徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

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六道珍皇寺

 

臨済宗建仁寺派 大椿山 六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ) 2008年05月16日訪問 六道珍皇寺 門前に建つ小野篁卿旧跡と六道の辻の碑  鴨川の東岸を南北に走る川端通から、松原通に入り東に進むと小野篁卿旧跡の碑とともに六道の辻と記された赤味を帯びた石碑が現れる。この石碑の奥に六道珍皇寺の山門が開いている。 六道珍皇寺 禍禍しい六道の辻の碑  六道珍皇寺の開基については諸説あり、いずれが真実かは判断しにくい。高津希和子氏の「珍皇寺鐘論 -『古事談』鋳鐘説話をめぐって-」の論文にはそのあたりの経緯が記されていたので、これを参考にしてまとめてみる。 平安時代前期の延暦年間(782~805… ►続きを読む

 

清水寺

 

北法相宗総本山 音羽山 清水寺(きよみずでら) 2008年05月16日訪問 清水寺 子安塔から眺めた本堂  7日目は東山を廻ることとしている。最初に清水寺に入り、ここから産寧坂・二年坂を歩き、建仁寺、高台寺、そして円山公園を超えて知恩院、青蓮院を拝観した後に、小川治兵衛が作庭した並河靖之七宝記念館を見学する。ここは月曜日と木曜日は休館日となっているの。南禅寺を拝観した月曜日には閉まっていたので、本日の予定に組み入れた。見学後、市営バスで東大路通を南下し七条に出る。智積院、蓮華王院、豊国神社を拝観後、豊国廟に向かう、相変わらずの詰め込みすぎの予定である。七条から順に北へ上っていけば好いよう… ►続きを読む

 

善導寺

 

浄土宗知恩院派 真光明院 善導寺(ぜんどうじ) 2008/05/15訪問 善導寺 ビルの間の竜宮門  木屋町通と二条通が交差する北側に善導寺の竜宮門が見える。浄土宗知恩院派・真光明院善導寺。永禄年間(1558~1569)筑後の善導寺の憎・然誉清善和尚によって六角堂附近に創立されたが、天明8年(1788)の天明の大火で焼失する。第4世旭誉のときに、長谷川重兵衛の寄進によってこの地に移る。江戸時代末期までは摂政院、宝昌院、清香院の3塔頭を有する大寺であったが、現在は廃絶し残っていない。境内には嵯峨釈迦堂の本尊を模した釈迦三尊石仏がある。高さ1メートルほどの自然石に三尊の立像を半肉彫りにしたも… ►続きを読む

 

瑞泉寺

 

浄土宗西山禅林寺派 瑞泉寺(ずいせんじ) 2008/05/15訪問 瑞泉寺 秀次の墓所  三条通から木屋町通に入った所に瑞泉寺がある。木屋町三条の歓楽街の真ん中にある寺院であるが、境内は嘘の様に静寂である。 瑞泉寺 関白の墓所とは思えないほど小さな山門 瑞泉寺 提灯には政権担当者の紋章である五七桐  天正14年(1586)豊臣秀吉は奈良の東大寺に倣い大仏建立を開始した。文禄4年(1595)には、ほぼ大仏殿方広寺が完成し高さ6丈(約18メートル)の木製金漆塗座像が安置された。しかし翌慶長元年(1596)畿内を襲った大地震のため大仏は大破、そして秀吉も慶長3年(1598)に死去す… ►続きを読む

 

妙心寺

 

臨済宗妙心寺派大本山 妙心寺(みょうしんじ) 2008/05/14訪問 妙心寺 三門  仁和寺の二王門を潜り、きぬかけの道に出る。龍安寺方向にきぬかけの道を戻ると、仁和寺の東南の角で一条通に当たる。この一条通を東に進むと京福電鉄北野線の踏切と妙心寺駅に出会う。そのままさらに進むと右手に妙心寺の北総門が現れる。 妙心寺 仏殿  妙心寺は臨済宗妙心寺派大本山で山号は正法山。 平安京の北西部に12町の敷地を占め、三門、仏殿、法堂などの中心伽藍と共に山内塔頭36箇院を持つ大寺院である。この他にも龍安寺などの境外塔頭10箇院を加え、現在妙心寺の塔頭は46箇院に及ぶ。また日本の臨済宗寺院 約6… ►続きを読む

 

満願寺

 

日蓮宗 満願寺(まんがんじ) 2008/05/12訪問 満願寺 山門  白河院から1ブロック、北西100メートルの場所に満願寺がある。ここは観光寺ではなく、自由に境内に入れる。山門をくぐると正面に大きな本堂があり、その本堂の前左手に文子天神、右手に閼伽井がある。 山門を見れば分かるように満願寺の山号は示現山、日蓮宗に属する寺院である。 寺伝によると天慶3年(940)多治比文子が菅原道真の霊夢を感じ、北野朝日寺の僧最珍を開基に請じて西ノ京北町に堂宇を建立し、道真自作の天満自在天像を安置したことに始まる。 満願寺 文子天神  多治比文子は生年も没年も不詳の平安時代中期の女性である。童女… ►続きを読む

