徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

カテゴリー:200805

池田屋騒動址

 

池田屋騒動址(いけだやそうどうのあと) 2008/05/15訪問 池田屋騒動址  三条通が高瀬川に交わる三条小橋から西に4軒目(空地があるので実質的には5軒目となる)、明治屋京都ビルディングの東隣の店先に池田屋騒動址の碑が建つ。訪問したときも店は閉じられ、管理地の看板が出ていた。確か以前訪れた時はパチンコ屋だったような記憶が残っている。碑のほかにも三条小橋商店街振興組合の設置した説明板が建てられていた。ここは現在、「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」となっていると聞く。なお店内には映画などの階段落ちのシーンで知られる7メートルの大階段とともに、東映の監修で当時の池田屋旅館の帳場が再現されている… ►続きを読む

 

本間精一郎遭難地

 

本間精一郎遭難地(ほんませいいちろうそうなんのち) 2008/05/15訪問 本間精一郎遭難地  四条通から高瀬川の流れを見ながら木屋町通を北に入る。三本目の橋が紙屋橋と呼ばれているように、高瀬川の西側は紙屋町、東側は下樵木町となっている。現在、紙屋橋の正面にはガレージと小さな木戸がある。その北側の小野という表札のかかる町家の脇に本間精一郎遭難地と書かれた碑が建つ。 本間精一郎は天保5年(1834)越後国三島郡寺泊で酢・醤油の醸造を営む「かくほん」という屋号の豪商の長男として生まれる。嘉永6年(1853)6月ペリーが4隻の軍艦を従えて浦賀に来航したのは、精一郎が20歳の時であった。 郷里… ►続きを読む

 

一保堂茶舗

 

一保堂茶舗(いっぽどうさほ) 2008/05/15訪問 一保堂茶舗 寺町通の店構え  京都御苑から寺町通を南に下ると、夷川通の先に一保堂茶舗の大きな建物が現れる。言わずと知れた日本茶の専門店である。まず贈答品でお茶となれば最初に思いつく店でもある。 一保堂が扱うお茶は、いわゆる京銘茶と呼ばれるものである。特に木津川、宇治川両水系の気候で栽培され、宇治発祥の宇治製法でつくられたお茶を中心としているため、穏やかな香りと上品な甘み、まろやかな味わいを特徴としている。お茶は自然の産物であるため、同じ産地でも年毎に異なる気候により茶葉の風味も変わる。そのため吟味して仕入れた茶葉でも1年を通して味が… ►続きを読む

 

瑞泉寺

 

浄土宗西山禅林寺派 瑞泉寺(ずいせんじ) 2008/05/15訪問 瑞泉寺 秀次の墓所  三条通から木屋町通に入った所に瑞泉寺がある。木屋町三条の歓楽街の真ん中にある寺院であるが、境内は嘘の様に静寂である。 瑞泉寺 関白の墓所とは思えないほど小さな山門 瑞泉寺 提灯には政権担当者の紋章である五七桐  天正14年(1586)豊臣秀吉は奈良の東大寺に倣い大仏建立を開始した。文禄4年(1595)には、ほぼ大仏殿方広寺が完成し高さ6丈(約18メートル)の木製金漆塗座像が安置された。しかし翌慶長元年(1596)畿内を襲った大地震のため大仏は大破、そして秀吉も慶長3年(1598)に死去す… ►続きを読む

 

高瀬川

 

高瀬川(たかせがわ) 2008/05/15訪問 高瀬川 一之舟入  高瀬川は慶長19年(1614)に、京都の中心部と伏見を結ぶために角倉了以・素庵父子が開削した運河である。高瀬川の名前は、輸送に使われた平底の舟を高瀬舟と呼んでいたことから付けられたものであり,角倉川ともいわれていた。 角倉家は室町幕府に仕える医者の家系であったが、了以の祖父・宗忠が商人の手腕を発揮し、帯を独占的に販売する組合である帯座の座頭職を手に入れ、その資金をもとに現在の金融業である土倉業を営むようになった。その後、次男の宗桂は土倉業を引き継ぐ傍ら、天文年間に2度も明に渡り、中国の先進医術を学んでいる。 角倉了以は天… ►続きを読む

