文書と写真・地図による「記憶」の再現

東福寺

臨済宗東福寺派大本山 東福寺 (とうふくじ)  2008/05/10訪問

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東福寺 月下門

 泉涌寺の大門で東福寺への道を尋ねると悲田院の脇を下ると近道になると聞き、これに従い先ずは悲田院に向かう。悲田院の山門の手前を右に曲がり、石段を下り住宅街の細く曲りくねった道を進むと京都第一赤十字病院の真裏に出た。左に曲がると程なくして東福寺の寺域に達した。確かに泉涌寺道を戻り東大路通に出て、京阪鴨東線東福寺駅に行くよりは近かったが悲田院の山門前を右側に曲がり市立日吉ヶ丘高校の南側を通るように教えてくれたのかも知れない。

 栗棘庵の角を左に曲がると道の両側に塔頭が並ぶ。やがて月下門が左側に現れる。一条実経が常楽庵を建立した際に、亀山天皇より京都御所の月華門を賜ったとものと言われている。

 この道の先には東福寺の境内を東西に走る洗玉澗という渓谷にかけられた臥雲橋がある。東福寺の境内にはこの他に通天橋と偃月橋という3つの屋根の付いた橋が洗玉澗にかかる。市内の平坦な地形に配置された寺院の伽藍とは異なる空間を持っている。

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東福寺 臥雲橋より通天橋を眺める
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東福寺 臥雲橋より洗玉澗をのぞく
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東福寺 築地塀

 日下門を入ると禅堂の奥に本堂が見えてくる。

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東福寺 右に禅堂 奥に本堂

 摂政九条道家が,奈良における最大の寺院・東大寺と最も隆盛を極めた寺院・興福寺になぞらえ,京都最大の大伽藍の造営に着手したのが、嘉禎2年(1236)であった。この後19年の年月を費やし建長7年(1255)に完成に至った。東大寺と興福寺から一字づつを取り,東福寺と名づけた。寛元元年(1243)聖一国師を迎え,天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備したが,元応元年(1319),建武元年(1334),延元元年(1336)と相次ぐ火災のために大部分を焼失した。
 すでに建武の焼失以前に京都五山(禅宗の寺格)の第四位に列せられていることからも、貞和3年(1346)6月に前関白一条経道により仏殿の上棟が行われたころには、完全な禅宗寺院になっていたのであろう。

 明治14年(1881)に,仏殿・法堂,方丈,庫裡を焼失。その後,明治23年(1890)に方丈,同43年(1910)に庫裡も再建され、昭和9年(1934)年に本堂(仏殿兼法堂)が落成し再興が果たされた。

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東福寺 山門より本堂をながめる
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東福寺 最勝金剛院への参道東福寺
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東福寺 最勝金剛院への参道の燈籠
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東福寺 五社成就宮への石段
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東福寺 放生池

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東福寺 放生池と勅使門

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