徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

カテゴリー:200805

京都御苑

 

京都御苑(きょうとぎょえん) 2008/05/13訪問 京都御所 皇后門と西面  京都御所の参観後、京都御苑内を散策しながら、烏丸今出川の方向へ向かう。 京都御苑 西園寺邸跡 京都御苑 西園寺邸跡に建つ白雲神社 もとは邸内にあった社 京都御苑 白雲神社  幕末の京都御所周辺の状況は、国際日本文化研究センターに保管されている文久3年(1863)に作られた内裏圖を見ることで想像できる。この内裏圖の外周部には北に今出川通、南に丸太町通、西に烏丸通、東に寺町通が描かれている。現在の京都御苑の外郭線を収めた図であることが分かる。この地域の大部分の土地が公家の屋敷によって占められて… ►続きを読む

 

京都御所 その2

 

京都御所(きょうとごしょ) 2008/05/13訪問 京都御所 御池庭  京都御所の主だった建物については、その1で記したので、参観順路に従いそれ以外のことを含めて見て行く。参観者は清所門から中に入り、そのまま南に進んだところにある参観者休所で、事前のビデオを見て開始時刻を待つ。 京都御所 宣秋門 京都御所 宣秋門の装飾  参観者休所を出ると右手に宣秋門が現れる。この門は5月15日に行われる葵祭りの際、御所から出発する隊列が通る順路となっていることで有名である。もともと宮家、摂家その他の公卿が参内する時に用いられた門であることから公卿門とも呼ばれている。また檜皮葺き、切妻屋根… ►続きを読む

 

京都御所

 

京都御所(きょうとごしょ) 2008/05/13訪問 京都御所 承明門から紫宸殿を眺める  昼食を終え、再び烏丸丸太町の交差点に戻ったのが13時近かった。仙洞御所の参観と同様、13時20分までに清所門に到着しなければならない。京都御苑の中でも北よりなので、地下鉄烏丸線で1駅先の今出川駅で下車して歩くこととした。烏丸通沿いの乾御門より京都御苑に入り御所の清所門を目指す。 京都御所 月華門から日華門を眺める  元々平安京の皇居は、朝堂院の北東に隣接する内裏であった。内裏の規模は南北300メートル、東西220メートルと少し小さなものであった。当時の内裏の紫宸殿の回廊の南正面にあった承明門… ►続きを読む

 

丸太町十二段家

 

丸太町十二段家 (まるたまちじゅうにだんや) 2008/05/13訪問 丸太町十二段家 丸太町通に面した店の外観  仙洞御所の見学を終え、大宮御所の正門から外に出たのが11時45分。次の京都御所の参観は13時30分から。まだ1時間30分あるので、昼食のため下立売門より京都御苑の外に出る。烏丸通を南に下り、烏丸丸太町の交差点を西に入ったところに丸太町十二段家がある。こちらの店のメニューには元祖お茶漬け と 牛肉のしゃぶしゃぶ、そしてビーフステーキが並べられている。旅館の夕食と朝食は比較的しっかりしたものが出るので、旅先での昼食はそれほど重いものでない方が良いかと思いこの店のお茶漬けを選んだ… ►続きを読む

 

仙洞御所 その2

 

仙洞御所(せんとうごしょ) 2008/05/13訪問 仙洞御所 南池の洲浜  仙洞御所の北池に続き南池とともにこの庭園を造営させ、おそらく自分の好みに変更させた後水尾上皇と徳川幕府について書いていく。 仙洞御所 八ツ橋と洲浜 仙洞御所 八ツ橋からもみじ橋を眺める  しかし慶長8年(1603)徳川家康が征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開くと情勢に変化が出た。徳川幕府は、京都を離れ東の江戸で権力基盤の形成を行った。室町幕府以降秀吉まで政権を京都あるいは大阪に置き朝廷の距離をなるべく近づけていたのに対して、徳川幕府は一定の距離を朝廷との間にとる政策に変更してきた。そして権威の抑制をは… ►続きを読む

 

仙洞御所

 