 

原了郭

 

原了郭(はらりょうかく) 2008/05/15訪問 原了郭 既に店を閉めた後 2008年5月12日撮影  四条大橋を渡り、八坂神社に向う四条通の北側、有名な一力茶屋の斜め向かいに原了郭の店舗がある。それほど間口の広くないビルの1階の片隅に入った店舗であるため、四条通を探しながら歩いても通り過ぎてしまうことがある。ビル名称が祇園了郭ビルとあるので、自社ビルなのかもしれない。実際に何回か四条通を東西に行き来した記憶がある。またこの店は木曜定休日なので、時々定休日に訪れ、店を見つけることが出来なかったのかもしれない。今回も訪問日が木曜日だったので、お土産は四条河原町の京都高島屋の地下売場で購入… ►続きを読む

 

三嶋亭

 

三嶋亭(みしまてい) 2008/05/15訪問 三嶋亭  葵祭を堺町御門の前で見終えた後、富小路を南に下り三条通に出る。12時少し前に三条通と寺町通の角にある三嶋亭に入る。現在は寺町通と三条通のアーケードに囲まれているため、建物は壁面しか見ることが出来ないが、明治の名残りをとどめるガス燈がこの店の歴史を語っている。 三嶋亭 玄関の横には肉の販売店もある 三嶋亭 左へも店舗は続く  江戸時代まで肉食はタブーとされていたが、幕末となると長崎などから徐々に流入していた。そのような時代に三嶋亭の初代三嶌兼吉は妻と共に長崎で牛鍋を学んだ後、明治6年(1874)現在の寺町通三条角で三嶋亭… ►続きを読む

 

洛中の町並み その8 寺町通

 

洛中の町並み(らくちゅうのまちなみ) 2008/05/15訪問 寺町通 一保堂茶舗  南北に御池通と丸太町通、東西に河原町通、烏丸通の4つの大路に囲まれた町並みを通り毎に見ていく。 寺町通は河原町通の1本西側の通りで、北は鞍馬口通から南は五条通りまでの全長約4.6キロメートル。通りの原型は平安京の東端を南北に走る東京極大路である。天正18年(1590)豊臣秀吉が着手した京都大改造で、洛中の寺院をこの通りの東側に集めたことからこの通りに寺町の名が付いた。 寺町通 一保堂茶舗 寺町通 一保堂茶舗 仁丹の番地表示板 寺町通 一保堂茶舗 店頭には茶箱が積まれている  夷川通を過… ►続きを読む

 

洛中の町並み その7 富小路通

 

洛中の町並み(らくちゅうのまちなみ) 2008/05/15訪問 富小路通 京都ハリストス教会  南北に御池通と丸太町通、東西に河原町通、烏丸通の4つの大路に囲まれた町並みを通り毎に見ていく。  麩屋町通の1本西側の通りが富小路通で、丸太町通から六条通までの約2.8キロメートル。もともとの平安京の富小路を麩屋町通と呼ぶようになり、その西側の道を富小路通とするようになった理由は良く分からない。江戸時代には鍛冶屋、目貫小柄屋、白皮屋、塗師などの職人衆が多く住んでいたと言われている。 富小路通 京都ハリストス教会 富小路殿公園側から眺める  丸太町通から車屋町通に入り夷川通を過ぎると、京の… ►続きを読む

 

葵祭

 

葵祭(あおいまつり) 2008/05/15訪問 葵祭  この日は1日市内を廻る予定であった。旅館の人から葵祭を勧められたので、午前中の予定を変更して見物しに行くことにした。三条通、石黒香舗そして亀末廣を回り、車屋通を北上して堺町通の正面に到着したのが10時30分であった。朝早くから順番待ちしただろう人の後ろから見ることができた。 葵祭 警察の騎馬が準備をする 葵祭 葵祭 葵祭 内蔵寮史生  葵祭は5月15日に賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)で行われる例祭で、正式には賀茂祭と呼ばれている。太古別雷神が上賀茂神社の北北西にある神山に御降臨された際、… ►続きを読む

