唐長
唐長(からちょう) 2008/05/14訪問
妙心寺の北総門の前にある市バス 妙心寺北門前停留所から市バス26号に乗車し、四条烏丸へ向かう。一条通を東に進み、馬代一条で南に折れる。市立大将軍小学校と京都府立医大の間を再び東に進むと西大路通に出る。西大路通を右折して四条通まで南下する。四条通を東に進み、四条烏丸で市バスを下車する。妙心寺を出たのが16時前だったので、およそ30分で四条烏丸についたこととなる。
四条烏丸の交差点の東南角に複合商業施設cocon烏丸がある。この京都のオフィス街の中心地に丸紅ビルが建設されたのが昭和13年(1938)のことである。第二次世界大戦後では戦火を免れ、戦後は無傷のまま進駐軍に接収された。この建物を建築家の隈研吾が平成16年(2004)にリノベーションしたのがcocon烏丸である。低層部に新たに緑色のガラススクリーンを設けて、商業施設の賑わいを演出している。この緑色のファサードに描かれている文様は江戸初期から続く京唐紙の老舗「唐長」に伝わる古典文様 天平大雲である。遠目でcocoon烏丸と思い込んでいた。cocoone=繭ではなく、coconであり、古今東西のココンから名づけられている。この建物は平成18年度 第16回BELCA賞ベストリフォーム部門を受賞している。
この建物のファサードの文様に使われた唐長のお店がcocon烏丸の1階に入っている。唐長は17世紀半ばに創業した京唐紙を製作しているお店で、京都市左京区修学院離宮の近くの閑静な住宅街の中に工房を持っている。1792年を最古とする板木が約600枚あり、多くの戦火をくぐりぬけて受け継がれている。 唐紙の起源は平安時代に遡る。中国から伝わり詩歌を書き記す紙として使われていた。その後日本でも作られ始め、室町時代には現在の技法が確立されたといわれている。時代が下って襖紙に用いられるようになり、桂離宮や寺院、茶室などに使われてきた。先日放映された桂離宮の番組でも唐長の唐紙が使われているのを見かけた。
唐紙は版画と同じように、文様が彫られた板木に顔料をのせ、和紙で写しとることで出来上がる。あらかじめ和紙への着色を行ったり、顔料として使われる雲母や胡粉の調合加減を変えたり、数多くの文様の板木の組み合わせることにより,無限に近い表現が可能となる。また普通の版画で使われるバレンは使用しない。手のひらでこすって文様を写しとることで和紙の表情がさらに柔らかくなる。
江戸時代に入ると唐紙の全盛期が訪れる。京都には13軒の唐紙屋があったと記録に残っている。しかし明治にはそのほとんどが廃業に追い込まれ、現在でも唐紙を製作しているのは唐長一軒だけとなっている。
現在、唐長では襖、壁紙、屏風だけでなく、ポストカードや照明器具のシェードに唐紙を用いた唐紙小物、さらには伝統的な文様を使用した食器まで製造している。どの文様にしても描く対象を非常に簡潔に表現しているためモダンな印象を見るものに与える。だからこそランプシェードや食器に使用できるのだと思う。まさに350年間以上かけて作り上げた文様や板木というコンテンツを大事に育て上げてきたことによって成立している製品とも言える。当然、そこには昔から伝えられてきた技法を継承し、現在でも同じものを再現できるだけの技術力もある。しかし技術だけでは見る人を感嘆させても、共感させることはない。そのあたりがコンテンツの重要性でありデザインの本質でもある。
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