仙洞御所(せんとうごしょ) 2008/05/13訪問 仙洞御所 北池  閑院宮邸を出て、京都御苑の中を仙洞御所に向かう。11時からの参観であるため、10分前までに大宮御所の正門に到着しなければならない。閑院宮から大宮御所へは早歩きでも10分以上かかる。正門で出力した参観許可通知を見せると門内の参観者休所に導かれる。こちらでロッカーに荷物を入れ、仙洞御所の紹介ビデオを見ながら参観開始時刻を待つ仕組みになっている。 仙洞御所 北池への潜戸  皇居・桂離宮・修学院離宮・京都御所、そして仙洞御所の参観は事前に宮内庁に申し出なければならない。以前に訪れたときは、往復葉書のみだったが、現在はW… ►続きを読む

 

京都御苑 閑院宮邸

 

京都御苑 閑院宮邸(きょうとぎょえん かんいんのみやてい) 2008/05/13訪問 閑院宮邸 中庭  新島襄旧邸の前の寺町通をそのまま南に下るとすぐに丸太町通に出る。右に曲がり、京都御苑沿いに歩くと富小路口の門が現れる。ここから御苑内に入り、御苑の南西角にある閑院宮邸まで歩く。苑内は砂利敷きとなっているのでなかなか歩きにくい。その上、目標が見えていてもなかなか近づいて行く感触が沸かない。私たちの暮らしている町並みとはスケールが違い、感覚が合わないためだろう。九条池を過ぎ、やっと閑院宮邸の門が見えた。 国際日本文化研究センターに所蔵されている文久3年(1863)に作成された内裏図によると… ►続きを読む

 

新島襄旧邸

 

新島襄旧邸(にいじまじょうきゅうてい) 2008/05/13訪問 新島襄旧邸  梨木神社の鳥居をくぐり、清和院御門の前の広場に再び出る。寺町通を南下する。右手は京都御苑の清和院駐車場が細長く続く。駐車場のさらに奥は仙洞御所である。単調な景色が続くので、府立鴨沂高等学校の角で左に入り、寺町通の一本東の新烏丸通を南下する。 ところで旧九条殿河原町邸はどこにあったのだろうか?九条殿は、閑院宮とともに御所内の南西にあったが、河原町邸は別のものと思われる。鴨川に架かる丸太町橋の西詰めに、昭和7年(1932)京都鴨沂会が創立60周年を記念して建てた碑が現在も残っている。この碑より、“本邦高校女学校之… ►続きを読む

 

梨木神社

 

梨木神社(なしのきじんじゃ) 2008/05/13訪問 梨木神社 拝殿  廬山寺から寺町通に出て、南に下るとほどなく京都御苑の清和院御門が現れる。梨木神社の鳥居は清和院御門の手前右手にある。 梨木神社 清和院御門脇の鳥居 梨木神社 二の鳥居  梨木神社の祭神は三條実萬と三條実美の父子である。三條実美を祀る神社ということから明治以降に創建された新しい神社であることが分かる。梨木神社の公式HPによると明治18年(1885)に三條実萬を祭神として旧邸の地名 梨木町にちなみ、現在の地に梨木神社として創建された。三條実美が第二座の祭神として合祀されたのは大正4年(1915)の大正天皇即… ►続きを読む

 

廬山寺

 

天台系圓浄宗大本山 廬山寺(ろざんじ) 2008/05/13訪問 廬山寺 源氏庭 中央の石が紫式部邸宅址の碑  ウェスティン都ホテル京都をチェックアウトし、荷物を持って地下鉄東西線蹴上駅へ向かう。京都市役所前で下車し、荷物を駅構内のコインロッカーに入れ、地上に出る。京都市営バスに乗り、3つ目の府立医大病院前で下車する。廬山寺の山門はこの河原町通沿いにはない。一本西側の寺町通にあるため、府立文化芸術会館の角を左に折れると正面に京都御苑への入口と梨木神社の鳥居が見える。寺町通に入り北に200メートルくらい上ると右手に廬山寺の山門が現れる。 廬山寺 南の山門 廬山寺 北の山門 拝観者… ►続きを読む

