

     大徳寺領   1268石7斗9升6合4夕6才
     方丈       42石5斗3升1合8夕1才
     龍翔寺      63石5斗1升4合  5才
     徳禅寺       9石5斗1升2合
     如意庵      17石1斗8升8合
     大用庵      16石6斗2升3合6夕6才
     真珠庵      67石8斗2升9合
     松源院      10石8斗2升7合
     養徳院      41石6斗9升5合1夕
     龍源院      37石8斗4升5合
     大仙院      90石
     興臨院      22石2斗5升1合2夕
     瑞峯院      54石3斗5升7合
     聚光院      42石8斗9升7合
     総見院     200石
     黄梅院      34石2斗5升7合
     天瑞院     200石
     三玄院      93石4斗7升5合
     正受院      60石1斗4升4合
     大慈院      65石4斗8升3合
     高桐院      61石7斗1升6合2夕
     玉林院      31石7斗2升6合3夕
     昌林院       5石  1升

     寮舎      121石4斗8升2合
     龍泉軒      20石4斗3升9合
               四派の内為るに依って、此の如し
     玉雲軒      16石2斗2升6合
               出世衆輪番処為るに依って、此の如し
     臨流軒      12石9斗2升
               心溪宗安(136世)長老私領
     真常軒       2石5斗2升
               琢甫宗璘(149世)長老私領
     碧玉軒      37石1斗3升
               籃溪宗瑛(152世)長老私領
     傳叟紹印長老    9石2斗7升5合
               傳叟紹印(150世)
               無寮舎と雖も、長老為るに依って
               此の如し
     清泉寺      22石9斗7升2合
               伏見ヨリ引き移しに依って、此の如し

     此外御改分支配 620石6斗9升6合2夕
     常住      300石6斗9升6合2夕
     大光院      80石
     金龍院      80石
     龍光院      80石
     芳春院      80石

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大徳寺 塔頭 三玄院

 江戸幕府は寛永9年(1632)に各本山に対して末寺帳の提出を命じているが、大徳寺の末寺帳を確認することはできない。大徳寺の末寺を知る資料としては、延亨2年(1745)と天明7年(1787)の江戸中期から後期にかけての末寺帳を確認する他はない。
 延亨2年(1745)の末寺帳は、「禅宗済家城州龍宝山大徳禅寺派下寺院本末牒」と称する。この時、大徳寺は「御朱印弐千拾壱石」と先の元和元年(1615)に徳川家康より得た2011石から変動がなかったようだ。また、末寺は「弐百八拾寺」と記している。この末寺帳では、「塔頭弐拾四宇」と「准塔頭五拾九宇」としている。それぞれを書き上げると下記のようになる。

     塔頭二十四宇

     准塔頭五十九宇

 白字は現在の大徳寺に残る塔頭である。現在の別院2、塔頭22と比較すると龍翔寺と来光寺の名が見当たらないことに気がつく。末寺帳では、龍翔寺は大徳寺兼帯としている
 延亨2年(1745)の末寺帳には、大徳寺の末寺についても触れている。25ヶ国に広がる末寺280宇、その末寺の塔頭134ヶ院も書き上げられている。25ヶ国とは、常陸、下総、武蔵、相模と関東圏から始まり、伊豆、美濃の東海道、飛騨から越前などの諸国。伊勢、伊賀、近江、大和、山城、摂津、和泉、丹波、但馬、播磨、周防と近畿圏から山陽道に面した国々、そして九州に渡り筑前、豊前、豊後、肥前そして壱岐に至る。これらの諸国に均等に末寺が造られたわけではなく、所在末寺が一ヶ寺という国もある。また中世には末寺が存在していたが、近世に入りその存在が確認できなくなったものある。いずれにしても末寺は、その地域の権力者との結びつき(菩提所)によって開創された例も多いことより、大徳寺の布教状況を現わすものでもある。その点から見ても、京都を中心とする近畿圏を中核とし、東は東海、西は九州の北部まで、そして北は飛騨を経由して日本海側まで影響範囲を広げていたことが分かる。
 大徳寺の末寺には所管する本山塔頭が定められていた。上記の塔頭二十四宇の内、末寺を所管した塔頭は17塔頭(上記准塔頭を含む)で、四派に分類すると下記のようになる。

     真珠派 真珠庵
     龍泉派 龍泉庵
     南 派 黄梅院 正受院 金龍院 昌林院 碧玉庵
     北 派 大仙院 三玄院 高桐院 玉林院 龍光院
         芳春院 瑞源院 寸松庵 孤篷庵 大源庵

