徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

カテゴリー:200805

炭屋旅館 その2

 

炭屋旅館(すみやりょかん) 2008/05/14訪問 炭屋旅館 安宅 次の間から客室ドアを眺める  本日泊まった部屋は「安宅の間」、能の安宅から名付けられた客室である。玄関から客室をつなぐ廊下を進むと中庭が現れる。さらに進むと照明も明るく、新しく作られた部分に入る。安宅の間はこの増築部分の1階にある。 炭屋旅館 安宅 客室ドア 炭屋旅館 安宅 炭屋旅館 安宅  部屋の開き戸を開けると、板の間の踏込みがある。正面の壁に和風の照明器具が設けられ、比較的明るい。天井は部屋内方向へ渡された丸材の竿縁天井となっている。さらに細い角材を横方向にも流しているため、狭い空間ではあるが密… ►続きを読む

 

炭屋旅館

 

炭屋旅館(すみやりょかん) 2008/05/14訪問 炭屋旅館 玄関  錦市場を出て、御幸町通を北上し、三条通に入る。三条麩屋町通の角にある あぶらとり紙のよーじや三条店をのぞく。新しいお店と思っていた よーじやも明治37年(1904)に六角御幸町あたりに国枝商店という屋号で店を開いたのが始まりと聞く。この数年の人気の盛り上がりは別としても長く女性に愛されてきた店であることは確かである。 炭屋旅館 三条通からの眺め 炭屋旅館 麩屋町通の外観 炭屋旅館 玄関  三条通の町並みを眺めた後、本日の宿へと麩屋町通を南に入る。  俵屋や柊屋と比較して、炭屋の旅館としての歴史はそれ… ►続きを読む

 

錦市場 その2

 

錦市場(にしきいちば) 2008/05/14訪問 錦市場 有限会社 魚力 焼き魚  錦市場は鎌倉時代以降は商工業街として発展した。室町時代には、酒屋をはじめとする多種多様な職種が存在した。しかし文明年代(1469~1486)に応仁の乱により錦小路も衰退する。再興されたのはおよそ100年後の天正年代(1573~1593)のことであった。 錦小路が魚鳥の市場となったのは豊臣秀吉の天下統一後と考えられている。この地の人口が多いこと、御所への納入が容易であったこと、そして清く冷たい地下水が涌き出ることが、この地に市場が生まれるもととなっている。 錦市場の公式HPによると本格的な魚市場となったのは… ►続きを読む

 

錦市場

 

錦市場(にしきいちば) 2008/05/14訪問 錦市場 打田漬物商工業株式会社 京漬け物  四条堺町通の市原平兵衞商店から四条通を越え、堺町通を北に進むとすぐに京の台所、錦市場のアーケードに当たる。昭和38年(1963)に京都錦市場商店街振興組合が設立し、現在では寺町通から高倉通までの全長390メートルの道沿いに生鮮食品を中心とした約130の店舗が並ぶ。 東側は寺町に始まり、西は大宮西入るまでの部分に道が作られたのは延暦年代(782~806)のことだと言われている。もと具足を売る店が並んでいたため、具足小路と呼ばれていた。その後訛って、くそ小路と呼ばれたこともあったらしい。  宇治拾遺… ►続きを読む

 

市原平兵衞商店

 

市原平兵衞商店(いちはらへいべえしょうてん) 2008/05/14訪問 市原平兵衞商店  四条烏丸の交差点から四条通を徒歩で東へ進む。堺町通を南に曲がった右手に市原平兵衞商店がある。ここへは何回も訪れているにもかかわらず、毎回柳馬場通から高倉通の間を迷って歩くこととなる。どうも四条通の曲がり角のイメージが記憶に残っていないようだ。  市原平兵衞商店は、創業明和元年(1764)のお箸の専門店である。かつては御所に出入りしていた御箸司であり、今でも一流料理人や料亭から支持される老舗である。東京の百貨店の催事でも何回か来ているため、東京でもある程度名前が知られていると思う。 店の外観はごくごく… ►続きを読む

 

唐長

 