 

南禅寺 塔頭

 

南禅寺 塔頭(なんぜんじ たっちゅう) 2008/05/12訪問 南禅寺 高徳庵への参道  南禅寺で頂いた拝観のしおりによると塔頭は現在12寺とのこと。ただし、これには南禅院が含まれていない。しおりでは南禅寺の歴史と伽藍、本坊の説明についで、南禅院が取り上げられている。また南禅寺の公式HPでは、「塔頭のうち南禅院は亀山天皇の宸影をまつる檀那塔であるため、別格に扱われています。」というような表現となっているので、塔頭であることは間違いないようだ。ということで実質的には13塔頭ということになる。■01 金地院 金地院は応永年間(1394~1427)に室町幕府4代将軍足利義持が南禅寺第68代住… ►続きを読む

 

南禅寺

 

臨済宗南禅寺派総本山 南禅寺(なんぜんじ) 2008/05/12訪問 南禅寺 法堂  八坂神社より市バスに乗り、南禅寺へと向かう。三条通を右折し蹴上に行くバスが見当たらなかったので、平安神宮の北側を通り、岡崎天王町で下車して、後は歩くこととした。途中白川通から逸れ、住宅街に入り方向が分からなくなるが、再び白川通に戻る。ほどなくして南禅寺の門前に着く。天王町の停留所から約20分程度かかったこととなる。 門前の参道の両側に並ぶ旅館や料亭が終わると南禅寺の勅使門が前方左側に見えてくる。 南禅寺 門前の順正  臨済宗南禅寺派大本山 山号は瑞龍山、寺号は太平興国南禅禅寺。 日本最初の勅願禅寺… ►続きを読む

 

醍醐寺

 

真言宗醍醐派総本山 醍醐寺(だいごじ)  2008/05/11訪問 醍醐寺 五重塔  随心院の総門を出て、前を通る道を南に下る。途中で府道36号大津宇治線を越える。この道は旧奈良街道と呼ばれている。随心院を出てから、およそ20分で醍醐寺の総門に到着した。 醍醐道 醍醐上ノ山町あたりで見かけた竹林 右側斜面の上は大団地になっている 醍醐寺 旧奈良街道沿いの白壁 醍醐寺 境内  真言宗醍醐派総本山で、山号を醍醐山と称する。世界遺産にも登録されている。  貞観16年(874)空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音並びに如意輪観音を笠取山頂上に祀ったのが醍醐寺の開山となる。… ►続きを読む

 

日野誕生院

 

浄土真宗本願寺派 日野誕生院(ひのたんじょういん)  2008/05/11訪問 日野誕生院  法界寺の山門を出て、東に進むとすぐに法界寺の築地塀が終わる。その先は誕生院保育園のアコーディオン門扉が続く。そのおかげで中の様子が良く分かった。保育園の園庭の一角、法界寺の池泉を背にした場所に、小さな基壇と塀そして門が築かれ、誕生院のえな塚と産湯井がその中に納められている。この地は浄土真宗の宗祖 親鸞聖人の生誕地であり、えな塚と産湯井は聖人誕生の遺蹟として護られている。 日野誕生院 えな塚と産湯井 右は法界寺の阿弥陀堂と薬師堂の屋根 日野誕生院 法界寺薬師堂と保育園  えなとは胞衣と… ►続きを読む

 

萬福寺

 

黄檗宗大本山 萬福寺(まんぷくじ)  2008/05/11訪問 萬福寺 法堂より大雄宝殿をのぞむ  京阪電鉄宇治駅から宇治線に乗り、2つ目の黄檗で下車する。京都府道7号線を渡り、住宅街の中を東へ入るとすぐに萬福寺の特徴的な赤い総門の前に出る。 萬福寺 府道7号線で見かけた道標 萬福寺 総門 萬福寺 総門の額  この門は牌楼と呼ばれる、中央の屋根を高くし左右を一段低くした中国門の様式を踏襲している。横浜中華街などで見かける門と同じ様式らしいが、屋根の大きさが違うためかかなり印象が異なる。門に架けられた額には「第一義」と書かれている。第5代高泉住持の書ということだ。 萬… ►続きを読む

 

放生院

 

真言律宗 放生院(ほうじょういん)  2008/05/11訪問 放生院 山門  京阪本線淀駅から中書島で乗り換え、京阪宇治線の宇治駅に出る。京阪宇治線の西側を宇治川が流れているため、宇治駅を出ると目の前に宇治橋が架かる。橋を渡らず宇治川の東側を平行に走る道に入り、50メートルほど進むと左手に放生院の山門が現れる。  放生院は、山号を雨宝山 寺号を常光寺という真言律宗のお寺である。宇治橋を管理する守り寺とされていることから、通称“橋寺放生院”でよばれていた。  推古天皇12年(604)に聖徳太子の発願により、秦河勝が太子の念持仏である地蔵菩薩像を祀る地蔵院を建てたのがはじまりという。宇治橋… ►続きを読む

 

大黒寺

 