 真珠派は6、龍泉派は55、南派は22、そして北派は182であった。左の合計は265寺と280寺にはならないが、北派が圧倒的に多いことが分かる。

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大徳寺 塔頭 大仙院

 延亨2年(1745)の末寺帳「禅宗済家城州龍宝山大徳禅寺派下寺院本末牒」から約40年を経た天明7年(1787)にも末寺帳が纏められている。ここでは「禅宗済家大徳禅寺派下寺院本末牒」と「大徳寺山内並派下寺院廃壊帳」がある。ここでは、「塔頭弐拾四宇」「末寺塔頭百三十四ヶ院」は変わらないものの「准塔頭六拾五宇」「末寺二百八十六宇」といずれも6宇増えている。
 また「大徳寺山内並派下寺院廃壊帳」には准塔頭四十一宇、末寺百十八宇、合わせて百五十九宇を廃壊していることが分かる。この内准塔頭の四十一宇は下記の通りである。

     松源院裏 天澤院
     真珠庵裏 長雲軒 秀斎  里庵
     龍源院裏 長松軒 参雨軒 龍福院 東旭庵 品光庵
     興臨院裏 點碧軒 可庵
     威徳院裏 宿芦軒
     瑞光院裏 覚心庵 心水軒 花月軒
     黄梅院裏 自休軒 昨夢斎 意作軒 不尽亭 焉庵
     見性院裏 自南軒 桂林庵
     清泉寺裏 竹隠軒 耕雲軒 湘南軒
     大慈院裏 聨芳軒 頓庵
     碧玉庵裏 明月軒
     高桐院裏 意北軒 達磨堂
     金龍院裏 旅庵  遠塵軒
     昌林院裏 閑田庵
     龍光院裏 置安軒 佐入庵
     寸松庵裏 為隣軒 引清軒
     芳春院裏 通玄庵
     大源庵裏 似則軒
     龍泉庵裏 春光庵 空明庵

 大徳寺が廃壊帳を作成し幕府に提出したのは、将来の復興を意図したためである。廃壊した寺は将来の再興を考え、田畑などへの転用を行わずに寺跡として遺さなければならないと第153世澤庵宗彭は述べている。

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大徳寺 塔頭 聚光院

 明治時代に入り、仏教諸宗派にとって大いなる変革期を迎えることとなった。
 明治元年(1868)に神仏判然令が出される。最初は、神社において僧侶が社務に携わることを禁止し、神宮寺などの社僧に対して僧位・僧官を返上させ俗に還していた。やがてこの動きが、全国の寺院、仏像そして経典などの破棄につながって行く。多くの寺院で破壊が行われ、仏像や経典そして仏具が奪われ売却されていった。特に明治3年(1870)から同12年(1879)にかけて、本寺あるいは法類寺院に仏像や経典を合付し、建物を処分する寺院が多く現れた。これらにより文化財の海外を含めた散逸や毀損が取り返しのつかない状況まで進んだことは明らかである。
 明治元年(1868)寺院は自らの寺領を民政役所に届け出るようになる。この変更により、寺院は最寄りの府県に支配されるようになる。そして明治4年(1871)境内地を除く田畑・山林そして墓地以外の不毛地までも収公する上知令が出される。さらに明治8年(1875)従来の境内地でも、新たに境内地として公認されない土地については上知されることになる。これらは新政府の財源を確保するための地租改正の一環として行われてきた。これにより境内地の9割を失う禅刹まで出ている。

 上記のように神仏判然令によって神仏分離を行った明治政府は、明治5年(1872)神祇省を廃止し新たに教部省を設けている。これは国民教導とともにキリスト教蔓延に備える宗教政策でもある。この新たな管理体制により、禅宗は臨済宗、曹洞宗、黄檗宗を一つの宗派として取扱い、一人の官長のもとに統括されるようになる。初代官長は臨済宗天龍寺派大本山天龍寺の滴水宣牧であった。明治7年(1874)に禅宗は臨済宗と曹洞宗に分かれ、2年後の明治9年(1876)も臨済宗から黄檗宗が分離独立している。また同年に天龍寺相国寺建仁寺東福寺、建長寺、円覚寺、大徳寺妙心寺が分離し、各々の官長を置くことが可能となった。
 以上のように大徳寺を含む禅宗は大きな変革が迫られている。まず上知令により、境内地以外の膨大な寺領を失っている。これらは朱印状によって安堵された土地であり、御朱印高の多寡を競い合ってきた寺院にとっての一番大切な経済的基盤でもあった。この部分が祭祀に必要な土地でないという判定により、寺院から切り離されることにより、従来型の教団経営方法の継続は全く不可能となった。さらに開基檀越等の資助も、新たな政策によって断ち切られることとなったため、塔頭は堂宇の維持のために、自ら取畳、合併、切縮を行わなければならない状況に至った。

