徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

カテゴリー:訪問年月

伏見の町並み

 

伏見の町並み(ふしみのまちなみ)  2008/05/10訪問 酒蔵が並ぶ伏見の町並み 月桂冠大倉記念館  伏見奉行所址である桃陵団地を後にし、再び魚屋通に出て近鉄京都線の高架をくぐり京阪電鉄の踏切を越え西に進む。道は大阪町辺りで突き当たり左に曲がる。道なりに進むとすぐにまた魚屋通が現れる。魚屋通はここでクランクしている。また魚屋通に直行する南北に通る道もクランクするため、4つ角の交差点がなくT字路が2箇所近接している。「四ツ辻の四ツ当たり」という城下町に良く見られる遠見遮断の構造である。この場所が伏見城からはかなり離れているため、伏見奉行所防衛のために設けられたものではないかともいわれて… ►続きを読む

 

伏見奉行所址

 

伏見奉行所址(ふしみぶぎょうしょあと)  2008/05/10訪問 桃陵団地と伏見奉行所址を示す石標  魚三楼の前から京町通をさらに南に50メートル緩やかな坂町を下ると東西に走る魚町通に出る。ここを左折し近鉄京都線の高架をくぐると目の前に伏見の町並みに調和するように屋根を載せ、妻面を黒板張り風に仕上げた集合住宅群が現れる。これが伏見奉行所の跡地に建設された京都市営桃陵団地である。団地の西側の入口には3つの石碑がある。 桃陵団地の発掘調査を示す碑  一つ目の石碑は上部に笠を載せたようなデザインで、説明文とともに2枚の写真が印刷されている。桃陵団地の歴史を説明するために設置されたようだ… ►続きを読む

 

魚三楼

 

魚三楼(うおさぶろう)  2008/05/10訪問 京町通の魚三楼 暖簾の右側の格子に弾痕が残されている  御香宮神社を後にし、再び大手筋の大鳥居をくぐり、西に向う。近鉄京都線・桃山御陵前駅の高架と京阪電鉄・伏見桃山駅の踏切との間の百メートルに満たない地域の中央を京町通が通っている。大手筋から左折し京町通に入り南に30~40メートル進むと、道の右側に「魚三楼」という軒行燈を掲げた間口の広い商家が現れる。  魚三楼のHPによると讃岐出身の三郎兵衛が江戸中期 明和元年(1764)に創業した料亭。伏見港に揚がる瀬戸内海の魚や京野菜と伏見の豊かな湧水を使い、各藩の大名屋敷の料理方などを務めてきた… ►続きを読む

 

御香宮神社庭園

 

御香宮神社庭園(ごこうのみやじんじゃ ていえん)  2008/05/10訪問 御香宮神社庭園  御香宮神社に着いたのが午後4時少し前であったため、境内は後回しとしまずは御香宮神社庭園へと向う。ひと回りしたがそれらしき庭園は見当たらず、社務所に行くと拝観受付とあった。土間をあがり中に入ると客間らしい部屋があり、その先に庭園が広がっていた。すでに他の拝観者の姿も無く、部屋の照明も消された状態であったため、どこまでが公開されているかよく分からなかった。ほどなく説明のテープが回り始めた。 御香宮神社庭園  近江小室藩の初代藩主である小堀政一こと小堀遠州は元和9年(1623)に第6代目の伏見… ►続きを読む

 

御香宮神社

 

御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)  2008/05/10訪問 御香宮神社 拝殿  伏見稲荷大社の表参道から伏見街道に出て、JR稲荷駅とランプ小屋の前を通り過ぎ、もう少し伏見街道の町並みを見ながら南下する。まっすぐに南へ流れる鴨川運河を渡り京阪電鉄深草駅に至る。ここから京阪電鉄に乗車し伏見桃山駅で下車。地下の改札口から地上に出ると目の前に大手筋通が現れる。西は巨大なアーケード街へと続き、東を見ると近鉄京都線桃山御陵前駅の先に赤い大鳥居があるので道に迷う心配はない。大鳥居をくぐると石垣と白い壁が始まる。この場所の地形は東北にある伏見桃山陵に向って上っていくため、御香宮神社の西南角の石垣が最… ►続きを読む

 

JR稲荷駅ランプ小屋

 