真言宗東寺派 大黒寺(だいこくじ)  2008/05/10訪問 大黒寺 こちらにの門が開いていた  三栖閘門を後にして京都外環状線と宇治側との間の道をしばらく歩き、竹田街道との交差点の手前で交通量の多い環状線を渡る。周囲を見渡したが信号が無いので4車線分を一気に走ることとなった。中書島駅から京阪線で丹波橋駅に出て、真直ぐ西へ歩く。市立伏見板橋小学校に突き当ったところで南に折れると下板橋通に出る。下板橋通を西に入り最初の角を南に入ると京都御駕篭郵便局が右手に現れる。これが大黒寺に続く道の確認となる。さらに20メートルくらい進むとやはり右手に大黒寺の門が現れる。初めての訪問ではなかなか見つけ… ►続きを読む

 

長建寺

 

真言宗醍醐派 辨財天長建寺(べんざいてんちょうけんじ)  2008/05/10訪問 長建寺 鮮やかな朱の竜宮門  月桂冠大蔵記念館から南に下ると濠川に当たる。弁天橋を渡ると右手側に赤い土塀と竜宮門が見える。これが長建寺の山門。真言宗醍醐寺派に属する寺で、本尊は八臂弁財天。 長建寺 境内はそれほど広くない 長建寺 護摩の跡  弁財天というと関東では江ノ島神社を思い出すが、もともと弁才天は仏教の守護神である天部の1つであるが、ヒンドゥー教の女神サラスヴァティー(Sarasvatī)が仏教あるいは神道に取り込まれた時の呼び名である。日本では「才」が「財」の音に通じることか… ►続きを読む

 

東福寺 塔頭

 

東福寺 塔頭 (とうふくじ たっちゅう)  2008/05/10訪問  東福寺には25の塔頭と1つの特別由緒寺院がある。他の五山と比較すれば公開されている寺院の数も多いような気がする。 北門周辺 万寿寺は九条通の北側に位置する唯一の塔頭。  白河上皇が皇女郁芳門院内親王の菩提を弔うため、永長元年(1096)下京区万寿寺通高倉にあった六条内裏の中に建立された六条御堂がはじまり。  正嘉年間(1257~9)に十地上人覚空とその弟子慈一房湛照(宝覚禅師)により、浄土教を修する寺となったが、東福寺の聖一国師と親しくその教えを受けるに及び禅宗となし、弘長元年(1261)に万寿禅寺と改めたと伝わる。往時の… ►続きを読む

 

東福寺

 

臨済宗東福寺派大本山 東福寺 (とうふくじ)  2008/05/10訪問 東福寺 月下門  泉涌寺の大門で東福寺への道を尋ねると悲田院の脇を下ると近道になると聞き、これに従い先ずは悲田院に向かう。悲田院の山門の手前を右に曲がり、石段を下り住宅街の細く曲りくねった道を進むと京都第一赤十字病院の真裏に出た。左に曲がると程なくして東福寺の寺域に達した。確かに泉涌寺道を戻り東大路通に出て、京阪鴨東線東福寺駅に行くよりは近かったが悲田院の山門前を右側に曲がり市立日吉ヶ丘高校の南側を通るように教えてくれたのかも知れない。  栗棘庵の角を左に曲がると道の両側に塔頭が並ぶ。やがて月下門が左側に現れる。一… ►続きを読む

 

泉涌寺 塔頭

 

泉涌寺 塔頭(せんにゅうじ たっちゅう)  2008/05/10訪問 泉涌寺 即成院  泉涌寺には善能寺、来迎院のような山内寺院が、9つある。■01 即成院 泉涌寺道を進み総門手前左側に即成院の山門が面している。  伝承では恵心僧都により正暦3年(992)に伏見に建立された光明院を始まりとするが、関白藤原頼通の第三子橘俊綱が、山荘造営にあたり持佛堂として伏見桃山に建立。 文禄3年(1594)豊臣秀吉の伏見城築城のため、強制的に深草大亀谷(現在のJR藤森あたり)に移転した。廃仏毀釈に遭い廃寺となったため、明治35年(1902)泉涌寺塔頭の法安寺と合併し再興された。 泉涌寺の塔頭 即成院と呼… ►続きを読む

 

泉涌寺

 

真言宗泉涌寺派総本山 泉涌寺 (せんにゅうじ)  2008/05/10訪問 泉涌寺 総門 泉涌寺道  のぞみ1号が京都駅に到着するのが8:11。荷物をコインロッカーに入れ、京都駅中央口へ出る。本日の予定は泉涌寺・東福寺→伏見稲荷大社→御香宮神社→伏見というスケジュール。先ずは最初の目的地・泉涌寺を目指して塩小路通を西に進み、鴨川を渡る。本町8丁目で京阪鴨東線に平行に走る道に入り南下する。東海道本線・東海道新幹線の高架下をくぐり、市立一橋小学校に保存されている伏水街道一の橋を確認した後、再び伏見街道に戻り南に進む。 泉涌寺 東大路通と泉涌寺道の角に立つ碑  京阪鴨東線東福寺駅前より東… ►続きを読む

 
 

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