文書と写真・地図による「記憶」の再現

カテゴリー:200805

近江屋跡 その3

 

近江屋跡(おうみやあと) その3 2008年05月18日訪問 近江屋跡 坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地の碑  再び話しを坂本龍馬と近江屋に戻す。 慶応3年(1867)11月15日を再現してみる。  近江屋跡 その2で触れたように越前藩から帰京した龍馬は、河原町三条の酢屋へ戻る。材木業を営む酢屋は、角倉家より高瀬川の木材独占輸送権を得ていたことより、伏見・大坂への連絡や高瀬川沿いの各藩邸へ折衝の拠点とするには適していた。海援隊京都本部が酢屋に置かれたことで、陸奥宗光、長岡謙吉等数多くの土佐藩士が投宿している。その後、土佐藩邸と河原町通を挟んだ場所で醤油商を営む近江屋・井口新助邸へ移る。この時期龍馬は風邪をひき、床に伏せていたようで、11月15日も近江屋の2階奥座敷で火鉢で暖を取っていた。現在の河原… ►続きを読む

 

近江屋跡 その2

 

近江屋跡(おうみやあと) その2 2008年05月18日訪問 近江屋跡 坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地の碑  船中八策の全てが龍馬のアイデアではない。文久2年(1863)幕府総裁職に就任した松平春嶽のために、横井小楠が幕政改革の方針を国是七条により定めている。船中八策はこの国是七条に強い影響を受けている。そして龍馬も推奨した公議会論は慶応4年(1868)越前藩士由利公生による五箇条の御誓文の草案へとつながっていく。現在、船中八策の作者が坂本龍馬であること事自体にも疑いが持たれている。確かに龍馬の手による船中八策が発見されていないため証明することはできない。そういう意味でも、この時代のある範囲の人々、例えば松平春嶽、横井小楠そして赤松小三郎などが共有していた徳川幕府から移行すべき理想的な新政府像の… ►続きを読む

 

近江屋跡

 

近江屋跡(おうみやあと) その1 2008年05月18日訪問 近江屋跡 河原町通に面して碑が建つが足を止める人は少ない  壬生寺から坊城通に出て、北に進む。坊城通と四条通の角にある隼神社・元祇園梛神社の向かい壬生寺道停留所から市バスに乗車する。四条通を東に走り、四条烏丸で下車し、室町通に建つホテルに向かう。再び夕食と夜の京を徘徊するため、河原町から祇園の方向に徒歩で行く。 河原町通の西側の歩道を四条通の交差点から北に進むと、坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地の碑が建つ。以前訪れた時は、京阪交通社の営業所であった。この日は既にシャッターが閉まっていたので、まだ営業していたか分からなかった。その後この建物の1階にはサークルKが入っている。 坂本龍馬と中岡慎太郎が近江屋で襲撃されたのは、慶応3年(1867… ►続きを読む

 

壬生寺

 

律宗別格本山 宝憧三昧寺心浄光院(壬生寺(みぶでら)) 2008年05月18日訪問 壬生寺 本堂  現在の壬生寺は、律宗別格本山の寺院である。律宗とは戒律の研究と実践を行う仏教の一宗派であり、日本での律宗は、天平勝宝5年(753)鑑真が6度の航海の末に、唐から招来し東大寺に戒壇を開き、聖武上皇、称徳天皇を初めとする人々に日本で初めて戒律を授けたことに始まる。後に唐招提寺を本拠として南都六宗の一つとして今日まで続いているが、平安時代以降平安京を中心に栄えた平安二宗(天台宗・真言宗)とは異なるため、京都の寺院の中でも珍しい存在となっている。なお、壬生寺は通称で、寺号を宝憧三昧寺、院号を心浄光院という。  寺伝によると、園城寺の快賢僧都が正暦2年(991)仏師定朝作の三尺の地蔵菩薩半跏像を本尊とし… ►続きを読む

 

八木邸

 

八木邸(やぎてい) 2008年05月18日訪問 八木邸 京都鶴屋 鶴寿庵の奥に八木邸の長屋門が見える  京福電鉄嵐山本線の踏み切りを越え、坊城通と綾小路通の角には新選組の屯所として使われた旧前川邸が残されている。その先に京都教育会が昭和6年(1931)に建立した新選組遺蹟が現れる。 八木家の始祖である朝倉氏は但馬国朝倉(兵庫県養父郡朝倉庄)に発している。鎌倉時代初期に朝倉高清の次男・重清が八木庄に入り、八木安高を名乗っている。その後、承久の乱(承久3年(1221))で鎌倉幕府に加勢したことにより一族は興隆する。八木家の宗家となる朝倉高清から7代後の朝倉広景が越前朝倉を興す。八木氏も越前を経て天正年間(1573~1593)頃に洛西壬生村に居を構えている。江戸時代に入り十家程の郷士と共に、壬生村… ►続きを読む

 

旧前川邸

 

旧前川邸(きゅうまえかわてい) 2008年05月18日訪問 旧前川邸  壬生の町並みで触れたように、浪士組が京に着くと更寉寺、新徳禅寺、壬生村会所、南部亀次郎邸、中村小藤太邸、四出井友太郎邸、八木源之丞邸、浜崎新三郎邸、柳恕軒邸、百姓玖太郎邸、百姓新三郎邸の11軒に分宿している。この宿割には旧前川邸が含まれていないが、八木邸には近藤たち10名が宿泊している。旧前川邸の公式HPでは、浪士組の宿舎を選定するに当たって、市中情勢にも詳しく役人の信頼も厚かった前川本家に任されたとしている。前川本家は油小路六角にあり、御所や所司代の掛屋であった。公金の出納や資金運用の仕事など現在で言うところの金融業とマネージメント業を兼ねた業務を行っていたのであろう。そのため奉行所や所司代との関係が密接なものであった… ►続きを読む