JR稲荷駅ランプ小屋 (じぇいあーる いなりえき らんぷごや)  2008/05/10訪問 JR稲荷駅ランプ小屋  伏見稲荷大社の表参道から伏見街道に出ると目の前に朱の柱に白壁、瓦葺屋根のJR稲荷駅が現れる。駅舎に沿って南に下ると小さな切妻屋根をのせた赤レンガの小屋がある。これがJR稲荷駅ランプ小屋。  電気照明が普及するまでの間、鉄道の客車用や駅務・保線用のランプとその燃料を収納しておくために使用された危険物倉庫がランプ小屋である。そのため堅牢な煉瓦造りとなっていた。明治時代に建設された旧国鉄の主要駅には一般的に存在していたようだが、ランプの消滅と駅の増改築等により姿を消していった。… ►続きを読む

 

伏水街道の橋

 

伏水街道の橋 (ふしみかいどう の はし)  2008/05/10訪問 伏水街道第三橋 東福寺中門前  東山山麓から流れ出て鴨川にそそぐ河川が伏見街道に交差する箇所に4本の橋が架けられ、北から一ノ橋、二ノ橋、三ノ橋、四ノ橋と呼ばれていた。現在、一ノ橋と二ノ橋の川は暗渠となり元の橋の位置と異なった場所に親柱が保存されている。三ノ橋と四ノ橋は伏見街道の橋として使用されている。いずれの橋の親柱にも伏見街道ではなく“伏水街道”とある。  JRと京阪電鉄の東福寺駅より200m北、現在の本町12丁目にある清涼山寶寿寺の北側を一の橋川は流れていたようだ。泉涌寺より東大路通を越え大谷学園大谷高等学校の南… ►続きを読む

 

伏見街道

 

伏見街道 (ふしみかいどう)  2008/05/10訪問 伏見街道の町並み 玉屋  伏見街道は五条と伏見を結ぶ街道。伏見城を築いた豊臣秀吉が天正年間(1573~1593)あるいは文禄年間(1593~1596)に開いたといわれている。さらに江戸時代に入ると伏見は大阪につながる交通の要衝となり、京と伏見の間の物資の運搬路が必要となり、西側に並行する竹田街道や高瀬川水路が開かれた。沿道には東福寺や伏見稲荷大社など名所も多く、旅人や観光客の往来は絶えない。 京と伏見をつなぐ街道というわりには道幅も細く、地域の生活道路として使用されるのがやっとであり、観光客を乗せたタクシーが入ってくるとすぐに渋滞… ►続きを読む

 

伏見稲荷大社

 

伏見稲荷大社 (ふしみいなりたいしゃ)  2008/05/10訪問 伏見稲荷大社 外拝殿より見た楼門  お庭を拝観させていただいたことに御礼し大橋家を後にし伏見街道へ出る。あらためて伏見稲荷大社の表参道から第一鳥居そして第二鳥居をくぐると豊臣秀吉が寄進したと言われている楼門が現れる。楼門の前には阿吽の狛犬ではなく二体の狐の像が設置されている。 伏見稲荷大社 楼門前左側の狐像 伏見稲荷大社 楼門奥の外拝殿 伏見稲荷大社 本殿  伏見稲荷大社は全国約4万社の稲荷大神を祀る稲荷神社の総本宮とされています。稲荷大神(お稲荷さん)として信仰を集める宇迦之御魂大神(うかのみたまのお… ►続きを読む

 

大橋家庭園 苔涼庭

 

大橋家庭園 苔涼庭 (おおはしけていえん たいりょうてい)  2008/05/10訪問 大橋家庭園 苔涼庭  九條陵より再び東福寺の勅使門 六波羅門の前を通り、そし南門をくぐり伏見街道に出て、伏見稲荷大社を目指し南下する。伏見稲荷郵便局を過ぎると左手に鳥居が見える。京阪伏見稲荷駅から続く裏参道である。左に曲がり裏参道へ入っていくと先は二股に分かれている。右側は伏見稲荷大社へ続く道、左は住宅地の中へて続いている。左に曲がり道なりに進むと左手に大きな住宅の塀が現れる。門に案内板が出ているので、ここが大橋家であることが分かる。 大橋家 大橋家 門より見た玄関  事前に見学の申し込み… ►続きを読む

 