唐長(からちょう) 2008/05/14訪問 唐長 ポストカード  妙心寺の北総門の前にある市バス 妙心寺北門前停留所から市バス26号に乗車し、四条烏丸へ向かう。一条通を東に進み、馬代一条で南に折れる。市立大将軍小学校と京都府立医大の間を再び東に進むと西大路通に出る。西大路通を右折して四条通まで南下する。四条通を東に進み、四条烏丸で市バスを下車する。妙心寺を出たのが16時前だったので、およそ30分で四条烏丸についたこととなる。 唐長 説明書 唐長  四条烏丸の交差点の東南角に複合商業施設cocon烏丸がある。この京都のオフィス街の中心地に丸紅ビルが建設されたのが昭和13年(1… ►続きを読む

 

妙心寺 退蔵院

 

妙心寺 退蔵院(みょうしんじ たいぞういん) 2008/05/14訪問 妙心寺 退蔵院 余香苑  妙心寺の塔頭である退蔵院は三門の西側にある。 応永11年(1404)越前の豪族 波多野重通は、深く帰依していた妙心寺第三世住持 無因宗因を開山として千本通松原に退蔵院を創建する。 応永6年(1399)守護大名の大内義弘が室町幕府に対して反乱を起こし、堺に籠城するという応永の乱が起こる。3代将軍足利義満は有力守護大名の弱体化と将軍家への権力の集中を図るため、守護大名の相続問題への介入や討伐を積極的に行ってきた。応永の乱により大内義弘は討死、大内氏は政治的影響力を失うこととなった。妙心寺第6世住… ►続きを読む

 

妙心寺

 

臨済宗妙心寺派大本山 妙心寺(みょうしんじ) 2008/05/14訪問 妙心寺 三門  仁和寺の二王門を潜り、きぬかけの道に出る。龍安寺方向にきぬかけの道を戻ると、仁和寺の東南の角で一条通に当たる。この一条通を東に進むと京福電鉄北野線の踏切と妙心寺駅に出会う。そのままさらに進むと右手に妙心寺の北総門が現れる。 妙心寺 仏殿  妙心寺は臨済宗妙心寺派大本山で山号は正法山。 平安京の北西部に12町の敷地を占め、三門、仏殿、法堂などの中心伽藍と共に山内塔頭36箇院を持つ大寺院である。この他にも龍安寺などの境外塔頭10箇院を加え、現在妙心寺の塔頭は46箇院に及ぶ。また日本の臨済宗寺院 約6… ►続きを読む

 

仁和寺

 

真言宗御室派総本山 仁和寺(にんなじ) 2008/05/14訪問 仁和寺 御殿北庭  再び北野天満宮の一の鳥居を潜り、今出川通に出る。北野天満宮前停留所から市バス10号に乗り、10分ほどで6つ先の御室仁和寺に着く。 仁和寺は真言宗御室派総本山で山号は大内山。平成6年(1994)に世界遺産に登録される。 仁和寺 二王門 仁和寺 参道と中門 仁和寺 五重塔 仁和寺 五重塔 相輪部分  仁和寺は光孝天皇の勅願で仁和2年(886)に建立が始められた。 北野天満宮の項で触れたように、元慶8年(884)藤原基経によって陽成天皇が廃位された後に光孝天皇は即位する。天長7年(83… ►続きを読む

 

北野天満宮

 

北野天満宮(きたのてんまんぐう) 2008/05/14訪問 北野天満宮 三光門  とようけ茶屋の前の今出川通を横断すると北野天満宮の一の鳥居が目の前に迫ってくる。 北野天満宮 一の鳥居 北野天満宮 参道 北野天満宮 三の鳥居越しの楼門  北野天満宮の祭神は菅原道真公である。相殿に道真の長男・中将殿(高視)、夫人の吉祥女を祀る。梅宮大社や八坂神社と同じ二十二社の下八社の一社で、旧社格では官幣中社。  菅原道真の大宰府への配流やその後の怨霊話しは有名であるが、改めてまとめてみる。 道真は承和12年(845)父 菅原是善、母 伴氏の三男として生まれる。菅原氏は野見宿禰を先祖と… ►続きを読む