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大徳寺 塔頭 真珠庵

 大徳寺の塔頭 その11で述べたように、明治11年(1878)3月11日に、第471世牧宗宗壽と塔頭総代の玉林院住職能見山宗竺が京都府知事槇村正直宛に「合併切縮之儀ニ付御伺」を提出している。この時に塔頭13ヶ寺の合併、4ヶ寺の切縮、残りの20ヶ寺を永続塔頭としている。「合併切縮之儀ニ付御伺」に附けられた「別紙」の「合併寺院ノ記」によると、
     天瑞寺ヲ 本寺大徳寺ェ 合併
     総見院ヲ 本寺大徳寺ェ 合併
     金龍院ヲ 龍源院ェ   合併
     泰勝庵ヲ 高桐院ェ   合併
     清源庵ヲ 大光院ェ   合併
     寸松庵ヲ 龍光院ェ   合併
     看松庵ヲ 龍光院ェ   合併
     昌林院ヲ 黄梅院ェ   合併
     松源院ヲ 徳禅寺ェ   合併
     龍翔寺ヲ 養徳院ェ   合併
     清泉寺ヲ 三玄院ェ   合併
     大源庵ヲ 三玄院ェ   合併
     高林庵ヲ 芳春院ェ   合併

     龍源院切縮御願
     興臨院切縮御願
     聚光院切縮御願
     大仙院切縮御願

     三玄院元龍翔寺へ引移御願

とある。これにより、永続塔頭として残ったのは下記の20ヶ寺である。

     大徳寺 徳禅寺 正受院 瑞峰院 大慈院
     黄梅院 龍光院 養徳院 玉林院 高桐院
     大光院 芳春院 孤篷庵 真珠庵 雲林院
     龍源院 興臨院 聚光院 大仙院 三玄院

 これより明治初年に廃壊された塔頭は、下記の通りである。これを含めた1寺(大徳寺)32塔頭が廃壊直前の大徳寺の姿であったことが分かる。

     天瑞寺 総見院 金龍院 泰勝庵 清源庵
     寸松庵 看松庵 昌林院 松源院 龍翔寺
     清泉寺 大源庵 高林庵

 この後、総見院と龍翔寺が廃壊を逃れ再興している。また如意庵と龍泉庵が復興され、門外塔頭の雲林院と同じく来光寺が加わり、現在は下記の24塔頭となっている。

     徳禅寺 正受院 瑞峰院 大慈院 黄梅院
     龍光院 養徳院 玉林院 高桐院 大光院
     芳春院 孤篷庵 真珠庵 雲林院 龍源院
     興臨院 聚光院 大仙院 三玄院 総見院
     龍翔寺 如意庵 龍泉庵 来光寺

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大徳寺 大徳寺山内図

「大徳寺 塔頭 その13」 の地図


大きな地図



大徳寺 塔頭 その13 のMarker List

No. 名称 緯度 経度
01  大徳寺 徳禅寺 35.0419 135.7467
02  大徳寺 正受院 35.043 135.7451
03  大徳寺 瑞峯院 35.0421 135.7453
04   大徳寺 大慈院 35.0417 135.7451
05  大徳寺 黄梅院 35.0417 135.7456
06   大徳寺 龍光院 35.0419 135.7434
07   大徳寺 養徳院 35.0414 135.7468
08   大徳寺 玉林院 35.0424 135.7431
09  大徳寺 高桐院 35.043 135.7432
10   大徳寺 大光院旧地 35.0432 135.7419
10   大徳寺 大光院 35.0415 135.7435
11  大徳寺 芳春院 35.0451 135.7451
12  大徳寺 孤篷庵 35.0431 135.7399
13  大徳寺 真珠庵 35.0443 135.7464
14  大徳寺 雲林院 35.0403 135.7477
15  大徳寺 龍源院 35.042 135.7461
16  大徳寺 興臨院 35.0424 135.7453
17  大徳寺 聚光院 35.044 135.7451
18  大徳寺 大仙院 35.0445 135.7457
19   大徳寺 三玄院旧地 35.0432 135.7445
19  大徳寺 三玄院 35.0432 135.7454
20  大徳寺 総見院 35.044 135.7446
21   大徳寺 龍翔寺旧地 35.0432 135.7454
21  大徳寺 龍翔寺 35.0438 135.7433
22   大徳寺 如意庵 35.0444 135.7452
23   大徳寺 龍泉庵 35.0447 135.7447
24   大徳寺 来光寺 35.0444 135.7415
25   大徳寺 松源院旧地 35.0413 135.7461
26   大徳寺 大用庵旧地 35.0439 135.7464
26   大徳寺 大用庵旧地2 35.0411 135.7461
27   大徳寺 玉雲軒旧地 35.0428 135.7455
28   大徳寺 東林庵旧地 35.0451 135.7463
29   大徳寺 清泉寺旧地 35.0444 135.7452
30   大徳寺 養華院旧地 35.0446 135.7448
31   大徳寺 常楽庵旧地 35.0424 135.7442
32   大徳寺 威徳院旧地 35.0447 135.7436
33   大徳寺 雑華院旧地 35.0448 135.7429
34   大徳寺 天瑞寺旧地 35.0439 135.7433
35   大徳寺 碧玉庵旧地 35.0439 135.7411
36  大徳寺 寸松庵旧地 35.0434 135.7393
37  大徳寺 梅巌庵旧地 35.0434 135.7393
38  大徳寺 瑞源院旧地 35.0435 135.7414
39   大徳寺 正宗庵旧地 35.0426 135.7406
40   大徳寺 昌林院旧地 35.0424 135.745

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