鳥羽伏見戦防長殉難者之墓

 

鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 (とばふしみせんぼうちょうじゅなんしゃのはか)  2008/05/10訪問 鳥羽伏見戦防長殉難者之墓 上部に見える白い鳥居は仲恭天皇陵  皇嘉門院月輪南陵を過ぎ、仲恭天皇陵に至る参道の途中を右手に入ると鳥羽伏見戦防長殉難者の墓地がある。上り勾配の参道の途中にあるため仲恭天皇陵より一段低い場所ではあるが、かなり広い面積の平地が確保されている。 仲恭天皇陵と同じく西側に面するように整然と2列に並べられた墓石は、陵の主を護る衛士のようにも見える。もちろん仲恭天皇については、東山本町陵墓参考地の項でも触れたように鎌倉時代の天皇であり、鳥羽伏見の戦やその戦没者とは全く関係… ►続きを読む

 

仲恭天皇 九條陵

 

仲恭天皇 九條陵 (ちゅうきょうてんのう くじょうのみささぎ)  2008/05/10訪問 仲恭天皇 九條陵  九條陵への道筋を東福寺で尋ねると、どうもはっきりした答えが返ってこなかった。とりあえず芬陀院から日下門の前を南に折れ、六波羅門・勅使門の前を過ぎて数分歩くと比較的新しい住宅地の中に迷い込んでしまった。あたりを少し探し歩くと大きな木のもとに石段と碑がある角に出た。碑を読むとここが九條陵と月輪南陵への参道の入口であることが分かった。 九條陵への入口 碑には九條陵・月輪南陵参道とある  石段を数段登ると参道は直角に折れ、東方向へ真直ぐに緩やかな勾配で伸びていく。途中右側に「崇徳… ►続きを読む

 

東福寺 塔頭

 

東福寺 塔頭 (とうふくじ たっちゅう)  2008/05/10訪問  東福寺には25の塔頭と1つの特別由緒寺院がある。他の五山と比較すれば公開されている寺院の数も多いような気がする。 北門周辺 万寿寺は九条通の北側に位置する唯一の塔頭。  白河上皇が皇女郁芳門院内親王の菩提を弔うため、永長元年(1096)下京区万寿寺通高倉にあった六条内裏の中に建立された六条御堂がはじまり。  正嘉年間(1257~9)に十地上人覚空とその弟子慈一房湛照(宝覚禅師)により、浄土教を修する寺となったが、東福寺の聖一国師と親しくその教えを受けるに及び禅宗となし、弘長元年(1261)に万寿禅寺と改めたと伝わる。往時の… ►続きを読む

 

東福寺 芬陀院

 

東福寺 芬陀院 (とうふくじ ふんだいん)  2008/05/10訪問  東山本町陵墓参考地から再び東福寺の塔頭 芬陀院に向かう。伏見街道をさらに南下すると洗玉澗の流れと伏水街道第三橋で交差する。短い橋を渡りきると東福寺 中門が現れる。芬陀院は中門をくぐったすぐ右側にある。 東福寺 芬陀院 南庭  芬陀院は元亨年間(1321~1324年)に時の関白一条内経が東福寺開山・聖一国師の法孫にあたる定山祖禅を開山として創建した。以後、一条家の菩提寺とされている。 元禄4年(1691)に堂宇を焼失したが、関白一条兼輝により再建された。しかし宝暦5年(1755)の火災により再び堂宇を失うも、桃園天皇… ►続きを読む

 

東山本町陵墓参考地

 

東山本町陵墓参考地 (ひがしやまほんまちりょうぼさんこうち)  2008/05/10訪問 東山本町陵墓参考地 塚本社址  霊雲院から芬陀院に行く途中、東山本町陵墓参考地に寄る。退耕庵の前を通り北門から境内を出て本町通(伏見街道)を南下する。なかなか分かりづらい場所のようなので注意深く進むと左手に町並みが途切れる場所があった。  天皇、皇后、皇太后などの墓所を「陵」と呼び、その他の皇族の墓所を「墓」とする。「陵墓参考地」は皇族の墓である可能性があるものとして、被葬者を特定せず、宮内庁が管理している墓所を示す。宮内庁のサイトでは陵188、墓552そして陵墓参考地46としている。この東山本町陵… ►続きを読む

 

東福寺 霊雲院

 