 

とようけ茶屋

 

とようけ茶屋 (とようけちゃや) 2008/05/14訪問 とようけ茶屋 看板  龍安寺の山門を出て、きぬかけの道に戻ったのは11時45分。この近くで昼食を摂り、仁和寺、妙心寺方向に向かうことも考えたが、観光客も多いので、一度北野白梅まで戻ることとした。龍安寺前の停留所から市バス59号に乗り、4つ目の金閣寺道で下車する。ここから市バス101号に乗り換え3つ目の停留所である北野天満宮前で下車する。この間30分程度であった。目の前には北野天満宮の大鳥居が見える。今出川通を挟んで北野天満宮に面する とようけ茶屋で本日の昼食を頂く。 とようけ茶屋 北野天満宮の正面  とようけ茶屋は京豆腐の… ►続きを読む

 

龍安寺

 

臨済宗妙心寺派 龍安寺(りょうあんじ) 2008/05/14訪問 龍安寺 方丈庭園  鹿苑寺の黒門を出て、金閣寺前の停留所から京都市営バス59号に乗り、きぬかけの道を西に向いおよそ10分くらい進む。3つ先の龍安寺前で下車し、参道を北に入っていくと龍安寺の山門が現れる。総門は龍安寺前の停留所より南側にあるため、きぬかけの道によって境内を分断された形となっている。山門潜ると左手に鏡容池が広がる。 龍安寺 龍安寺前停留所 龍安寺 総門内の境内  鹿苑寺は臨済宗妙心寺派寺院で山号は大雲山。平成6年(1994)に世界遺産に登録される。  永観元年(983)円融天皇はこの地に円融寺を勅願… ►続きを読む

 

鹿苑寺

 

臨済宗相国寺派 鹿苑寺(ろくおんじ) 2008/05/14訪問 鹿苑寺 鏡湖池と舎利殿  荷物は今夜泊まる旅館に送って頂く事として、女将のお見送りを受けて柊家を後にする。この日は北山の鹿苑寺を初めとして竜安寺、北野天満宮、仁和寺そして妙心寺を廻る予定を組んでいる。いずれも有名な場所であるため修学旅行客を避けることは出来ないと覚悟している。 鹿苑寺 金閣寺道の入口 鹿苑寺 参道 鹿苑寺 新緑の参道  9時30分に京都市役所前停留所から北大路バスターミナルを経由する京都市営バス205号に乗車する。金閣寺道は21番目の停留所となる。真直ぐ河原町通を北に進み、賀茂川を葵橋で渡る… ►続きを読む

 

柊家 その4

 

柊家(ひいらぎや) 2008/05/13訪問 柊家 抹茶と特製銘菓 朧月  部屋に入るとすぐに抹茶が用意される。お菓子は三日月状した薄茶の皮に白い斑の砂糖?をまぶした様はその名のとおり朧月である。中は粒餡が入っている。食べるとほのかに生姜が利いている。こちらも柊の印が入っているので柊家の特製菓子となっている。こちらは加賀屋清和で作られているが、今はお店は閉められていて買うことが出来ないようだ。このあたりのことは、「fran」さんのブログ「まねきねこ」に書かれているのでそちらをご参照ください。そちらに掲載されている写真を見るとお菓子の名称も特製であることが分かる。 柊家 夕食 1… ►続きを読む

 

柊家 その3

 

柊家(ひいらぎや) 2008/05/13訪問 柊家  床の間の窓側には洗面所が作られている。 柊家 洗面台 柊家 洗面台 いろいろなものが並ぶ 柊家 洗面台の左半分 柊家 洗面台の右半分 柊家 洗面台に置かれていた説明書 柊家 洗面台に置かれていた美しいシルエットの腰掛と洗面具  ホテルでも使われる新しい洗面セットが置かれている。洗面台の上には各種のアメニティグッズが置かれている。その他にシャンプーとトリートメントの説明書きが置かれている。確かに見たこともないシャンプーを使用するのには抵抗がある。そのような気持ちに対する配慮とともに、これもまたひとつの… ►続きを読む