 

洛中の町並み その6 車屋町通

 

洛中の町並み(らくちゅうのまちなみ) 2008/05/15訪問 車屋町通 左:西島家住宅 右:伊可田屋  南北に御池通と丸太町通、東西に河原町通、烏丸通の4つの大路に囲まれた町並みを通り毎に見ていく。  車屋町通は烏丸通の1本東側を南北に走る全長約800メートルの通りである。長い伝統を受け継ぐ老舗の風格のある看板や暖簾を多く目にする。その中に新しい施設も生まれつつあり、新旧が共存できる町並みが魅力となりつつある。 車屋町通は天正18年(1590)に豊臣秀吉の京都改造によって、烏丸通と東洞院通の間に開通した。当初は、北は出水通から南は姉小路通まで貫通していたが、宝永5年(1708)の京都の… ►続きを読む

 

亀末廣

 

亀末廣(かめすえひろ) 2008/05/15訪問 亀末廣  中京郵便局を過ぎてさらに三条通を西に進むと烏丸通に出る。右手にNTT西日本と新風館を見ながら北に行くと姉小路通に当たる。この道を東に入ったところに亀末廣の建物が現れる。 亀末廣 間口だけでなく奥行きからも店の規模が分かる 亀末廣 わざわざ郵便ポストを置かなくても…  亀末廣の創業は文化元年(1804)のことである。伏見・醍醐の釜師であった初代・亀屋源助が京に店を出し、二条城や御所に菓子を納めてきた。御所や二条城からの注文はその度毎に新作を作るものであったため、木型師が専用の木型を作成しても一回だけ使って用済みとなるこ… ►続きを読む

 

石黒香舗

 

石黒香舗(いしぐろこうほ) 2008/05/15訪問 三条通  三条通と柳馬場通の西南角から西に3軒目に石黒香舗がある。創業安政2年(1855)の全国で唯一の「にほひ袋」専門店と石黒香舗の公式HPでは謳われている。京都でも鳩居堂のようにお香を扱う店の作った匂い袋は多くあるが、こちらは匂い袋を専門としたお店である。炭屋の女将の紹介で開店時間の前に店の中に入れてもらうことが出来た。 石黒香舗 右は今は扱わなくなったスティック状の香 左は防虫香 石黒香舗 昔の包装紙と防虫香  匂い袋の歴史は古く奈良時代まで遡る。正倉院の宝物の中にも現在の匂い袋の原型となる裛衣香が… ►続きを読む

 

洛中の町並み その5 三条通

 

洛中の町並み(らくちゅうのまちなみ) 2008/05/15訪問 三条通  2日間、京都の中心部に宿泊できたため、旅館の周りの町並みを見ることができた。まずは南北に四条通と御池通、東西に河原町通、烏丸通の4つの大路に囲まれた町並みを通り毎に見ていく。  三条通は姉小路通の1本南側の通りで、現在では東は山科から西は嵐山まで続く全長約15キロメートルの通り。通りの原型は平安京の三条大路である。江戸時代は三条大橋が東海道の終点となるため、東国からの旅人は三条大橋から続く三条通を歩き洛中に入ることとなる。明治時代に入ると近代建築が相次いで建設され、京都の文明開化をリードしてきた。今もこれらの近代建… ►続きを読む

 

洛中の町並み その4 姉小路通

 

洛中の町並み(らくちゅうのまちなみ) 2008/05/15訪問 姉小路通 亀末廣  2日間、京都の中心部に宿泊できたため、旅館の周りの町並みを見ることができた。まずは南北に四条通と御池通、東西に河原町通、烏丸通の4つの大路に囲まれた町並みを通り毎に見ていく。  姉小路通は御池通の1本南側の通りで、東は木屋町通から西は西大路通の先まで続く全長約3.7キロメートルの通り。通りの原型は平安京の姉小路である。御池通や三条通に比べると静かな町並みではあるが、町家造りの老舗が多い。 姉小路通 鳩居堂  河原町通から姉小路通に入る。本能寺の南を通り、寺町通に出る。道は鳩居堂の角で北側にクランクす… ►続きを読む