東福寺 霊雲院 (とうふくじ れいうんいん)  2008/05/10訪問 東福寺 霊雲院 遺愛石と須弥台  日下門を出て臥雲橋を渡り月下門の前を通り過ぎ、左に曲がると突き当りが霊雲院となる。  霊雲院は明徳元年(1390)に、天龍寺第64世、南禅寺第96世、東福寺第80世に歴任した高僧 岐陽方秀が開いたとされ、当初は不二庵と呼ばれていた。 湘雪守沅は肥後熊本の人で、時の藩主細川忠利(細川ガラシャの子)と親交があった。湘雪が第7世住職として霊雲院へ移られる時に忠利は500石の禄を送ろうとしたが、「出家の後、禄の貴きは参禅の邪気なり。庭上の貴石を賜れば寺宝とすべし」と辞退した。… ►続きを読む

 

東福寺 方丈

 

東福寺 方丈 (とうふくじ ほうじょう)  2008/05/10訪問  本堂の北側に東福寺の方丈がある。庫裏から方丈に向かう廊下を渡ると、左に方丈南庭「八相の庭」と右に東庭「北斗七星」が同時に現れる。方丈を南庭から時計回りに廻り、東庭を最後に見ることとする。 東福寺 方丈 八相の庭と恩賜門  もともとは方丈とは1丈四方の面積(四畳半程度)であったが、その広さの部屋や建物を示す言葉となった。簡単に組み立てたり解体する事ができるので、鴨長明の『方丈記』のように僧侶や隠遁者に使われた。 維摩居士の方丈を見舞った文殊菩薩とその一行が、その狭い空間に全員入ることができたという逸話(維摩経)から、仏… ►続きを読む

 

東福寺 開山堂・普門院

 

東福寺 開山堂・普門院 (とうふくじ かいざんどう・ふもんいん)  2008/05/10訪問 東福寺 通天橋より方丈をながめる  右手に方丈を見ながら、本堂から北側に進むと洗玉澗にかかる通天橋が現れる。橋のたもとで開山堂と普門院の拝観料を支払い歩廊内に入る。 東福寺 通天橋より臥雲橋と洗玉澗  通天橋は天授6年(1380)、普明国師が谷を渡る労苦から僧を救うために橋を架けたと伝えられている。その後、何回か架け替えが行われてきた。現在の歩廊は昭和34年(1959)に台風によって倒壊したものを同36年(1961)に再建したもの。明治時代の「近畿名所」に掲載されている写真を見ると、確かに… ►続きを読む

 

東福寺

 

臨済宗東福寺派大本山 東福寺 (とうふくじ)  2008/05/10訪問 東福寺 月下門  泉涌寺の大門で東福寺への道を尋ねると悲田院の脇を下ると近道になると聞き、これに従い先ずは悲田院に向かう。悲田院の山門の手前を右に曲がり、石段を下り住宅街の細く曲りくねった道を進むと京都第一赤十字病院の真裏に出た。左に曲がると程なくして東福寺の寺域に達した。確かに泉涌寺道を戻り東大路通に出て、京阪鴨東線東福寺駅に行くよりは近かったが悲田院の山門前を右側に曲がり市立日吉ヶ丘高校の南側を通るように教えてくれたのかも知れない。  栗棘庵の角を左に曲がると道の両側に塔頭が並ぶ。やがて月下門が左側に現れる。一… ►続きを読む

 

泉涌寺 塔頭

 

泉涌寺 塔頭(せんにゅうじ たっちゅう)  2008/05/10訪問 泉涌寺 即成院  泉涌寺には善能寺、来迎院のような山内寺院が、9つある。■01 即成院 泉涌寺道を進み総門手前左側に即成院の山門が面している。  伝承では恵心僧都により正暦3年(992)に伏見に建立された光明院を始まりとするが、関白藤原頼通の第三子橘俊綱が、山荘造営にあたり持佛堂として伏見桃山に建立。 文禄3年(1594)豊臣秀吉の伏見城築城のため、強制的に深草大亀谷(現在のJR藤森あたり)に移転した。廃仏毀釈に遭い廃寺となったため、明治35年(1902)泉涌寺塔頭の法安寺と合併し再興された。 泉涌寺の塔頭 即成院と呼… ►続きを読む

 
 

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