 

柊家 その2

 

柊家(ひいらぎや) 2008/05/13訪問 柊家 32号室  今回柊家で宿泊した部屋は、鍵に書かれた名称によると32号室とある。麩屋町通から西方向へ玄関を入り、「来者如歸」の額のかかる間に上がる。そこから北側に伸びる廊下の右手側の部屋であったので、部屋の窓先は麩屋町通に面した塀となる。 柊家 客室玄関 この部分は比較的新しい造りとなっている 柊家 客室玄関 棚と冷蔵庫 柊家 客室玄関 冷蔵庫置き場 ミニチュアボトルと腰壁のスクラッチタイルに時代を感じる 柊家 客室玄関 冷蔵庫の上にはワインオープナーまで用意されている 柊家 客室扉  板張りの廊下から部屋の… ►続きを読む

 

柊家

 

柊家(ひいらぎや) 2008/05/13訪問 柊家 姉小路側から眺める  表千家 裏千家が並ぶ小川通から本法寺の境内を通り抜け、堀川通に出る。裏千家の茶道総合資料館の前を過ぎ、堀川寺ノ内の停留所から市バスに載り、堀川丸太町に向う。ここで市バスを乗り換え、京都市役所前で下車する。今朝コインロッカーに預けた荷物を引き出し、今夜泊まる柊家へ向う。 柊家 御池通の角 柊家 御池通側から眺める 柊家 玄関以外にも建物へ入る木戸がいくつか見られる 柵は開けられるようにできている 柊家 玄関玄関脇の木戸 こちらは勝手口のようだ  柊家は御池通から麩屋町通へ入る西の角に位置する。… ►続きを読む

 

表千家と裏千家

 

表千家と裏千家(おもてせんけとうらせんけ) 2008/05/13訪問 表千家 表門は文政5年(1822)紀州家よりの拝領  百々橋の礎石が保存されている寺之内通小川の先には、表千家と裏千家が並ぶ。 元亀4年(1573)織田信長によって足利義昭が京都から追放され室町幕府が崩壊する。利休が信長の茶堂となった正確な時期は分からないが、天正元年(1573)頃には信長に仕えていたと考えられている。信長は茶の湯を嗜むだけではなく、茶の湯を政略的に利用した。特に茶器の蒐集に力を入れ、手柄を立てた家臣には恩賞として名物の茶器が与えられた。領国や禄など有限の資産ではなく、信長により無形の価値が茶器に付与さ… ►続きを読む

 

百々橋

 

百々橋(どどばし) 2008/05/13訪問 百々橋の礎石 寺之内通小川  足利将軍室町第址の碑み右手に見ながら、室町通を北へ入る。2本目の通り右に曲がると烏丸通に面した大聖寺門跡の山門が角に見える。義満の正室の叔母にあたる日野宣子は、無学祖元の弟子・意翁円浄に参禅し、貞治7年(1368)に出家して、大聖院無相定円尼と号した。将軍義満は安禅所として室町邸内に建てられた岡松殿に無相定円尼を迎えた。永徳2年(1382)57歳で亡くなると,その遺言に従い岡松殿を法名にちなんで大聖寺とした。創建以来、応仁の乱等の兵火に度々遭い移転を重ね、長谷(現在の岩倉長谷街)から、文明11年(1479)毘沙門… ►続きを読む

 

足利将軍室町第址

 

足利将軍室町第址(あしかがしょうぐんむろまちていあと) 2008/05/13訪問 足利将軍室町第址 今出川通から室町通に入る北東の角に建つ  京都御苑を今出川門から出て、烏丸今出川の交差点を渡る。今出川通から室町通に入る北東の角に大正4年(1915)京都市教育会が建立した碑が立っている。ここには      「従是東北 足利将軍室町第址」 と記されている。ここが室町幕府 花の御所の西南の角に当たる。  足利幕府の将軍の邸宅がどのように変遷して行ったかについては、「はむはむ」さんのブログ(http://djungarian.typepad.jp/weblog/2007/03/post_b… ►続きを読む

 
 

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