 

壬生の町並み

 

壬生の町並み(みぶのまちなみ) 2008年05月18日訪問 壬生の町並み 民家の屋根に見かけた鍾馗様と仁丹の町名表示板  鳥羽殿跡から再び城南宮を経由し、城南宮道を東に進み、市営地下鉄烏丸線竹田駅に向かう。この間徒歩でほぼ30分近い。この竹田の地は、鳥羽街道、京阪国道、阪神高速8号京都線、近鉄京都線、竹田街道、京阪本線、JR奈良線、伏見街道と南北への移動は容易だが、東西を結ぶ公共交通機関は少ないのでただひたすら歩くしかない。鳥羽殿跡を出たのが15時30分頃だったので、壬生寺を目指して市内に戻ることとしたが、この城南の地にある安楽寿院などの鳥羽殿に関連する史跡を巡ったほうが効率的であったかも知れない。交通の便かを考えると再びこの地を訪れるのはなかなか難しいように感じる。 壬生の町並み 隼神社・元… ►続きを読む

 

鳥羽殿跡

 

鳥羽殿跡(とばどのあと) 2008年05月18日訪問 鳥羽殿跡 千本通の向こう側に建つマンション群が見える  秋の山のある鳥羽離宮跡公園の南には大きなグランドが現れる。この地の地下には鳥羽離宮南殿の遺構があることを記した京都市の看板がフェンスに掛けられ、鳥羽殿跡の碑が建つ。 鳥羽離宮は12世紀から14世紀頃まで代々の上皇により使用されてきた院御所である。敷地面積約180町(180万平方メートル)には南殿・北殿・泉殿・馬場殿・田中殿などの御所が建設されると、寺院や広大な池を持つ庭園も築かれる。さらに院の近臣をはじめとする貴族から雑人に至る宅地が、鳥羽殿周辺に与えられたため、あたかも新しい都が出現したかのようだった。この鳥羽殿は白河上皇(天喜元年(1053)~大治4年(1129))による南殿建設… ►続きを読む

 

秋の山

 

秋の山(あきのやま) 2008年05月18日訪問 秋の山 丘の上に残る鳥羽伏見戦跡碑  小枝橋からつながる城南宮道から30メートルくらい南に鳥羽離宮公園がある。周りの平坦な地形の中で少し盛られたような秋の山と呼ばれる場所がこの公園の北側にある。安永9年(1780)に刊行された都名所図会にも秋山として残されている。     「小枝橋半町ばかり南にして、茶店の向ふなり。鳥羽法皇城南離宮を営給ひし時、四季の風景をつくり、紅葉を多く植させ給ふ所を秋の山といふ、今纔の岡山遺れり」 秋の山  確かに人工的な構築物のように見える。紅葉する木々が植えられたことから秋の山とされていることからも、当時から景勝の地で茶店もあったのだろう。 やはり同じ都名所図会の城南神社の図会にも見られるように鳥羽街道より小高く、木… ►続きを読む

 

小枝橋 その2

 

小枝橋(こえだばし) その2 2008年05月18日訪問 小枝橋 秋の山にある鳥羽伏見の戦勃発の地小枝橋の碑にある地図  前述の野口武彦氏の「鳥羽伏見の戦い」によると、下記のような軍配書に従って1月3日の進軍が行われていたことが分かる。 1 鳥羽街道 竹中丹後守 攻撃当朝鳥羽に出張、東寺に向かひ候こと  秋山下総守歩兵一大隊(第五連隊) 小笠原石見守歩兵一大隊(伝習第一大隊)  谷土佐守 桑名四中隊 松平右近将監(浜田藩) 2 伏見 城和泉守 攻撃前日出張のこと  窪田備前守歩兵一大隊(第十二連隊) 大沢顕一郎歩兵一大隊(第七連隊) 間宮銕太郎 新選組150人 3 二条御城 大久保主膳正 攻撃前々日出張繰り入り候こと  徳山出羽守歩兵二大隊(第一連隊) 佐々木只三郎見廻組400人 本國寺組(水戸藩… ►続きを読む

 

サイト ナビゲーション

投稿カレンダー

2020年9月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930  

過去の記事

カテゴリー

最近の投稿

  • 梅宮社
    In 201001、京都洛北、徘徊の記憶
  • 蛍岩
    In 201001、京都洛北、徘徊の記憶
  • 鉄輪掛石
    In 201001、京都洛北、徘徊の記憶
  • 足酒石
    In 201001、京都洛北、徘徊の記憶
  • 鬼一法眼之古跡
    In 201001、京都洛北、徘徊の記憶
  • 石寄大明神
    In 201001、京都洛北、徘徊の記憶
  • 梶取社
    In 201001、京都洛北、徘徊の記憶
    梶取社(かじとりしゃ) 2010年9月18日訪問梶取社貴船神社一の鳥居と梶取橋鞍馬街道(府道38号 […]
  • 貴船
    In 201001、京都洛北、徘徊の記憶
  • 鞍馬
    In 201001、京都洛北、徘徊の記憶
  • ブログの引越しについて
    In 201001、京都洛中、徘徊の記憶
    ブログの引越しについて(ぶろぐのひっこしについて)徘徊の記憶│Haikai no […]