 

洛中の町並み その3 富小路通

 

洛中の町並み(らくちゅうのまちなみ) 2008/05/15訪問 富小路通  2日間、京都の中心部に宿泊できたため、旅館の周りの町並みを見ることができた。まずは南北に四条通と御池通、東西に河原町通、烏丸通の4つの大路に囲まれた町並みを通り毎に見ていく。  麩屋町通の1本西側の通りが富小路通で、丸太町通から六条通までの約2.8キロメートル。もともとの平安京の富小路を麩屋町通と呼ぶようになり、その西側の道を富小路通とするようになった理由は良く分からない。江戸時代には鍛冶屋、目貫小柄屋、白皮屋、塗師などの職人衆が多く住んでいたと言われている。 富小路通 天ぷら 吉川 富小路通 天ぷら … ►続きを読む

 

洛中の町並み その2 御幸町通・麩屋町通

 

洛中の町並み(らくちゅうのまちなみ) 2008/05/15訪問 御幸町通 なが田  2日間、京都の中心部に宿泊できたため、旅館の周りの町並みを見ることができた。まずは南北に四条通と御池通、東西に河原町通、烏丸通の4つの大路に囲まれた町並みを通り毎に見ていく。  寺町通の1本西側の通りが御幸町通である。北は京都御苑があるため丸太町通から始まり、南は五条通りまでの全長約2.4キロメートル。寺町通と同様に天正18年(1590)豊臣秀吉が着手した京都大改造によって生まれた通である。 御幸町通 なが田  姉小路通の角にある「なが田」はデリカテッセンとサンドイッチを販売する店である。建物の造り… ►続きを読む

 

洛中の町並み 寺町通

 

洛中の町並み(らくちゅうのまちなみ) 2008/05/15訪問 寺町通 商店街の中の錦天満宮  2日間、京都の中心部に宿泊できたため、旅館の周りの町並みを見ることができた。まずは南北に四条通と御池通、東西に河原町通、烏丸通の4つの大路に囲まれた町並みを通り毎に見ていく。 寺町通は河原町通の1本西側の通りで、北は鞍馬口通から南は五条通りまでの全長約4.6キロメートル。通りの原型は平安京の東端を南北に走る東京極大路である。天正18年(1590)豊臣秀吉が着手した京都大改造で、洛中の寺院をこの通りの東側に集めたことからこの通りに寺町の名が付いた。 廬山寺や梨木神社、そして新島襄旧邸などがこの通… ►続きを読む

 

炭屋旅館 その4

 

炭屋旅館(すみやりょかん) 2008/05/14訪問 炭屋旅館 夕食01  炭屋の食事は、素材も料理方法もそして器を含めて、非常に伝統的な懐石の範囲の中で創られたものという印象が残っている。懐石の形態をとりながら洋風の素材を用いたり、あるいは和食と異なる料理方法で作られたものを輪食器に装うこともなく、非常に忠実な懐石料理であることは、初心者の私にも伝わってきた。妻もお茶事に出される懐石料理を思い出したと言うことなので、おそらく私たちの得た印象は作り手の意図したものに近かったと思う。その反面、あまり驚かされるような料理も現れず、淡々と夕食が進んで行き、気がついたらデザートを迎えていたという… ►続きを読む

 

炭屋旅館 その3

 

炭屋旅館(すみやりょかん) 2008/05/14訪問 炭屋旅館 安宅 主室の床の間方向  主室は8畳間、右手窓側に床の間が造られている。畳敷きの床の間には掛け軸が掛けられ、丸い盆の上に載せられた花器にはお花が生けられている。床の右側は床脇となっており、棚が設えてある。この棚の前に置かれた台の上に電話機がある。床脇の棚の右手にはクロークとなっており、浴衣が用意されている。床の間の正面の壁の腰には、文字の書かれた紙が貼られている。近づいて読むと安宅の謡本であることが分かる。小舞を組んだ窓の下から始まり、床の間と床脇を除いてほぼ主室の中を一周している。もともと長押のない部屋であるため、これを除… ►続きを読む

 
 

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