 

祇園・先斗町の町並み

 

祇園・先斗町の町並み(ぎおん・ぽんとちょうのまちなみ) 2008/05/12訪問 祇園  都ホテルから三条通を西に歩き、鴨川を渡り、橋詰を南に下ると先斗町に入り込む。夕食の店を探しながら細い道を2往復した。夕食後、祇園界隈を散策する。 先斗町 三条橋から鴨川沿いの川床を眺める 先斗町 先斗町 先斗町 先斗町 先斗町 石畳の道は細いが行き交う人は多い 先斗町 先斗町 先斗町 先斗町 先斗町 川床納涼床は5月から始まる 先斗町 四条橋より川床を眺める  先斗町は鴨川と木屋町通の間にある花街で、町と付くが正式な地名ではない… ►続きを読む

 

佳水園 その4

 

ウェスティン都ホテル京都 佳水園(かすいえん) 2008/05/12訪問 佳水園 客室  ウェスティン都ホテル京都の公式HP(http://www.westinmiyako-kyoto.com/guest/kasui.html : リンク先が無くなりました )を見ると2009年6月現在、数寄屋風別館 佳水園の客室数は20室で、一室あたりの料金が設定されている。部屋の大きさが異なるため室料金も一律でない。またこの料金には食事が含まれていないらしいが、4室限定で一泊2食付サービスが受けられるように説明している。そして以下のような記述が付け加えられている。     ご滞在中は、「佳水園」専用の… ►続きを読む

 

佳水園 その3

 

ウェスティン都ホテル京都 佳水園(かすいえん) 2008/05/12訪問 佳水園 フロント横の応接と棚  ウェスティン都ホテル京都は、平成14年(2002)に、スターウッド・ホテル&リゾートと提携し、ウェスティンブランドに入ったが、現在もホテル名称に残っているように都ホテルズ&リゾーツの旗館であった。ちなみに村野の初期の名作 志摩観光ホテルも系列ホテルの1つである。 佳水園 エントランス 佳水園 エントランス  三条古川町の油商 西村仁兵衛が、明治23年(1890)に華頂山の中腹の7万坪近い敷地に「吉水園」という貸し席を開いたのが都ホテルの始まりである。本… ►続きを読む

 

佳水園 その2

 

ウェスティン都ホテル京都 佳水園(かすいえん) 2008/05/12訪問 佳水園  佳水園 その1で触れたように、佳水園には2つの庭がある。ひとつは小川白楊が作庭した岩肌を利用した庭。そしてもう一つは村野藤吾が佳水園を設計した際に作庭した白砂の庭。この2つの庭がどのようにして作られたかについては、ウェスティン都ホテル京都の公式HPより、京都市都市緑化協会のまとめた 京の庭 庭園紹介の方が詳しい。 佳水園 本館側のファサード 佳水園 地下部分の壁面  小川保太郎 白楊は7代目の小川治兵衛の長男である。父である7代目小川治兵衛が73歳と比較的長寿だったのに対して、石造品や石の扱い… ►続きを読む

 

佳水園

 

ウェスティン都ホテル京都 佳水園(かすいえん) 2008/05/12訪問 佳水園  神泉苑の押小路通の門から出て堀川御池の交差点に向けて歩いていくと、交差点の手前に市営地下鉄東西線の二条城前駅がある。ここから東西線に乗車し、六地蔵方面行きで5番目の駅 蹴上で下車する。地上に出るとほぼ目の前にウェスティン都ホテルのエントランスが現れる。 都ホテル新館と佳水園の設計者は村野藤吾である。  昭和4年(1929)独立し、村野建築事務所を開設した時は38歳であった。独立後すぐに森五商店東京支店(昭和6年(1931))、そごう百貨店大阪本店(昭和10年(1935))、宇部市民館(昭和12年(1937… ►続きを読む

 

神泉苑

 

真言宗東寺派 神泉苑(しんせんえん) 2008/05/12訪問 神泉苑 法成就池にかかる法成橋  二条城の東大手門を出て、東南隅櫓を見ながら押小路通を西に300メートル進むと左手に町屋の並びの中に塀で囲まれた木々の多い一角が現れる。ここが神泉苑の押小路通側の門となる。 神泉苑 法成就池の北側 神泉苑 法成就池に浮かぶ竜頭鷁首の舟  神泉苑は平安京が作られたときに、大内裏の南東に接するように造営された禁苑、すなわち天皇のための庭園であった。当初の敷地はWikipediaの平安京を見れば分かるように、北は二条大通、南は三条大通、東は大宮大路そして西は壬生大路に囲まれた広大な敷地を… ►続きを読む

 

二条城

 

二条城(にじょうじょう) 2008/05/12訪問 二条城 二の丸御殿車寄  平安神宮神苑の出口は平安神宮 神楽殿の脇にある。応天門をくぐり冷泉通を東に進むと岡崎道に行き当たる。平安神宮神苑の東神苑の塀を左手に見ながらしばらく北へ歩いていくと丸太町通に出る。京都市バス 岡崎道停留所からバスに乗り、丸太町通を西へ移動する。堀川丸太町通で下車して南に下ると二条城の正門前に出る。 二条城 東南隅櫓  二条城と呼ばれるものは、歴史書において複数現れてくる。朱雀大路が廃れた後、二条通は都一の大路となり、足利尊氏から義満まで3代の将軍が二条に屋敷を構えるようになった。そのため将軍家の屋敷は「二… ►続きを読む

 

平安神宮神苑

 

平安神宮神苑(へいあんじんぐうしんえん) 2008/05/12訪問 平安神宮神苑 臥龍橋  平安神宮神苑への入口は、白虎楼の翼廊にある。一歩くぐり戸の中に入ると、大都市の中心にある庭と思えないほどの自然と静けさが満ち溢れている。神苑は築庭からまだ百年程度の庭であるが、樹木や池泉は完全に自然の一部となっている。 平安神宮神苑 入口  約10,000坪の神苑は4つの庭に分かれる。拝観順路に従うと大極殿の東側の南神苑から西神苑へ、そして西側の中神苑から東神苑の順に巡ることとなる。この4つの庭にはそれぞれ池泉があり、異なった性格に仕上げられている。この庭は七代目小川治兵衛が明治28年(18… ►続きを読む

 

平安神宮

 

平安神宮(へいあんじんぐう) 2008/05/12訪問 平安神宮 大極殿 手前に龍尾壇が見える  満願寺から冷泉通を西に歩き平安神宮の東南角に出る。文子天神の後ろにクレーンが見えているように、このあたりはマンションあるいは宿泊以外の目的のホテルが建ち並び、東山側の邸宅、別荘、企業・団体の保養所ということから変わりつつあるようだ。 旧社格は官幣大社、勅祭社。現在は神社本庁の別表神社。 平安神宮 応天門 平安神宮 応天門より見た大鳥居  京都にとって平安神宮は新しく造られた神社といっても良いだろう。平安神宮の公式HP(http://www.heianjingu.or.jp/01/… ►続きを読む

 

満願寺

 

日蓮宗 満願寺(まんがんじ) 2008/05/12訪問 満願寺 山門  白河院から1ブロック、北西100メートルの場所に満願寺がある。ここは観光寺ではなく、自由に境内に入れる。山門をくぐると正面に大きな本堂があり、その本堂の前左手に文子天神、右手に閼伽井がある。 山門を見れば分かるように満願寺の山号は示現山、日蓮宗に属する寺院である。 寺伝によると天慶3年(940)多治比文子が菅原道真の霊夢を感じ、北野朝日寺の僧最珍を開基に請じて西ノ京北町に堂宇を建立し、道真自作の天満自在天像を安置したことに始まる。 満願寺 文子天神  多治比文子は生年も没年も不詳の平安時代中期の女性である。童女… ►続きを読む

 
 

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